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「最初の一年は平気だった」
暖炉の火が揺れるのをぼんやり眺めながら、そう呟いた。
「こんな最低な人たちなんかと仲良くするくらいなら、一人で生きた方がましだと思ってた」
両手で握り込んだマグカップの熱を感じながら、あの頃の心情を思い出す。
「毎日夢を見てると思っては目が覚めた。
だけどこれは現実で。
そんな夢か現実か分からない状況を繰り返し暫く続けていると、その内怒りの感情が湧き上がりはじめた。
あの時は本当に酷かった。多分光魔法以外の力を持っていたら暴れ回ってたかもしれないと思う程。
この世界には召喚に関係無い親切な人もいるのに。
・・私の為に骨も肉も砕いてでも守ってる人がいた事も忘れる位に、全てが憎かった。
憎悪を一人抱き続ける日が何日も何ヶ月も続くと、次は自分を責めた。
あの日、あの場所に行かなければ。あの日々をもっと大切にして、大切な人たちに大好きと伝えればよかった。
・・この世界で恋なんてしなければよかった。
この世界の人たちの涙を思い出してしまう心なんていらなかった。怒っているのに、悲しんでいるのに。情を残してしまっている自分が腹立たしかった。
この間にも、私の家族は苦しんでいるかもしれないのに。私がこの世界で一日過ごす度、家族がやつれていくと思うと焦る気持ちと、でも何も出来ない無力さが悔しくて」
きゅう、とマグカップを握り締める。
「・・自分を一番責めてたんだ」
「ヒカリ・・」
憎しみと悲しみと酷い焦燥感。あと一歩闇に染まり切れずに、家に閉じこもって復讐すら出来ない自分が大嫌いだった。
「それからは鬱真っしぐらだったよ。抑うつが近かったのかな。
それからは思考を停止した。何を思っても辛くて。恋も、人の涙も、家族への懺悔だって。何かを考えると苦しい事しかない。
・・たまに。全てから逃げたくなる衝動は何度かあったけれど、それをしたら絶対に家族に会えなくなると思ってたから、出来なかった。
もしかしたら、もしかしたらさ。この国に呼ばれたように奇跡が起きて、元の世界に戻るかもしれないって心のどこかで期待してたんだ。そんな事、限りなく可能性が低いなんて分かっているけど。
けれど、自分で終わらせたら確実にゼロパーセントじゃん。
さみしい、会いたい。でもそれが叶わないなら、せめて自分が生きている事だけでも伝えたい。
四年の年月で、もう私が帰れないことは何となく理解していた。けれど納得したからといって、家族を諦めていいはずがない。
そう決意してからは、ベッドから立ち上がって魔法の練習をした。転移魔法と聖女だけが使える光魔法が何か奇跡を起こさないかって。
暫く一人で修行したけれど大きな成果は無く、他者への魔力干渉の練習もかねて小さな治療院を開いた」
パチリ、と暖炉で火花が散る。
「そんな中、貴方が来た」
久しぶりに感情が爆発した。前向きを装っていた気持ちは消え、長く押さえつけていた気持ちが溢れかえる。憎しみ、怒り、悲しみ、恋情、苦しさ、破壊衝動。一言では言い表せない感情が自分の中をグルグルと回り、何も出来なかった。三日後、あなたの一言でとりあえず殴るという選択肢を選ぶのだけど。
だけど今思えば・・。
「・・・・」
「そんな顔しないで。今は・・貴方が会いに来てくれて、良かったと思えるから」
私の椅子に徹していた元王子様は、慰めも私の名前も言えないようだ。
そんな彼に苦笑しながら、頬を撫でる。
「・・っ」
くしゃりと端正な顔を歪ませるが、口を食い縛り嗚咽を出さないように必死に我慢する可愛い人。この人は一緒に過ごしてから、ただの一度も私の前で涙を流さない。まるで自分には泣く権利など無いと言うかのように。
・・その動作でバレバレなのにね。
最初は恨んでいた。けれど今は本当に良かったと思っている。きっと彼との再会が無ければ、私はあの少年に会う事は無かった。家族の無事を知らないまま、この世界で苦しみを抱きながら生きて、死んでいっただろう。
