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※現代の人の死についての表現があります。
苦手な方は注意
幻想的に淡く光る景色の中、キラキラと反射する湖畔で力強く抱きしめられた自分以外の体温。
誰かが死ぬかもしれない恐怖に、本当は行きたくなかった。全てを投げ出して、二人でどこか遠くへ逃げ出したかった。
けれどそれは彼の今までの生き方を否定することになるし、私にとっても魔王討伐の報酬は手放し難い。
それに、私には絶対に元の世界へ帰らなくてはならない理由がある。
でも、本当は・・。
「・・・・」
その続きは呑み込んで、腕の中で彼の体温に目を閉じた。
「必ず守る」
相変わらずの真面目さに少し笑ってしまう。その言葉は泣きそうになるくらい甘く、震える程に苦しかった。気付けば恐怖は消え去り、とても胸が温かかった。
「・・・・」
パチリ、と親しみのある天井が見える。どうやら昔の夢を見ていたようだ。
「・・・・チッ」
夢であることを理解し、寝起き一番に舌を打つ。なんて嫌な記憶だ。これも今日で、あの男を見知らぬ国に放り出してから丁度半年経ったからだろうか。
あの頃はこれが唯一の、そして最後であろう恋だと思っていた。二度と彼のように、自分を愛してくれる人とはもう会えないと。だけどその想いを封じてでも、絶対に帰らなければならない理由が私にはあった。
寝そべったまま目を閉じて、もう十年以上昔の記憶を瞼の裏に思い出す。
「アイス食べたい」
この言葉を言わなきゃよかったと、何度後悔しただろう。
私の家族構成は父と母、兄と弟に私の五人家族だった。
けれどある日、弟は突然帰らぬ人となった。
実家を離れて一人暮らしをしていた私は、その日はお盆で珍しく実家に帰っていた。
兄と弟もそれぞれ一人暮らしをしてる。しかし正月と盆だけは実家に集まるという暗黙のルールがあったので、あの日は家族全員が実家に帰省していた。
実家に行っても特にやることが無い私は、両親が気を遣って用意してくれていたテレビゲームを楽しんでいた。父と兄弟は各々でテレビや動画を見て、母は台所で夕飯の支度をしていて。たまに会話はするが、基本的に同じ空間に集まってそれぞれが自分のやりたいことをするというのが私たち家族の集まり方だった。
そんな中、弟がお菓子を買いにコンビニへ行くと言った。ゲームに熱中する私に何か欲しいかと尋ねたので、コンビニ限定のアイスを頼んだ。わざわざ買いに行くほど食べたい訳ではないが、ついでに買ってきてくれるのならばと軽い気持ちだった。
でも、想像もしていなかった。
そんな何でもない一言が、弟の命を奪う一端になるなんて。
事故だった。買い物を終えた弟は、私が頼んだアイスを買い忘れた事に気付き引き返したらしい。その途中、車に跳ねられたのだ。通行人によって呼ばれた救急車で病院に運ばれたが、そのまま息を引き取った。
当然私達家族は加害者を責め立てた。その運転手は泣き崩れていたが、それは保身からくる涙だと分かっていた。なぜなら救急車はたまたま通りかかった通行人が呼んだと聞く。つまりそれまでこの男は何もしなかった。青ざめた顔で、連絡も応急処置もしないでただ呆然と突っ立ってただけだったらしい。弟を必死に救おうとするのではなく、これから自分はどうなるのかと己の心配しかしていなかった証拠だ。
口ではすみませんと白々しい謝罪を両親にだけ繰り返しているけれど、目の前の棺に入った弟には一度も謝っていない。手も合わせていない。それに良い年した大人であるこの人の後ろに、いつの間にか両親らしき人が黙って座っている。まるで彼を守るかのような態度だったけれど、正直その時はあまり気にならなかった。単純に弟しか視界に入らない。ただ突然の別れに頭が追いつかなかった。
嘘だよね。これは夢だ。
だって、昨日まで普通に喋って、ご飯を食べて、目の前にいたじゃん。
死んだって、何。
なんで、目を開けないの?
交通事故にあったとは聞いた。理解している。でも目の前には、まるで眠ってるだけかのような綺麗な顔で。
今にも目を覚ましそうじゃないか。
けれど遠くで今まで聞いた事ないような母の絶叫が聞こえる。初めて父の涙を見た。
その瞬間、唐突に涙が溢れた。
弟は死んだ。
頭では分かっているけど、また明日になったら普通に家にいるのではないかと錯覚する。突然の別れに現実味がない。
だから意識の外で流れている涙は放っておいて、ただひたすらに、今にも起きそうに眠る弟を見続けた。瞼が動いたら、家族に教えてあげるんだ。だから冗談だよって、早く起きてよ。
一時間くらいたった頃、兄が私を抱きしめていることに気付く。それでもまだ弟がもうこの世にいないことが理解出来なくて、そのまま開かない瞼を見つめ続けた。
さらに時間が経った頃、両親が辛そうに私を見ていることに気が付き、ようやく止める。
そうだ。きっと親の方が、きっと辛い。
私は子供を産んだことはないけれど、どこかで親より先にいなくなるのは最大の親不孝と聞いた事がある。
実際弟を思うと悲しいが、嘆き悲しむ両親を見るのも辛かった。私がそう思うのと同じように、私が悲しんだら更に辛くなってしまうだろう。私の分の悲しみまで背負わせたくない。
私はお姉ちゃんなんだから、しっかりせねば。
泣きすぎてぼんやりとした頭でそう思い、私は棺に齧り付くのをやめて後ろに下がった。
その後、弟の顔を見ては泣き崩れる家族の姿を、きっと私は一生忘れない。
数時間後。私より背の高かった弟は、両手で支えるくらいの小さな骨壷になって帰ってきて。
また、みんなで泣いた。
***
葬儀が終わって二日後、私は加害者の事を調べていた。謝り倒していたので、電話番号や住所を聞くのは容易かった。だからその情報からSNSを特定し、本当に反省しているのかを怒りの感情から監視していた。
家族は当然彼を訴える気でいる。だけどそれ以上に辛い気持ちの方が大きかった為、率先して私や兄が少しでも有利になる情報はないかと積極的に動いていた。勿論親としての矜持からか両親も動いているが、そんな気持ちはお見通しだし何より私の方がSNSに詳しいからやらせてくれと頼み込んだ。
でもそこには、私たちを更に絶望に落とすものしか無かった。ここまで醜悪な人間が存在しているのかと、生まれて初めて知ることになる。
「簡単美味しい3分おしゃれ飯」
「モテる男の7つの方法」
「おすすめデートスポット」
執念のように監視していたあの男のSNSの、シェアされた内容。そこに罪の意識は、無い。
まだ、弟がいなくなってから一週間も経って無いんだよ・・・?
