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「こんにちはー」
陽気な声に眩しくて閉じていた目を開く。
「・・・・」
突然真っ白な光に包まれた私たちは誰かによって強制的に転移させられたようだ。辺りを見渡すがさっきまで立っていた私の家の庭ではなく、何もない白い空間だった。目を凝らしても端は見えず、地面と空の境すらない不思議な場所。何もない空間に浮いているという表現が正しいのだろうか。
「誰だ」
警戒したエルの声に視線を向ければ、私を庇うように前に出ていた。そんな動作を自然とする様に、また胸に何か刺さるかのような痛みが少し走る。だが状況理解の方が優先と考え、私も目の前の人物に注意を向けた。
「僕のこと? 多分君たちも知ってると思うよ?」
浮遊の魔法を使っているのか、空中に胡坐をかくその人は少年だった。さらさらと絹糸のような黄緑の髪、銀をベースに虹色の虹彩を携える瞳はこの世のものとは思えない神秘さを纏っている。だけどそのふざけた口調は俗っぽく、その威厳を台無しにしていた。
「ここはどこだ。私達を元の場所に戻して欲しい」
少年は組んだ両手に頭を乗せ胡座をかく。その様は一見隙だらけだが、目に見えない異様な雰囲気を感じた。私でも分かるくらいに、多分この少年は強い。幾度も魔物と交戦してきたエルも当然只者でないと判断し、慎重に言葉を選んでいる。
「まあまあそんな事言わずに。せっかく僕に会えたんだからさ?」
自分より弱い獲物を見つけた魔物のように、愉悦の色を乗せて虹色の瞳が楽しげに歪む。それを見たエルは私を真後ろに引き寄せ、いつでも魔法を発動できる体勢を取った。
「あはは。警戒してる? 心配しなくていいよ。危害は加えないから」
その声に優しさはなく、ただ楽しんでいるだけだと感じた。その異様さに得体の知れない恐怖を覚える。今まで対峙してきたどの魔物より強い威圧感。きっとこの少年は魔王より強い。その証拠にエルの額からも汗が一粒流れ落ちた。
「僕はね、暇で暇でずぅーっと暇なんだ。だから面白いことが好き。特にヒトの感情が最高点に達した時、それを観察するのが大好きなんだ」
美味しいしね、と語尾にハートが付きそうなほどうっとりと笑う少年。その顔は整っていることもあり、見る人が見たら卒倒ものだろう。けれどその瞳は肉食獣が肉を見るような目付きなので、恍惚されても気味悪さしか感じない。
「特にあの異世界人の叫びは格別だったなあ」
「!!」
じっと出方を窺っている中、うっとりとそう呟いた少年の言葉にピンと来た。エルの肩越しから顔を覗かせるとエルが少し咎めるような視線を送ってくるが、構わず口を開く。
「もしかして、あなたは”神さま”?」
「!!」
私の質問にエルは目を見開くと、正面の人物に向き直る。私はドキドキとうるさい心臓を落ち着かせながらも、質問の答えを待った。すると少年はニヤリと笑ってこちらを見下ろす。
「そうとも言われているね」
「!!」
「そして悪魔とも言われている」
面白いと言わんばかりに少年が私に笑顔を向ける。この人はあの異世界人と言っていた。魔王城で見つけた日記から推測するに、きっとこの少年は・・。
「僕ははじまりの魔王を生み出した者」
いつの間に移動したのか、気付けば目と鼻の先に少年がいた。
「僕は珍しい魔力と強い感情から生まれる力が好物なんだ。君は無意識だろうけど、それを先程僕に差し出した。だからその好物をくれたお礼に、なぁんでも一つ願いを叶えてあげるよ」
ずい、と鼻と鼻がくっつきそうな距離感に思わず腰が引ける。
「君は異世界から来たんだろう? 普段簡単にこんな事しないんだけど、君達は特別だよ」
するりと艶かしく頬を撫でられる。けれどそれにときめく事は無く、感じたのは嫌な動悸だけだった。
