ウ
~時は元禄十四年、霜月のお話~
「挟まっていたのか?」
その手紙を見つけたのは明け六ぐらいで、見つけたのが門番と聞けば、あった場所は容易に想像がついた。
・・・傾きが逆ではなくて良かったな。
歴史のある、といえば聞こえがいいが、はっきり言ってしまえば古いだけの屋敷の門は、閉めるのに苦労するほどではないが、上に開いた隙間が下に行くに従って狭くなっており、もしそれが反対だったら挟まれた紙は、外れてどこかへ飛んで行ってしまっていただろう。
まあ、その方が手間にならなかったか?
いやいや。
渡された紙は漉きこまれた繊維も目にまぶしい純白。
そこに“ウ”と墨痕鮮やか書かれている。
その下が無いのは・・・、一目で密書と知られない為か?
どう見ても、いたずらで作られたものではない。
こうして、その手紙は評定の場に持ち込まれる事になった。
□□□
すっ。というのは音ではない。
しいて言うなれば気配だろうか。
一段高くなった畳の上に藩主が現れると同時に頭を一斉に下げるのは家来として当たり前であり、その時に余計な音を立てないのもまた、当たり前の事であった。
「楽にしてよい」
とはいえ、毎日繰り返す事である。
気を張りっぱなしではなんなので、最初の礼が終われば、空気がそう張り詰めるわけでもない。
「それで、何かあったとか?」
むしろ砕けた様子で問いかけられた家来は、「はっ」と短く返事をして件の手紙を、藩主へと捧げ持った。
「うむ、して?」
当然、藩主は何が仕込まれているかわからない手紙を受け取ったりはしない。
読め、と命じられたと受け取った家来が包み紙を剥がし、サッと手を振るとパッと巻き紙が広がった。
少々芝居がかった様子に藩主も身をのりだし、「これは?」と、声が漏らされ、となりの藩士が覗き込めば、その体の傾きもますというものだった。
「かかる仕儀により、赤穂の浪士が討ち入りを計画している、と?」
「はっ。ゆめゆめ御油断召されるな、と」
自分が藩主に忠告するなど。
読んだだけの家来が恐縮しているのを眺めながら藩主は、額を無意識に撫でながらあの大騒動を思い起こしていた。
□□□
「この間の遺恨覚えたか!」
本当か嘘かは定かではないが、その叫びが発せられたのは、元禄十四年の江戸城であった。
叫んだのは、赤穂藩主浅野内匠頭長矩。
叫ばれたのは、高家吉良上野介義央。
場所は松の描かれた大廊下。
旧暦のホワイトデーの出来事であった。
「えー。朝廷の使者が来てるのにー」と時の将軍が言ったかも定かではない───というか、たぶん言ってない───が、面目を潰された彼が激怒したのは定かである。
「いや、聞いて! 理由聞いてー」。
現代の歴史学者の声は届くことなく赤穂藩主は即日切腹。
吉良上野介は咎め無しどころか、将軍から見舞いの言葉までかけられている。
「喧嘩両成敗が、という話もありましたな」
「何でだ? 喧嘩にもなっておらんだろう」
浅野内匠頭が三十代半ばなら吉良上野介は六十。
喧嘩にもならなかった理由としては十分だろう。
「よくぞ、こらえましたな」
「左様、さよう」
吉良が無理に応戦しようと小刀を抜かなかったのも大きい。
結局のところ吉良を恨む赤穂の浪士の思いは逆恨みであり、迷惑でしかなかった。
が。
□□□
「しかし、何故当家に密書が?」
家来が疑問に思うのも無理は無い。
そして、藩主の顔にもキズは無い。
吉良邸は───。
ここではなかった。
近所ではあった。
道一本道向こうであった。
「間違い、でござろうか?」
江戸時代、門に表札という習慣はなかった。
なら何で家を確認したかといえば、そう門番である。
木の板一枚で済むところに人を立たせるのを余裕と取るか、無駄と取るかは人それぞれだが問題はあった。
そう、門が閉まっている時間=夜だと確認のしようがないのである。
「道は違えど、似たような場所であるしな」
「明るければともかく、暗ければ・・・」
指南した相手からお礼が届く高家とは違い、こちらの壁や門は・・・、言わぬが花である。
「そうとなれば、早速届けに」
赤穂浪士の討ち入りがいつになるのかはわからない。明るいうちから行動を起こすとも思えないが、のんびりしていて、襲撃に間に合わなくなっても後味が悪い。
「では、それでよろしいですかな? 殿?」
藩主の顔が悪い。もとい顔色が悪い。
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参勤交代は有名な制度である。
が。
大名が一年おきに治めている藩と江戸を往復する事までは知っていても、江戸にきた大名が何をしているかまではあまり知られていない。
「まあ、ガヤなんだけどね」
「何か申されたか?」
地元ではトップでも、お城にくればほ、ぼまわり全員似たり寄ったりである。
そんな殿様が集まって何をするかといえば、もっと偉い殿様のご要望に従うのだ。
具体的には。
将軍に謁見。
儀式に参列。
呼んだだけ。
決められた日時に登城するのが一番大事であり、控えの間で弁当を食べて帰る、なんて日もあったりする。
しかも弁当は大部分が白米。
・・・参勤交代が何で行われていたか考えればわかるとおり、あんまり派手なおかずは、ね。
「おおっ。焼き魚でござるか!」
「国元から届きましてな」
動物性たんぱく質、・・・江戸時代には無い呼び方のおかずなんかが入ってた日には。
「少しお分けしましょうか?」
一躍、注目の的である。
ほぼヒーローである。
本日の主役である。
「実は、私も。挟んでましてな」
「おおっ。海苔でござるか!」
「ささ、どうぞ」
楽しげな二人以外にもう一人・・・。
「・・・」
白飯=交換するおかずが無い弁当を手に、顔を伏せ、肩を震わせていたのは・・・。
赤穂藩主だったような。
内匠頭だったような。
浅野だったような。
「せ、拙者、ちょっと席を外しますな!」
「あっ、ずるい」
ちょうど立ち上がったかどうかのタイミングで。
「高家吉良上野介様はいらっしゃいますか?」と呼び出しがかかったのは。
・・・誤解を招いていなかっただろうか?
□□□
「殿?」
「ああ、早く届けに行くが良い」
命を受けた家来が立ち上がった。
「あ、それと」
「?」
「助力は惜しまぬ、とも伝えよ」
なぜ、家が?
とはいえ、主君の命令は絶対であった。