40
その日、世界中から異世界に関する全ての情報が失われた。
「何が起こった!」
「どういう事だ!!」
召喚陣や儀式に必要な知識。それに関わる物は文献、人の記憶、全てから同時期に消え去った。
「一つも資料は残ってないのか?!」
「記憶していた筈なのに・・! 思い出せない!」
突然の異常事態に各国が混乱する。
「次の魔王は誰が倒すんだ!」
恐慌に陥る人々。急遽開かれた各国の王が集まる世界会議では当然その話題が上がった。
どうするんだ誰がやったんだと実の無い議論がされていく。当然だ。今まで常識だった、人類滅亡の最後の防波堤が突然消えたのだ。パニックにもなる。
原因を探るも厳重に保管されていた資料や人の記憶、全てを同じタイミングで消すなどとても人間が出来る芸当ではない。
魔物の新しい能力ではないか、はたまた魔王ではない違う脅威が誕生したのかと議論は明後日の方向に向かっていく。
「もう一度全ての文献を調べ直せ! 魔法書だけじゃ無い。歴史、口伝、民謡、寝物語、全てだ!」
世界の危機という異常事態に、前代未聞の三日間寝ずの会合が続いた。それでも何も見つからず、何も進捗は無い。だんだんと正常な判断も厳しくなっていく中、やっと一つの報告が調査団から届いた。
「一つだけ! 新しい記述が発見されました・・!」
※※※
「世界は大混乱らしいよ」
コポコポと音を立てて紅茶を入れる。湯気が立ち、良い香りが広がるこの瞬間を気に入っていた。
「そうか」
向かいに座ってケーキを切り分けているエルにカップを渡す。
あの日、願いを叶えた日。私とエルは一度私の家に帰り、必要最低限のものを纏めてそのままとある山奥に、家ごと一緒に転移した。
色々考えて話し合った結果、一緒に暮らしている。
恋人の関係は無い。エルも必要以上に私に触れはしない。側にいたいと言った言葉は本当だったようで、ただ視界に入る範囲にいれば良いようだ。
あんなに嫌悪していたのに、今では不思議と負の感情は感じない。おそらくここ数日で色々ありすぎたせいだろう。
かと言って五年前に感じていた、身を焦がすような恋情も無いのだが。
私はエルに告白の返事をしていない。エルも欲しいとは思ってないようで、ただ側にいる。私が彼と暮らしてもいいと思った理由は、最初はただ都合が良かったからだ。魔物や動物を狩っても、私は皮を剥げないし肉も捌けない。宅配なんてないから森で手に入らない調味料や食品を運ぶのも私の力では一苦労だ。買う度に転移すれば良いかもしれないが、召喚術が失われたこの世界の今後の情勢を考えると人前でなるべく使いたくは無い。
ここはあの国からかなり離れた場所ではあるが、私が転移魔法を使える事は知られている。これから光魔法が失われる世界で聖女としての存在は隠しておきたい。
それに正直、少し絆された。私が離れようとするとまだ罰が足りないと言って、どこかへ向かおうとする。どこへとは言わないが、絶対心臓に悪い所なので阻止した。
何よりも家族の心配という、私の一番の心労が無くなった事で、それ以外の事が見えるようになった気がする。
いくら罪悪感があるといえど、普通はここまで懺悔し続けられる人はいない。忘れることは無いかもしれないが、年月と共に自分の生活に焦点が当たり、私の事を思い出す時間は少なくなっていくものだ。
それにこれは楽しい感情じゃない。人は嫌な事は早く忘れてしまいたい生き物だ。人はそんなに強く無い。私にとってはとても大事な事でも、他人から見たらお気の毒にと思う程度で、いずれ忘れて自分自身の人生を生きていくだろう。
実際キース達はエルと違って、もう暫く会っていない。別に会いたいわけじゃないからいいけれど。かつて命を預けあった仲間であっても、嫌われた相手にずっと心は砕けないだろう。
それに何も思わないわけじゃないけれど、そういうものだと理解はしている。
だから、いつまでも私を気遣うエルが異常なのだ。
彼は奴隷になって尊厳を捨てた。私に着いて行きたいという理由だけで家族と地位を捨てた。今日まで生きてきて培った全てを"ただ私の側にいたい"というちっぽけな願いのために捨てたのだ。
私たちの関係は、他人から見たらきっと健全ではない。けれどこれで私たちは納得している。