あの少年に会うトリガーは激しい感情の起伏だと言った。もしエルと出会わなかったら、もしエルがあの条件を呑まなかったら。あの日ボロボロになるまで己の罪に苛まれている彼に私が気付かなかったら。今頃私は表面上平気な顔して、辛い事を極力思い出さないようにしてこの世界を生きていただろう。
「泣かないで」
「・・泣いていない」
説得力の無い潤んだ瞳で言っても説得力が無い。
「・・・・」
「苦しいよ」
ぎゅうと抱きしめる彼の背中をぽんぽんと叩く。マグカップを近くのテーブルに置き、今日伝えたかった事を話す。
「家族に会ってもいいよ」
その瞬間引っ付いていた体が引き離され、肩に手を置かれた。
「・・っ、・・・・。・・それは、出来ない」
「んーん。いいの」
何かを言いかけ口をパクパクした後、一度強く引結ばれた。そして出てきたのは否定の一言。
「・・私は貴女から・・全てを奪った。こうして一緒に過ごし、触れる許可があるだけで奇跡だと思っている。・・だから、これ以上。ヒカリは私に与えなくていい」
「私がいいって言ってるのに?」
くそ真面目か。まあ、そこでラッキーと済まさないからこそ、なんだけどね。彼があの旅で、何を抱えて、何を思っていたのかは少年から聞いた内容しか知らない。エルは語らないし、私も無理に聞き出そうとは思ってないからそれでいい。
だけど、この人は私を苦痛にあわせたからと言って奴隷に落ちてくるし、私から全てを奪ったからと言って自分も全てを捨ててしまう人なのだ。実際、エルが王城から去ってそろそろ五年。・・私がこの世界に落とされて、家族の無事を知った年月と同じ時が経った。
「だから、会ってもいいよ。・・いいんだよ」
「しかし・・!」
ガシッと腕を強く掴まれる。いつもは優しく、でも恐る恐る触れるので無意識だと分かる。
「家族に会ったからってもう離れてなんて言わないよ」
文字通り全てを捨てて来た王子様。地位も、名声も、家族や仲間、産まれてからずっと命を掛けて守ってきた国の人々全部を置いてきた。
・・ただ私の側に居たいというだけで。
世界から召喚術が失われたあの日、私とエルは新しい土地へと家ごと転移した。勿論、エルは王様や王妃様、王太子家族に一度も会わずに。
時々こっそり転移で王城を覗いた事があるけれど、彼らは聖女が永劫に失われ混乱した世界の中でも立派に国を動かしていた。けれど一方で、夜になれば人目を避けて泣いていたり、酒を浴びる様に飲まないと眠れなかったり、取り憑かれた様に政務に励んだりと様々だった。時折厳重に保管されている、エルの髪の毛を見つめては何かを呑み込むような表情をしていた。そんな思い詰めた状況とこの混沌とした世界の中で、彼らはあの国を一生懸命守っていた。エルと私の全てと引き換えに、平和を得た世界を再び壊さないように。
・・だから、もういいかなって思った。
「けれどっ私は! 私たちは・・!」
「よく考えたらさ。私の一番の願いだった、家族を心配させないってやつは叶ってるし」
思えば少年に出会ったタイミングで許せばよかったのかもしれない。けれど私は、彼らの苦しむ姿が見たかった。やっぱ聖女の本性は魔王ってあながち間違いじゃないのかもね。
「それは願いとは言わない! ・・奪っただけだ!」
エルの言葉に苦笑する。でも彼が私に尽くす度、王様達が悲しみながらも私達が守った国を一生懸命守る様を見る度に、違う感情も芽生え始めた。まだこの感情に名前をつけたくは無いけれど、会う事くらいは。・・許してもいいかなって思えた。
「だってまるで私の家族みたいなんだもん」
そう。王様や王妃様、その兄王子が頑張るその姿は私の記憶が無くならなかった場合の、私の家族のようだった。
それに、エル。あなただって、私に隠しているけれど本当は家族を安心させたいって思っている事は知っているよ。
「・・違う!」
穏やかな気持ちで笑ったら、エルに再び抱きしめられた。
「貴女は願いが叶ったと言うが、それは我々が奪っただけだ・・! 家族も、友人も、あの世界での生きた証も・・世界から記憶が無くなるってそういう事じゃないかっ・・」
