9
初めて私が殺した魔物は、低級レベルの角兎だった。
角兎とはその名の通り、角が生えたうさぎのような見た目でサイズも小さい。
しかし普通のうさぎとは違って肉食であり人を襲う。
きっかけは大型の魔物と戦っている仲間達の影から、いつも通り魔法を練り上げている時だった。
少し後ろで呪文を唱えていた私の視界に、その魔物が背後から狙っているのが映る。
彼らは私を背にして戦っており、その角兎に気付かない。
声を上げようにもその大型魔物は手強く、みんな手一杯だった。その隙に角兎が踏み込むのを見た瞬間、とっさに私は攻撃魔法を詠唱していた。
魔法は魔力を込めて詠唱を唱えると同時に対称を指差せば発動させられるので、問題なくその攻撃は魔物に当たる。
「ギュアア!!」
魔法は見事命中し、角兎は絶命した。
その数分後仲間達も無事大型魔物を倒し、私に駆け寄ってくる。
「ヒカリ!やったな!」
「よく頑張った」
「ようやくだけどね」
キースが嬉しそうに私の肩を叩く。
仲間の騎士もほっとした表情で褒め、弓使いもぶっきらぼうな言葉を言ってくるが表情は笑顔だった。
みんな優しい。私が魔物を倒せない日々が長く続いても、表立って責めることはなかった。
だからこそ、低級だけど初めて魔物を倒した私にこんなにも喜んでくれている。
「ありがとう。これから頑張るね」
だから私は笑顔で答えた。震える両手を後ろに隠しながら。
ーーーーー
しん、と静まり返る部屋の中。
キースはそんなこと言われると思ってもみなかったと目を見開いている。
「・・・な、なんでそんな怒るんだよ」
旅の途中、私は一度も怒った事は無い。城での生活の時も悲しみに暮れはしたが、怒ったのは最後の謁見の日だけだった気がする。
だからこそ余計にキースは驚いているのだろう。
「キース」
「みんな突然いなくなったヒカリを心配してたんだぞ。顔ぐらい見せてやれよ」
「キース!」
今までほこほこと嬉しそうに紅茶を飲んでいた王子様はキースの言葉を遮ると、ガッと胸元を掴み外に連れ去って行った。
・・・最近は胸ぐらを掴み上げるのが王都の流行なのだろうか。
一人きりになった部屋で、ふうと息を吐き出した。
ふと視界に入った拳が震えている。どうやら怒りで握りしめていたらしい。
手を開いてぼんやりと見つめる。
思い出すのは初めて魔物を倒した時のこと。
光属性の攻撃魔法は特殊であり、それを魔物に当てると灰になって絶命する。
炎などの火属性だとその名の通り火炎で倒すことになり結構グロいので、その点は光属性を持っていてマシと言えた。
しかし今まで目の前で生きていた命を自分の手で消したという事実が、たとえ人に害をなす害獣であってもとても恐ろしく感じた。
そして何よりも辛かったのは、角兎は凶悪な顔をしていたが見た目は元の世界のうさぎによく似ていたことだ。
私は学生時代、実家でうさぎを飼っていた。そのこは私が大学生の時に亡くなってしまったけれど、10年間とうさぎにしては長く生きてくれた。
うさぎは犬猫ほど懐いてくれないと言うが、小学校の時に習っていたピアノを家で練習する時は必ず耳をピンと立て、ケージのギリギリまで近づいて聞いていた。
いつも食べることしか興味がないのに、私がピアノを弾くといつも目を閉じながら聞いているのがとても可愛かった。
そんな姿が可愛くて愛おしくて。寿命がきた時はとても悲しかった。今でも時々思い出しては切なくなるほどに。
だからこそ初めて生き物を殺したと言う感情と共に、倒した魔物がうさぎに似た生き物だったことは割と私の心を抉った。
でも同時に前の村で見せられた苦しみに喘ぐ人々や、墓地がいくつも連なる光景が頭に浮かぶ。
魔物を倒すと仲間に宣言した以上、これ以上お荷物にはなれない。
早く魔王を倒さないとその文字通り、日々人が死んでいくのだ。
感情が込み上げるけど、呑み込んで前に進むしか無い。
仲間に讃えられた後、私はこっそり泣きながら木陰で吐いていた。
その後様子を見にきた王子様が来て慰めてくれたっけ。
今ではそれは偽りの姿なのだと分かっているが、あの時は支えてくれる王子様の存在がとても有り難かった。
壊れそうになる心に、きつく抱きしめてくれる王子様の体温がただただ温かかった。
「・・・はあ」
二人が出て行った扉を眺め、ため息を吐く。
今ではもう多くの魔物を打ち取り、初めの頃感じていた嫌悪感は無くなった。
代わりに何かを失った気がするが、変わらなければ生きていけなかった。
私に求められた役割はそれなのだから。
それを演じなければ捨てられる。元の世界に戻れなくなる。
実は、聖女召喚は膨大な時間と労力が掛かるので滅多にやらないが、必ずしも私じゃなくてもいいらしい。
一般教養の授業で、聖女に纏わる歴史の授業の時にそう聞かされた。
召喚魔法は数年掛けて貯めた魔力を使うため頻繁に実行出来ないが、複数人聖女がいても構わないのだ。
実際は魔物被害の多いこの世情では、怪我人の治療や魔物討伐に優先的に魔力が使われる。
世界的に魔力不足であるので、聖女がいる中での2回目の召喚は現実的ではない。
しかし不可能では無いのだ。
聖女は、唯一ではない。
それが、当時私は一番怖かった。
だって不要だと判断されたら、切り捨てられる。
2回目の召喚のために膨大な魔力を貯めたとして、それを実行されたら私の帰還魔法はどうなるのか。
きっと帰還魔法も召喚魔法と同じくらいの魔力がいるはずだ。
新しい聖女が来たら、低級魔物さえ倒せない私なんて不要になる。
役に立たなかった用無し聖女のために、その貴重な魔力が使われる事は果たしてあるのだろうか。
この国の国民でない私には保証が何もない。金も人脈も私を守ってくれる法律も、この世界には何も無いのだ。
新しく召喚されたらその人が可哀想という感情が全く無い訳ではなかったが、正直自分の保身を心配する気持ちの方が強かった。
だから私は自分の気持ちを抑え付けてでも、魔物殺しに慣れていくしかなかった。
何か自分の中の大切なものが壊れていくような、そしてもう知らなかった頃には戻れないとどこか分かっていながらも。
ただただ報酬の帰還だけを夢に見て、痛みを呑み込んだ。