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「エル・・」
とある王城の一室で、窶れた壮年の男が項垂れていた。身なりは整っているが、頬はこけ、目には生気がない。
賢王と呼ばれていた頃の面影は無く、プライベートなこの部屋では息子を心配する一人の父親だった。
「エル、エル。ああ無事でいておくれ」
握りしめられた写真立てに一粒の水滴が落ちる音は、窓が開く音で掻き消された。
「こんにちは。王様」
「!!!!」
突然の侵入者に王様と呼ばれた人物は勢いよく振り向いた。風に靡く黒髪に白い肌。
待ち侘びていた人物の突然の来訪に、掴み掛かる勢いで走り寄る。
「エルは! エルドレッドは無事なのか!?」
実際襟首を掴んでいた。自分より遥か年下の女性のか細い首を締め上げる勢いだった。目は血走り、怒りと焦りで腕が震える。
王妃は心労で倒れ、一番目の王子は体が弱いのにその分の業務を受けて、ここのところさらに具合が悪くなった。自分自身も眠れぬ夜を過ごして寝不足の中、通常の執務に加えヒカリが提示した無理難題によって心身共に疲労困憊だった。
二番目の王子を亡くした時の悲しみとトラウマもあるだろう。
また大切なものを失うのか。国の犠牲になって。
会話してヒカリの気持ちも理解は出来る。けれど彼女のせいで、大事な息子が危機に晒されていると思うと怒りが収まらなかった。
「私の出した条件はクリアしたの?」
大の男に掴み上げられているのに、彼女は眉一つ動かさずに口を動かした。
「何をっ!!」
「その質問の答えは交換条件と言ったでしょう」
「・・っ」
ヒカリは光魔法と転移魔法が使えるが、人に効く攻撃手段は持っていない。それなのにこの淡々とした態度に少し冷静になる。
「情に訴えて私が絆されると思う? それをあなたが私に試すつもり? 私はこの取引すら無かった事にしていいんだよ」
「・・・・」
温度のないその言葉にゾッとして、思わず手を離す。
かつてキラキラと輝いていた瞳は、今では闇そのものになったかのようにどこまでも黒かった。それが酷く恐ろしく感じるが、そうしたのは自分だと思うと後悔してしまいそうになる。
「・・ヒカリには悪い事をした。だが私は施政者として正しい選択をしたと思っている」
「へぇ」
「例え人として間違っていても! 王として判断を下したんだ!」
一人の女性の人生を狂わせた。だがそうしなければこの国、世界は滅んでいた。心苦しかったがやらねばならなかった。王とは時に心情でなく引き算をしなければならないのだ。
だから息子達を戦地へ送った。二番目が還らぬと聞いた時どれほど辛かったか。それでも力を持つ王家が旗印に立たねばならない。悲しみが癒えぬ内に三番目の息子も戦地へ送り出さなければならなかった苦しみが分かるものか・・!
「なら王として、世界を救うっていう召喚術を残す事を優先して、第三王子のことは諦めるんだね」
「・・・・!!」
「その理論でいくと、施政者としての判断ならそうなるんじゃない?」
また彼女の言葉で自分の嫌な所に気付く。私は優しいフリをして、次は被害者ぶって。実際はとことん、聖女だけを差別していたのだ。
国民の安全を優先して、家族の安否を優先して。だけど聖女の安全も心も約束も。王都のたった一ヶ月の生活を保証しただけで、恩人になったつもりでいたのだ。
良い施政者だと思っていた。賢王と呼ばれていい気になっていたのかもしれない。
けれど、本当の私はなんて醜かったのだろう。
「・・いきなり掴みかかって悪かった」
「どうしたいきなり」
だからと言ってヒカリのやっている事は脅しだが、これが何も持っていない彼女なりに願いを叶える為のやり方なのだろう。
「召喚術の棄却についてだが、国内にある分は全て燃やし済みだ。もし隠していても誓いの魔術で縛っているから取り漏れはない」
「! そうなんだ」
だから私も冷静になって、進捗を共有する。
「ただ他国の文献については交渉しているが、正直難航している。・・みな、次の魔王を恐れているのだ」
「・・・・」
「だ、だが! 必ずやり遂げる! 何年掛かっても!」
沈黙するヒカリに慌てて補足する。本来なら曖昧にして報告するべきだが、なんとなく直感で彼女には誤魔化さない方が良いと感じた。
「そう。分かった。じゃあ今日のところは帰るね」
「待っ・・! ・・・・いや、何でもない」
「・・・・」
手を振るヒカリに腕を伸ばしそうになるのをなんとか耐える。
エル、エルは無事だろうか。
でも彼女が一番心を許し、そして裏切ったと感じたであろう人物はエルだ。
もしかして、もう。既に・・。いや違う! たとえそうだと告げられても見るまでは信じない。
再び襲い来る不安に首を振る。
弱気になってどうする! エルは生きている! 魔王討伐のメンバーなんだぞ。エルに限ってそんなことは・・。でもエルは彼女に心底惚れていた。もしかして・・。
「・・エルは生きてるよ」
「!!!!」
不意に告げられた言葉に息を呑む。
バッと視線を向けると、丁度彼女が転移する所だった。
「・・・・」
もう誰もいない窓枠を見つめながら、呆然とする。
ゆるゆると言われた言葉を理解すると、生暖かいものが頬を伝った。
よかった。
・・よかった。
本当によかった。
それ以外の情報は無い。何故突然それを教えてくれたのかも分からない。
けれど。
「生きていてくれたか・・」
ただそれだけで、こんなにも嬉しい。
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