19・最初の晩餐 1
偶然互いに出てきた、アルト・サックスの巨匠。デビッド・サンボーン。
自分の好きなサックス奏者の名前を冠するレストランを発見し、
恵太はまるで最初から知っていたかのように、そこへ心を決めた。
一方の亜子は『初めての店』という、ありがちな壁に
最初こそ躊躇したが、恵太のたまには冒険してもいいんじゃない?という言葉に
おずおずとついて行った。
木の薫りがほのかに漂う空間。
ジャズの流れる落ち着いたレストランだった。
ブラウンと白を基調とした、ナチュラルな店内。
食事時が落ち着き、数組の客と、常連らしい客が、木製の小さなカウンターで
ワイン片手に小皿の料理に舌鼓を打っているような状態だった。
人のよさそうな豊かにひげを蓄えた中年の店主。
居酒屋のように特別声を張り上げるわけでもなく、
微笑みながら、いらっしゃい、と声をかけると。
黒いロングエプロンの紐を、前できゅっと結んだ
女性の店員が、笑顔で一番奥の
角にあるテーブルへと二人を案内した。
どうやら好きなピザかパスタを1品選び、
そこにソフトドリンクバーとサラダバイキングがついてくるがついてくるというのが
基本スタイルらしい。
静かすぎず騒がしすぎず。
そのなんともいえない空気感と心地よい音楽。
料理に期待を弾ませるおいしそうな匂いに、
亜子も安堵したような、ホッとした笑顔を見せた。
「いい雰囲気のお店ね」
「そう?良かった」
恵太は店員から受け取ったメニューを亜子側に向け直しながら
柔らかに笑った。
「なににする?」
「わぁ・・・。どれもおいしそうね。悩むなぁ」
メニューを覗き込む亜子。
亜子の華奢な腕に寄り添うように付いている
今にも切れそうな、繊細なブレスレットが、しゃらり、と
音にならない音を立ててメニューの上へと横たわった。
傷一つない、細い指。
透けるような白くて、柔らかそうな肌。
何も付けていないが、手入れはされているそのままの爪。
亜子らしいと思った。
手の動き、揺れる髪。
楽しそうに動いている、恐らくグロスだけの唇。
無意識のうちに目で追ってしまっている自分に
恵太も、なんとなく気がついていた。
そわそわと落ち着きのない、なんとも居心地の悪いようで
なのにどこか楽しいような。
今までとは違う高揚感に、ただただ身を預けていた。
結局、ピザとパスタで真剣に悩む優柔不断の亜子を気遣って
お互いピザとパスタを1品ずつそれぞれ頼んで半分こしよう。
ということで決着がついた。
その提案に亜子は嬉しそうに。
本当に嬉しそうに「恵太君、頭いい!!」と、顔をくしゃくしゃにして笑った。
食事を楽しみながら、二人でいろんな話をした。
亜子は高校の頃、尊敬していた先生に借りたジャズのCDがきっかけで、
すっかり傾倒してっしまったと言った。
「唯一の功績は高校の合唱コンクールで伴奏したこと!!」と笑いつつ、
小さいころからピアノを習っていたらしい。
今日の飲み会も、そのサークルの先輩・後輩でのものだった。
一方の恵太も、親の影響で自分でも長いことアルト・サックスを習っていた。
「男子たるもの、楽器の一つも嗜んでいないでどうする!!」という、なんとも身勝手な
持論を持つ、母である樹。
様々な音楽や楽器に触れさせ、アルト・サックスに興味を持った恵太を
嬉々として、教室にぶち込んだという経緯は伏せておいたが。
「ほっかぁ、ほれで、サンボーン、ひってるんだね」
口に運んだパスタが熱かったらしく、少し顔を上げ
口をパクパクしながら、はふはふと話す。
「ぷっ、先生、酸欠の金魚みたい」
思わず吹き出した恵太。
「ひどっ、らって、あふくて・・・。れも、おいひいから・・・」
顔を真っ赤にして怒ってみせるものの
口に運んだ量が適切ではなかったらしく、まだ飲み込めずに
反論も半分といったところだった。