「ずいぶん前に会った異世界人はアンって言ったかな。彼女の慟哭は惚れ惚れしたねえ。美味しかったしとても面白かったから、この世界を滅ぼしたいと望んだ彼女の願いを叶えてあげたんだ」
「願い・・」
「とは言っても全部僕の力でサクッと終わらせるのはつまらないから、聖女によってこの世界が破壊されていくシステムを構築したんだ」
「まさか」
「突如現れた圧倒的な力を持つ魔王。人々は絶望に涙した。このままでは自分たちが滅んでしまう。必死に生き残る術を探し、藁にもすがる思いで実行した召喚術は奇しくも哀れな聖女を再び召喚してしまった。彼女たちの活躍により脅威は無くなって、世界はハッピーエンドさ」
「・・・・」
「けれどはじまりの魔王と僕が交わした願いは誰も知らない。人知れず新しい聖女は次の魔王となり、この真実を知らないままイタチごっこは終わらない」
「・・ひどい」
「でもちゃんと救済措置は取ったよ? 聖女が死の間際に一欠片も元の世界への情を持たなければ次の魔王は誕生しない。けどある日突然連れ去られた聖女が何も憂いなく終わる筈はないからね。きっとこのサイクルはこの世界が滅ぶまで終わらないだろうな」
「最低」
互いにとって残酷なシステムだ。だが少年の言っていることは一部正しい。この世界の人たちは誰かが作った都合の良い、童話に出てくる聖女像を盲信している。幼い頃から繰り返し聞かされる、この世界に涙する心優しい聖女様。その聖女だって普通の人間で、負の感情を持つのだと思いもしない。
「・・そこまで分かっていてどうして」
「? 言ったじゃん。僕は暇なんだ。ヒトの感情は正であれ負であれ美味しいし面白い。だからそれをくれたお礼に彼女の願いを叶えただけだよ」
「他の聖女まで巻き込まなくていいじゃない」
「それじゃあはじまりの魔王の願いが叶わないじゃん。それに今までこの世界に入り込んだ彼女たちはアンと同じように負の感情に呑み込まれた。中にはそれなりに幸せだった子もいたみたいだけど、アンを筆頭に大体は復讐を望んでいた。それなりに満足して暮らした子もいたけれど、全員が何かしら後悔があるから結局みんな魔王になるんだろ」
「・・・・」
「まあ僕が求める基準まで達して、直接願いを叶える所まで来るのは難しいけどね。でもこの願いがあったからこそ、間接的にはみんなの願いを叶えてあげたことになるのかな」
だからウィンウィンだと笑う少年に言葉が出ない。
いくら憎しみを抱いたとして、それを本当に実行するかはまた別の話だ。手を下さなくても自分がいるだけで人が危機に晒されるというのは、人によっては耐えられないのではないだろうか。少なくとも魔王が生まれてから、最低二十年は聖女を呼べない制約があると城で魔法の先生から聞いた記憶がある。
まるで良い事をしたと胸を張る少年に言葉が出ない。きっと考え方が根本的に違う。それはお互い分かり合えない領域に達するほどの距離感だろう。
そんな私の心情に構わず、少年は言葉を続けた。
「こんなに繰り返しているのに、この世界の人たちはその仕組みをまだ分かってないみたいだ。あはは。呑気だよね。君の前に来た聖女は勘づいたのに」
でもそれを調べている途中でこの世界の人に殺されちゃったんだと、笑いながら告げられる前の聖女の最期に息を呑む。
あの日記は私の世界の言葉で書かれていた。教会へ行けと誰かに託したかのような言葉に、どんな気持ちが込められていたのだろう。あのズタズタに切り裂かれた肖像画の人物は誰だったのか。魔王城で対峙した時、仲間には容赦無く攻撃したのに私を見た瞬間、無抵抗に浄化された魔王に思いを馳せた。
「まあ、そんなことより!」
しかしそんな私はお構い無しに、少年はパンと手を叩く。
「君の願いはなぁに?」
最初に出会った時のように、愉悦に歪んだ虹色の瞳は爛々と輝いて、私を真っ直ぐと見下ろしていた。
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