2-1
「エル?」
朝、私は柔らかな風が頬をくすぐる感覚で目が覚めた。差し込む光の先を見れば、エルが窓を少し開けている。
「ごめん、起こした?」
「ううん。丁度起きる時間だったから」
まだ少し霞む視界のまま近づくと、エルの掌の上で小鳥がパンくずを啄んでいた。
「可愛い。森の子?」
「いや、ジェイクの伝書鳩だよ」
エルはそう言って、小鳥へと視線を落とす。朝日に照らされたその横顔は、どこか絵画のようだった。
「ジェイク……?」
「王家の騎士だよ。……一緒に旅をしただろう?」
「……あ。あの寡黙な人」
村にそんな名前の人いたっけ……? と首を傾げる私にエルが少し呆れ気味に言う。仕方ないではないか。もう何年前のことだと思っているんだ。確かに旅の間はお世話になったし、ちょっと度忘れしてしまったのは申し訳ないが。だってあまり話したこと無かったんだもん……!
「ごめんね、どうしても必要な連絡は取れるようにしているんだ。この村では情報は手に入りにくいから」
「別にいいよ。もう前みたいに思ってないから」
お腹を満たして満足したらしい小鳥は、ひと鳴きして窓の外へ飛び立った。
「何が書いてあるの? あ、聞いていいやつ?」
「気にしないで。光なら構わないよ」
くるくると巻かれた小さな紙片を広げながら、エルはそっと私の肩を抱き寄せた。
「これは暗号だから読んであげる」
「暗号!」
心躍るその言葉にわくわくして、エルの膝に手を置いて紙を覗き込む。自動翻訳機能は聞くこととと話すことに対応出来るのだが、読み取りには機能しないのだ。
「ふふ。えーっと……」
エルは軽く私の頭に口付けてから、手紙に目を走らせた。だが、読み進めるうちにその表情が段々硬くなる。
「エル……?」
なんとなく悪い予感がして、彼を仰ぎ見る。困っているというより、何か感情を押し込んでいるように見えた。旅をしていた頃の、あの空気に似ている。久しぶりの雰囲気に胸騒ぎがした。
「……ああ、ごめん。隠したら余計に不安になるだろうから、そのまま伝えるよ」
「うん」
前のように隠されるより、ずっと良い。肩に置かれた手がわずかに強くなる。私はその胸元に頭を預けた。
「隣国動向 不穏。聖女確保の動き 兆候あり。会談では冗談扱い。本気の可能性 高し。警戒されたし」
「??」
硬質な言葉に首を傾げる。すると難しい顔をしていたエルが笑い、空気が少し和らぐ。
「つまり隣国の動きがきな臭いらしい。どうやら聖女を確保する動きが出てきているようだ。今は本城での国家間会談で冗談として流されたが……本気の可能性が高い、ということだ」
「なるほど」
聖女召喚の術がこの世界から消えて、数年。
魔王の残滓への対応に追われていた各国も、ようやく余裕が出てきたのだろう。
余裕が生まれれば、欲が動く。
これは願いを考えた時から分かっていたことだ。
「魔王がいなくなって、権力者たちは人と争うようになった。元々人同士の争いが無かったとは言わないが、ここ数年で増えている」
「…………」
「元々聖女を召喚した国はそれに利用する魔力を大量消費するから魔王を倒した後、他国に狙われやすい。だから魔王を倒す役目を負った私とは別に、国を守る国王と王太子は城に残る。魔物と他国の人間から国を守るためにね」
「でも援助をするのが国際ルールなんでしょう?」
「……表向きはね。世界は全員が同じ方向を向いているわけじゃない。中には魔物の被害や人災に対応できず、弱った他国の資産を奪うために戦争を仕掛ける国もある、ということだよ」
「でもそんな事したら、次に自分の国が聖女を召喚するとき助けてもらえないんじゃない?」
「残念ながら、そういった国での聖女召喚は推奨されていない。……召喚方法を共有したら独り占めされ、聖女を独占されるからね。それに、聖女召喚は百年に一度。その頃に当事者はこの世にいないんだよ」
「うー……」
この世界には世界の中心となる程の影響力を持った大国は無い。いくつもの国が同盟を結びある程度の秩序を守ってはいるが、中にはそれに従わない国もあるということだ。
「政治の世界は難しいよ」
「関わらないのが一番さ」
「でも、そう言っていられない事態になりそうなんでしょ?」
「…………」
エルと私の存在は、この国の王様に黙認されている。恐らく彼なりの想いがあるのだろう。勿論私達も森の奥深くに移り住みひっそりと暮らしているのだけど、今までそれが成り立っているのは彼のおかげでもあると思っている。……もしかしたらエルが裏で手を打っているのかもしれないが。
「エル?」
さて、これからどうするかと考えていれば、エルにぎゅうと強く抱きしめられた。腕の中に閉じ込めるような態勢で、彼の顔は見れない。
「……ごめん」
「え?」
耳元に落ちる、かすれた声。
「どうしたの? 元々予想してたことじゃん。エルのせいじゃないでしょ」
「…………」
さらに腕に力を込めてくる彼にまたか、と思う。たまにこうやって沈んでしまう事があるのだ。城にいた時には見せなかった彼の一面。みんなが恐怖する竜にも平然と立ち向かう彼は、意外にも凹みやすい。一緒に生活するまで知らなかった、私だけが知っている彼の一部だ。
「見つかったら私の転移魔法で逃げればいいじゃん。また旅をしてもいいし」
「…………」
ポンポンと落ち着かせるように腕を優しく叩く。
「今度は一人で出て行かないし、一人にして置いて行ったりしないから」
「…………」
「ずっと一緒だよ」
「……っ」
「わ」
その瞬間体がふわりと浮き、正面から抱き直された。急な浮遊感と締め付けに驚くが、愛おしさの方が勝る。なんだか私は胸が熱くなり、彼の頭をそっと胸に抱き寄せた。