きっと美しい物語なら、闇に染まった聖女の心は優しい恋人や仲間たちの励ましに支えられ、この世界で大切なものを見つけて幸せになりましたとさって終わるのだろう。
けれど私は受け入れられない。私から全てを奪った人が、キレイなままでいくら優しい言葉をくれたって。何も響かないのだ。
慰める? お前たちが原因なのに。
元気出して? あなたたちの隣にいるのは家族かな。
君が悲しいと君の大切な人たちもきっと悲しいよ? 私は忘れられているんだよ。悲しんでなんか無いよ。
元気になって。悲しまないで。いい加減前を向きなよ。
それは私が自発的に思う事であって、あなたたちが言うことじゃない。
私に意見を言いたいのなら、同じ立場になってから言ってみてよ。
「・・これじゃあ、はじまりの魔王と同じだな」
苦笑して目の前のプチトマトを収穫した。
けれど実際そう言ったら誰もが口をつぐんで目の前からいなくなるだろう。
そりゃそうだ。家族も友達も。価値観や安全に生きていく権利も。描いていた未来も、積み上げてきた過去も全てを無くすなんて。たかが百年毎に必ずやってくる、赤の他人の異世界人なんかの為に出来やしないだろう。
命懸けで世界を救ったって。みんなが私を慰めるのは、目の前で落ち込む聖女様を見るのが気分良くないからだ。私のためじゃ無い。自分達が悪い事をしたと思いたく無いだけ。それだけの話だ。
「ヒカリ」
思考が沈みそうになった時、後ろからエルの声が聞こえた。
「何」
「いや、なんとなく」
エルは私に何も言わない。あれから魔王化の事も、あの国の事も、私達の今後についても何も聞かない。ただ何気ない日常を一緒に過ごしている。それが心地良い。
「・・・・」
「・・・・」
もじもじとそこから動かないエルにため息を吐いて声を掛けた。
「隣に来たら?」
「! ああ」
パアアと音が聞こえそうなくらい喜んで、エルは私の横にしゃがみ込む。元王子様が土いじり・・。
「ヒカリ、土付いてる」
「・・・・」
近寄る前は飼い主の機嫌を伺う子犬みたいなのに、近付いた後躊躇無く私に触る事に少し納得いかない。
だけど私も結局はエルが側にいることを許してしまっているので何も言わなかった。
エルは全てを捨てた。
最後に王様に会った日、私は彼に城に帰って良いと伝えた。もう彼には十分償って貰った。だからといって全てが無かったことにはならないが、彼がこの世界で一番私の心の傷に寄り添ってくれたからだ。
それにあんなに痩せた王様は、まるで記憶が無くならなかった場合の私の父だったかもしれないと思ったら、少し哀れに思った。
けれどエルの答えはノーで。城へは帰らず、家族や友人、国を全て捨てて、私に着いてくる事を選んだ。
今まで積み上げてきた王子としての時間、血と汗を流して積み上げた仲間との絆、全部をあの国に置いてきた。
実際にそこまでやってみせた彼の本気に、心が揺れた。
私が本当にあの物語に出てくる優しい聖女様なら、そこまでしなくていいと許容する場面だろう。
頭では分かってる。ここは天使のように微笑んで赦すべきだ。
でも五年の間抑制し続けた心は既に歪んでいて、今更真っ直ぐになんて治らない。
この胸に溢れたのは美しい慈愛の気持ちなんかじゃなくて、もっとドロドロした仄暗い喜びだった。
堕ちてきてくれた。私の為に。
そう理解した途端、歓喜した。
今までは憎いような、でも憎めないような気持ちがぐるぐると回ってどう接すれば良いのかよく分からなかった。けれどエルが本当に全てを手放した瞬間、その気持ちが名前を付けて固定された。それは狂喜だった。
私は前の世界の物を何も持ってない。家族も、生きた証さえも全てが無くなってしまった。あるのはこの体と名前だけ。
家族を心配させなくて良かったとは本当に思ってる。だけどこの何とも表現出来ない虚無感とは別問題だ。
きっとこの気持ちは私にしか理解出来ない。失った者だけにしか分からない。この孤独という名の絶望は死ぬまで、いや死んで魔王になってからも永遠に続いていくのだろうと思っていたのだが。
この世界で新しく、何も持たないひとりぼっちが生まれた。
・・ひとりぼっちが二人なら、私はもうひとりぼっちじゃないよね?
ひっそりヤンデレ化。
よかったら★★★★★評価でやる気を注入してくれると嬉しいです




