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「転移」
ベッドから起きて熱いシャワーを浴びる。髪を乾かしながら今日の予定を立てる。半年前、私は王様に彼の安否情報を条件に、この国の召喚に関するものの全ての破棄を迫った。返事はまだ保留中だけど、すぐに結論が出ないのは想定済み。今日見た夢が何となく気になって、重い腰を上げた。
「いくか・・」
私は今日初めて、王子様の様子を見に行く。
王子様と別れた日から、キースにも知られている場所は危険だと思い、住んでいた丸太小屋ごと違う森へと転移して暮らしていた。それからは前と同じようにぼんやりと日々を過ごし、お金が必要になったら町へ行く。その繰り返しで、王子様に会いには一度も行っていない。
だから彼が今どう生きているのかは知らない。実際は身に着けさせたピアスの魔導具で生きていることは知っているのだが、彼が今どんな暮らしをしているかまでは分からない。正直興味が無かった。もう切れた縁だ。
もし王様があの交換条件を呑んだとしても「死んだ」と伝えるだけだ。
だが今日見た夢のせいで気になってしまった。今更ではあるが、一応今何をしているかくらいは覗いてみようと思ったのだ。
「・・治安の悪い街だなあ」
海に囲まれたこの島国は、魔物の気配は感じないけれど、発展途上国のようなわちゃわちゃした感じの雰囲気が印象的だった。色々な匂いが混ざり合ってほんの少しクラクラする。表は栄えているけれど裏路地の影には物乞いがいた。貧富の差の激しいのだろう。
同じ世界なのに、私が召喚された国や旅で回った村々とはまた違う雰囲気が特徴的だった。
「新鮮な野菜だよ!」
「こっちは珍しい獣の肉だ!」
「甘い果物もあるよ!」
人混みに潰されそうになりながら、まずは今日の拠点を探す。こういう所はケチらずに多少高くても、清潔で従業員の教育がしっかりしたセキュリティ高めな宿に泊まりたい。
「十日間シングルで」
「はい。お食事はどうされますか?」
「じゃあそれも付けて」
「かしこまりました」
慣れない文化で少し戸惑ったが、召喚特典で当然のようについていた言語理解で会話は問題なくできた。少し落ち着いた高級そうなエリアで見つけた宿に前金を払い、情報収集のため再度街へ出る。値段の割には良い宿を見つけられたと少しほくほくしていると、何やら人だかりがあった。
「さあさあみなさん、今日は月に一度のバザールだ!」
「今回は何があるかな」
「前はドラゴンの卵とかあったわね」
「あれは偽物だっただろ?」
「私は異国の透き通った絹の布が欲しいなあ」
ガヤガヤと人が集まっている所を覗けば、何やら特設会場のように台座やシートがいくつも並び、一つのお祭りのように賑わっていた。そこには様々なものが並んでいる。食べ物に小物類、洋服や武器に動物まで色々なものが置いてあって統一性はない。
異国情緒あふれる催しに、少しウィンドウショッピングを楽しむことにした。特に欲しいものは無いが、こういうものを見るのは新鮮で、つい色んな屋台を冷やかしてしまう。
すると一箇所だけ妙に寂れたスペースにふと目が留まった。
「あれは・・?」
何故か引き寄せられるような感覚に、そのまま足を進める。すると独特な饐えた臭いが漂い、顔を顰めた。やはり引き返そうかと思ったところで、檻からはみ出る人の足が視界に入り、目を見開いた。
「!!!!」
後退しそうだった足を必死に進め、その檻の中身を見て言葉を失う。
「・・・・・・エル?」
思わず懐かしい愛称を呼んでしまうくらいには、気が動転した。檻の中にいたのは、半年前に別れた王子様。
「なんで・・?」
思わず足の力が抜けて座り込む。震える腕で檻を掴んで問い掛けた。けれど檻の中で倒れているエルに意識が無く、返事は無い。代わりにヒューヒューと今にも途切れそうな呼吸音だけが聞こえてくる。
「エル・・」
「お嬢ちゃん、この奴隷を買うのかい? 買わないなら商売の邪魔だからどいてくれ」
事態を呑み込もうとする私に、店主らしき男が話しかけた。
「どれい・・?」
「? 奴隷は奴隷だよ。こいつは銀貨二十枚。証明書はすぐ用意できるから、買うならさっさと持っていてくれ」
「ぎんか二十まい・・」
奴隷? 証明書? 銀貨? この男は何を言っているのだろう。銀貨二十枚は平民の約一ヶ月分の給与に相当する。何故一国の王子様がこんな値段で売られているのだろうか。光り輝く王子様は、何で見るも無残な姿で檻の中にいるのだろうか。
「奴隷にしちゃ格安だろう? でも見た通り、その有様じゃ全然売れなくてね。維持の方に金がかかっちまう」
奴隷という単語にも驚きだが、私は何よりも変わり果てたエルの風貌に言葉を失っていた。
かつてビスクドールと称賛されるほどの美貌は、今では骨が浮くほど窶れている。しなやかながらも力強く魔物を狩る腕は、ぼろぼろの服からはみ出ている部分だけでも傷だらけ。そして何よりも目を引いたのは、片目が無くなっていた。
「・・どうして」
「最初はそいつも美丈夫だってんで貴族連中に人気だったんだが、どこかの人体収集家に目玉を取られてからは美貌が損なって売れなくなってなあ。治癒魔法なんて高額だから奴隷に掛けるくらいならまあ新しいのを買い直すわな。そもそも身体欠損の治癒魔法なんて伝説の聖女様じゃねえと直せねえ代物だし」
私がこの男を憐んでいると踏んだのか、店主が同情を誘うような声で彼の経緯を細かく説明する。話は確かに耳に入ってくるのだが、頭の理解が追いつかない。
「それからは何やらされてたかは知らねえが、色んな場所を転々と売買されたらしい。とうとう起き上がれなくなって、今ここで買い叩かれているってわけだ」
どうだ買うかい? 目を瞬かせる店主に悪意の色はない。本当にエルをただの商品として勧めている。処分品の特価セールのように。
「・・・・」
檻の中のエルの腕にそっと触れる。ところどころ肌が抉れるようにボコボコで、長く洗ってないであろう体は脂でベトベトしていた。十分な食事も採れていないようで、以前抱きしめられた時のような逞しさは無く、掴んだ手首は棒切れのように細かった。
「そ、んな」
私のせいだ。
この国は奴隷制度があったのか。知らなかった。流石にここまでするつもりは無かった。
身体能力と魔力を制限しても、要領の良い彼なら、どこでもうまく立ち回れるものだと当然のように思っていた。
私のように全てを奪われても、最初だけ多少不便な思いをするだけで、なんだかんだ成功する立場の人間だと思っていた。
「ご・・ごめ・・なさ・・・・」
けれどそれは違ったのだ。私は不幸だけど幸運でもあったのか。
召喚された国は、逃げ道はなかったけど私をこんな風に踏み躙る人はいなかった。嘘は吐かれたけど、これほど酷い悪意に晒されたこともなかった。奪われたけど、守られている部分も確かにあったのだ。
「それで? 買うのか、買わないのか?」
動かなくなった私を迷惑そうに、店主が言った。買うという表現は少しだけ抵抗があるが、すぐに銀貨を叩きつけるように支払う。
「っ転移!」
証明書を受け取り、檻からエルが出されるとすぐに宿へ転移した。聞きたい事は沢山あるけれど、とりあえず急いで治癒魔法をかけないと。
その時にはそれまで抱いていた複雑な感情は、全て吹き飛んでいた。ただ無事を祈るような気持ちで涙がこぼれそうだった。
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