なんでお前は普通に日常を楽しんでるの?
人を殺しといて、鍵すら付けてないアカウントでこんなことをしているなんて。
弟だけじゃ飽き足らず、これは残った遺族すらを侮辱する行為だ。これ以上、私の家族を苦しめないで。
葬式の日、謝っていた姿を思い出す。
こいつは全然反省していないじゃないか。
絶対思い知らせてやる・・!
けれど、現実はもっと残忍だった。
百パーセントこちらは悪くないのに、日本の法律では被害者が望む罰を加害者に与えられなかった。それどころか、死者は加害者の人権より低いとすら感じる。人は死んだらモノだとでもいうのか。
明らかな過失のある加害者を守る司法に、みんなが泣き崩れる。
ふてぶてしい視線で、あちらの一族が総出でこちらを見下していた。
人ひとり殺して、私の大事な家族の気持ちを踏み躙って。あの時の殊勝な態度はやはり嘘で、裁判で望んだ結果が得られなかった私たちを、まるで勝ち誇ったかのようにこちらを見下げている。
そもそも裁判なんて本当はどうでもよかった。ただ私たちの願いは弟を返して欲しい、それだけだ。
けれどそんな奇跡は起きない。
だからせめて、司法からの痛みを求めたのだ。それなのに今、加害者は嘲笑している。
湧き上がる怒り。血液が血管が破るかのように早く巡るせいで、体が震えて動けない。
罪を犯したのなら一生刑務所にいろよ。
弟の体を傷付けたならお前の手足を千切って差し出せよ・・!
弟がこれから見るはずだった沢山の景色を奪ったのならば、お前は目を潰して一生光なんて見るなよ!!
初めて本気の殺意を抱いた。殺しに行こうとしたら親にバレて全力で止められた。あんな男の為にあなたの人生を捨てる価値はないから、と。
私は別に全てを引き換えにしてもいいと思ったけれど、親が必死に止めるからやめた。言わないけれど、きっと親の方が殺したいほど憎いと思っているだろう。それを我慢してるのに、私が我を通すわけにはいかない。
頭に血が上っていたけど、肉が千切れそうなほど唇を強く噛んで自制した。私だって優先順位くらい分かってる。恨みを晴らすより今目の前にある大切なものを守るべきだ。それに多分弟も復讐なんて望んでいないだろう。死んだのがもし私だったなら、自分の為に家族が不幸になって欲しいとは思わないからだ。
結局復讐したいと言う気持ちは死者の為でなく、自分の為の行為だと理解はしている。
だから我慢した。
けれど頭と心は別物で。怒りと殺意は燻って消えないままだ。
同じ、いやそれ以上の不幸になってしまえ。それとも直接お前の大切な人を同じ目に遭わせれば、お前は私たちの心がやっと理解できるのか。そう過激な妄想をしてしまう。
けれど実際は手を下すことも、法で裁くことも、道徳で理解させることもできない。
覆せない理不尽な現実がつらい。
残された家族を悲しみから守りたいのに、守れない弱さが憎い。
消化できない恨みは行き場を失い、やがて自分に向き始める。
そもそも私が、アイスを頼んでさえいなければ。
こんな事なら、普段からもっと良い姉であれば。
あの日何故、顔すらまともに見ないで見送ってしまったのか。
私は何度も自分を責め続ける。あの時ああすれば良かったと。
何度も、何度も。
後悔しない日は、無い。
それから、家族は過保護になった
事故が起こった日、通行人が通るまで弟は放置された。もっと早く気付いていれば、もしかしたら助かったかもしれない。
だから、少しでも連絡が取れなくなると必要以上に心配する。
頭ではきっと理解している。それはほんの少しの可能性でしかないと。けれど、もう二度とあんな思いはしたくないのだ。だから過剰に反応する。私もその気持ちを理解している。だから私はあれから、家族との連絡を途絶えさせたことはない。
幸い、時間という薬で私たちのあの時の痛みは遠くなってきていた。だけどこの傷が消えることは永遠にない。
「・・うぅ」
長い時間を掛けてやっと、日常を送れるようになったのに。私まで居なくなったら、残された家族への負担は想像に難しくないだろう。
初めて見た家族の涙、悲痛な叫び。
二度と見たくなかったのに。あれは自分が傷付くより何倍も痛いのだ。
「だからっ! 私は絶対に元の世界に帰らないといけなかったのに・・!!」
敷いていた枕を叩きつける。
これが、私が貴方を諦めてでも、必ず元の世界に戻らなければならなかった理由。
そして、人の謝罪を信じない理由だ。
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