27・秘密 3
傾き始めた太陽からの柔らかな光が、直接目に入らないように
右手は携帯を持ち耳に当てたまま、左手をかざして影を作った。
そうやって視界を確保し、見上げた先の亜子は
そのまま落っこちてしまうんじゃないかと思うくらい、
窓から身を乗り出して、驚いた表情で恵太を見下ろしていた。
恵太はさりげなく周囲を見渡す。
呆気に取られていた亜子も、はっとしたように
周囲を見渡し、一瞬恵太と目が合うと、
乗り出していた体を起こし、窓に背を向けた。
それを確認すると、恵太も何事もなかったように
歩き出した。
「ごめん」
「あ、ううん」
意味もなく謝るのは、後ろめたいことをしているような
気まずさからだった。
何もやましいことはなかったが、教師と生徒が連絡を取り合っているというのは
やはり傍からみれば、何かを匂わせるには充分な要素で。
少しの間、気まずい空気を纏った沈黙が訪れた。
が。
恵太が校門を出たところで
亜子の息をつくような小さな笑い声が耳に届いた。
それを境に、その空気は一掃された。
「ふふっ・・。びっくりした~。さっきメール気がついたんだよ。
それ読んで、なんて返そうかなぁって思ってたら携帯が鳴るんだもん」
電話越しから聞こえてくる、亜子の愛らしい笑い声。
亜子を送っていった日から数回目の電話。
その度に、亜子の鈴の鳴るような笑い声に
恵太はたまらなく、幸せな気持ちになっていた。
「ごめん。校内だったのに。あまりにも面白かったから」
恵太もつられて、笑いが漏れる。
「ひどっ、面白いって・・・。えぇっ、そんなにひどい顔してたのかな?!」
電話の向こうで、顔を真っ赤にして百面相をしている亜子が目に浮かぶ。
それを想像しながら含み笑いしている自分は、相当イタイ。
恵太はあたりをチラリ、と見ると、何人もの人とすれ違う。
都市部にある学校のため、夕方のこの時間でも
まだまだ人通りも車も多い。
いくら電話をしながらとはいえ、
ニヤニヤしながら歩いていたら、気味悪いだろうな。
そう思いつつも、しまりのない顔を元に戻せず、
隠すように足元を見ながら歩く。
「とっ、ところでっ、今から?」
笑い続ける恵太に、亜子はこの話はおしまい!とでも言いたそうに
さっき恵太が送っていたメールの内容をダシに
上ずった声で尋ねた。
「あ、うん。これから事務所」
「そっかぁ。大変だねぇ」
言葉とは裏腹に、どこかのんびりした口調の亜子に、
安らぎすら覚えていた。
「いや・・・自分でやってることだから・・・」
「えらいねー。ちゃんと自分の道切り開いてるんだもんね。すごいよ」
「・・・や、そんなにすごくは、ない・・・」
『ちゃんと自分の道切り開いてるんだもんね』
その言葉に、ちくりと胸を刺された。
胸を張った返事が出来ない自分が情けなかった。
自分の道・・・。
モデルを始めたのは、そんな高尚なものなんかじゃないんだ、と
本当のことを言ってしまえば、先生は軽蔑するだろうか。
恵太はそんなことを思いながら、口ごもった。
「あれ?もしもーし、聞こえてる?おーい」
反応のなかった恵太に、電波状況が悪いのかと思ったのだろう。
亜子が少し、声を上げて問いかけてきた。
「あ、大丈夫。聞こえた」
気まずさから、亜子の話にそのまま乗った。
「じゃ、そろそろ職員室、戻るね」
「うん。俺も、もうバス」
バスの停留所が見えてきたところで、そう口にした。
「また、明日ね」
いつもの、弾むような亜子の口調。
きっとその先では、小さな顔いっぱいに笑顔を咲かせているのだろう。
「ん。また明日。じゃ・・・」
「あ、待って!」
電話を切ろうとしたとき、亜子の声が呼び止めた。
「何?」
「最近忙しいみたいだし…あんまり無理しないでね」
恵太はその言葉にまた、胸が締め付けられる。
無理するほど、自分は…。
何かを言いたい衝動をぐっと堪えて
明るい声を作ってみせた。
「ありがとう」
そう言って電話を切ると一つ、小さな溜息を吐いた。
日は随分傾き、バスを待つ長身の恵太の影は、
さらに長く背を伸ばして横たわっていた。
それはまるで、実物以上の『諫山恵太』が
勝手に大きくなっていく様を表しているようで
捉えどころのない不安が、恵太の中にもじわり、と広がっていた。