番外 α-2 ~とある二人のメリーバッドエンド~
異形との生活は決して平穏なものではなかった。この仔は僕を攻撃しないけど、守ろうともしなかった。まあ僕が無理矢理付いてきているようなものなので、不満なんてないけれど。
食事や衣類は自分で調達しないとならないし、細々としたことに異形は無関心だった。
どうやらこの仔は食事出来なくもないが、何も食べなくても問題ないようだ。
「不思議な存在だなあ」
未だ、僕はこの仔がどういう存在なのかは分からない。見た目からスライム系の魔物だろうか。
異形は何か目的があるようで、場所を移動しながら人間を襲っている。かといっていくつかの村や町、こちらに気付かなかった旅人には無関心で、どうやら無差別で襲撃しているわけではないようだ。
その選別基準は未だ謎だが、人を襲っている最中近くに僕がいるのを嫌がる。だから邪魔にならないよう、戻ってくる事を条件にその間は離れた場所で待っている。多分煩わしいのかもしれない。
けれどそれも数か月、数年経つと異形と僕の関係も変化していた。
「えへへ。今日寒いから一緒に寝たい」
『…………』
言葉も表情も無いのに、異形が溜め息を吐いているのが分かった。それでも出会った当時のように無視しない異形に頬が緩む。
異形は僕が離れようとしない事を理解してから、少し情を持つようになったようだ。といっても単純に断るのが面倒でこちらの要望を受け入れているだけかもしれないが。
けれどそれだけじゃないのを僕は知っている。
異形の触手は元々温度など無いのだが、僕が寒いと言ったからか今は人肌並に温かい。その上普段人や建物を押しつぶす固さなのに、今僕を包む感触はウォーターベッドのように柔らかだ。
僕とは姿も違うし言葉も話さない生き物だけど、生まれて初めて貰うその優しさが言い表せないほど嬉しかった。
「ありがとう。おやすみ」
『…………』
他人から見たらきっと捕食寸前に見えるだろう。けれど実際は至り尽せりの心地よい空間だ。安心して眠れる温かい場所、包み込むような柔らかさ。そして初めて自分を救ってくれた存在。
「……ああ、ずっと一緒にいたいなあ」
家族を知らない僕からしたら、ここは天国かと思うほど幸せな場所だった。
***
「……ヒッ」
ある日、僕は異形から離れて一人街にいた。理由は単純、いつも世話になっているあの仔に何かプレゼントしたかったのだ。
お金はあまり持ってなかったけれど、旅の先々で見つけた珍しい石や異形が倒した魔物の素材を売って金を得た。
装飾品は喜ぶか分からなかったので、甘いお菓子を買って帰ろうと思ったのだ。
あの仔は食事は不要だが、食べられない訳はない。最近は僕に合わせて食事を取っている。こっそり観察していれば味覚はあるようで、食べ物の中でも特に甘い物を好むようだった。
だからせっかく寄ったこの大きな街で、お菓子をお土産に買って帰ろうと思ったのだ。
しかし両手に沢山のおかしを抱えて店を出た所で、甲冑に身を包んだ兵たちに囲まれどこかに連れ去られてしまった。
「こいつか?」
「はい。僅かですが生体反応が違います。おそらく最後の薬を投与されてなかった個体でしょう」
「そいつは幸運だ。あの薬品は彼女以外適用出来ずに死んでしまったからな。あれは失敗だった」
何の話をしているのだろうか。尋ねたいけど白衣を着たその姿は幼少期のトラウマを思い出し、ガクガクと体を震わせることしか出来なかった。
「でもまあ……ここに前段階まで投薬されたサンプルがいる。記録はあの研究所ごとアイツに燃やされたが、こいつからデータを取れば再検証出来るだろう」
「解剖しますか?」
「いや、まずは治験とテスト反応からだ」
「わかりました」
「一通りデータが取れたら例の薬の投与しよう。それであの研究所で何が起きたか分かるはずだ」
学がない僕には難しい単語は分からない。
「……ゃ、めて」
けれどこちらに手を伸ばす様はとても恐ろしく、ただ固まってそれを見つめる事しか出来なかった。
ーーガァン!!
「!」
研究員が僕に触れる寸前、見慣れた桃色の触手が目の前にしなった。
「ウギャアアア!! 手がああ!!」
叩きつけられた衝撃で床の一部が壊れ、砂埃が舞う。吹き飛んだ腕を抑えながら泣き叫ぶ男を背景に、僕は目の前に現れた異形の姿に安堵して涙が零れ落ちた。
ーー助けに来てくれた。
「……グスッ」
『…………』
異形は三本の触手で僕を抱え込むと、残りの手足で周りの人々を薙ぎ払い檻を壊して外に出る。
周囲では阿鼻叫喚といったような光景が広がり、絶叫がこだまする。血と肉が舞う地獄絵図のような中、僕は笑顔で頭を撫でる触手を抱きしめた。
「えへへ」
怖かった。けれどそれ以上にこの仔が僕を助けに来てくれたことが何よりも嬉しかった。
今までは僕が異形を追い回していたような形だったけれど、この仔から僕を探しに来てくれたのは初めてだった。
異形は僕を追い払いはしないけれど、いなくなれば待たずにさっさと次の町へ行くと思っていたからだ。
自分だけが異形を大切に思っていたわけではなかったという事実を知れて、嬉しい。
「助けに来てくれてありがとう。大好き」
『…………』
抱きしめていた触手にギュッと力を入れて呟いた。
まるで泣いている幼子を慰めるようによしよしと背中を撫でていた別の触手がピタリと止まる。けれど数秒後に一定のリズムでその動きを再開した。
その動作が優しくて、嬉しくて。
周りは悲鳴の大合唱なのに、この場所だけは穏やかな空気が流れていた。