背中にまわっている腕が震えている。
「城で聞かせてくれたあちらの世界の話、あちらに戻ったらやりたいと言っていた事。あの日、家族に会いたいと泣いた夜・・すべて!」
「・・・・」
「・・すべて、我々が奪ったんだぞ・・・・」
初めて聞いたエルの叫びに、なんだか胸がいっぱいになる。
人は忘れる生き物で、自分本位な生き物だ。
実際この十年で街の人々は徐々に私を忘れ、死闘を共にした仲間たちも、最初は何度か会いに来たがその後は来なくなった。当然だ。魔王がいなくなっても魔物は全滅するまで滅びない。破壊された街の復興や大切な人を失った人々の心のケアは必要だ。
対岸の火事よりも自分ごとの方が大事なのは仕方がない。それに私の事は知らなかったとはいえ彼らの汚点。嫌な事は早く忘れたいと思うのも、また人間だ。
だからこそ、十年経ってもそれを忘れていなかったエルに笑ってしまった。
「そんな気持ちでこの五年間一緒に居たの?」
「・・・・」
文字通り、全てを失った私は、これからの数十年を考えると気が狂いそうだった。
恋も、仲間も、街の人たちへの信頼も全て壊れていたこの世界の中で。家族も友達もいない私は、心休める場所も無いこの世界で独りで生きていき、独り死んでいくのだろうか。
最初は別によかった。こんな酷い世界の人たちと関わる位なら、一人でいた方がましだ。
けれど、何年か経つと次第に孤独感が際立った。自分の声も忘れる位、自分は何のために生きているのか分からなくなる位、長年の孤独とは想像以上に恐ろしいものだった。
元の世界に戻れないのは分かっていた。だけどこの世界で生きていくには不信感が強すぎた。
私を裏切った王様とエルを切り離して。心配はしてくれるけど違う最優先がある仲間たちとは分かり合えなくて。私の事情を知らない、あの聖女物語を盲信している街や村の人たちも当然信じられなくて。
それでもこの人だけは来てくれた。拒絶しても、泣き叫んで責め立てても全てを捨てて。私と同じ土俵に立ってから、私の側にいたいと・・それだけを願った。
「あなたって人は本当に・・」
肩口が濡れて冷たい。今でさえ歯を食いしばって嗚咽を我慢しているエルに、再び苦笑が漏れる。
「確かに、私は何もかも奪われて何も持ってない」
「・・っ」
「でも、残っているものもあるんだよ」
そこでやっとエルが顔を上げた。目は相変わらず潤んでいるが溢れていない。こやつ、私の服で拭いたな。
「・・?」
美しいのに若干残念な男に少し憐れむ気持ちを抱きながら、歯を食いしばって声が出せないエルを見た。それは何? と問うようにコテンと首を傾げる様は可愛いなと思える今の自分に、後悔は無い。
「"光"」
それはこの世界のみんなが呼ぶ発音でなく、私の世界での発音。
「私の名前」
「・・・・、」
美しい薄緑の瞳に、新しい涙が迫り上がる。
「私の国ではね、名前一つ一つに意味が込められているんだよ」
この世界ではまるで皮肉のようだったけれど。
「この名前はね、親が付けてくれたんだ」
「・・っ、・・っ」
口を必死に結んでいるが、時折漏れる嗚咽でそろそろ開きそうだ。そんな彼に、苦笑では無い笑顔を向ける。家族を、思い出を愛しむ気持ちが素直に溢れた。
「意味は"どんな暗闇の中でも、決して光を見失わないように"」
たとえどこにいようとも、どんなに悲しいことがあっても。小さくてもいいから幸せを見つけて欲しいんだって。そう、小さい頃に教えてくれた。
「この名前は、紛れもなくあの世界で両親が私にくれたもの。・・たとえ私の事を忘れてしまっても」
この受け取った愛情は決して無くならない。
「ねぇ。だから・・」
「・・ぅ」
とうとうボロボロと泣き出した目の前の男の唇に指をそっと添える。
「"光"って、呼んでよ」
あなただけ。
あなただけに赦してあげる。
そして、そっと唇を近付けた。
本編はここでおしまい。
明日に12時と18時で補足を2話投稿して終わります。




