22.5 はじまりの魔王 5
「ぅわあああ!」
「なんだこの魔物! どこから来た?!」
「剣が効かない!!」
「魔法も効きにくい! 手強いぞ!」
数分だったのか瞬間だったのか。私がこぼした涙と血の跡から、黒い獣が突如現れた。
それは瞬く間に近くにいた騎士団長の息子の腕を食いちぎり、踏みつけた。残りの魔物はミザリーとその近くにいる人たちに襲いかかる。即座に護衛や魔術師が応戦するが、今まで相手にしてきた魔物と違い武器や魔法があまり効果がないようだ。
「ぐああぁぁああああ!!」
腕をなくした暴力男は生理的な涙を流して床を転がり回る。それにより拘束が解け、私は辺りを見渡した。そこは阿鼻叫喚だった。通常、この世界の魔物は元の世界の野生動物くらいの立ち位置なので、剣や槍で刺したら倒れる。魔法も然り。けれど突如発生したこの黒い魔物達は刃が通らないようで、突き刺すと同時に硬い毛皮に負けて武器が折れている。魔法も同じく効果がないようで、炎や雷の攻撃をしても魔物はピンピンしていた。
「ひぃい!」
「どうなっている!!」
「足がぁああ!」
部屋の中は悲鳴と血の香りに包まれる。部屋の外からも同じく絶叫する人たちの声が響き渡っているので似た状況なのだろう。
「・・・・は、」
それを見て私はゆっくりと立ち上がる。不思議と魔物は私を攻撃しない。後ろを振り返れば彼らが連れてきた護衛が何人か既に事切れていた。
「・・ふふ」
最年少で賢者になったといつも偉そうだった魔術師は必死に応戦しているが、魔物に魔法はあまり効果がないようで見た事ないくらい青ざめていた。筋肉自慢の騎士団長子息も青い顔をしているが、覚悟はあるようで片手で剣を構えアラン様とミザリー様の前に移動している。アラン様はミザリー様を抱きしめながら魔物たちを睨み、ミザリー様はアラン様の腕の中で怯えていた。
護衛が一人、また一人と魔物によって倒れていく。その度に彼らの顔に焦りが生じ、冷や汗を流す様を見ても私は可哀想とは一切思わなかった。それどころか湧き上がるこの気持ちに笑みが溢れる。
「うふ、あっははははは!」
「!!」
この感情はなんだろう。きっとこれは抱いてはいけない種類の感情だ。けれど込み上げるこの気持ちを抑えきれない。その笑い声にやっと気づいたのだろう。ミザリー様が私に向かって叫んだ。
「アン!! あなたの仕業なの?!」
また一人、彼らの護衛が倒れる。それに引き換え、私は魔物に一切襲われていない。
「さあ? 分からない」
まともに食べていなかったこの痩せ細った体には力が入らない筈なのに、不思議と今の私は気力に満ちていた。
「でも、なんでもいい」
こんなに愉快な気持ちは久しぶりだ。これは一種のハイテンション状態というやつなのか。
「今なら何でも出来る気がする! なんだかとっても良い気分!」
「やはり魔女だったか!!」
理由の分からない万能感が心に満ちる。体の中にさっきまで無かった凄まじいエネルギーが、ぐるぐると巡るのが分かる。直感でこれは破壊の力だと理解した。
気分が向上する。こんなにわくわくするのは久しぶりだ。向けられる憎悪の視線も気持ち良い。
「ぐああ!!」
あ、魔物が魔術師の脇腹に喰らい付いた。止めなければ。
「ねえ、黒い魔物達。彼らはすぐに殺さないで」
私から生まれた可愛い魔物。その牙や爪にべったりと血液が付いているのに、少しも怖くない。むしろ優しく頭を撫でれればピタリと止まる様は、飼い猫のようで可愛らしい。その様子に恐慌状態だったミザリー様はハッと顔を上げ、アラン様達は怪訝な表情で私を見つめる。
「なるべく長く、残酷に。甚振って」
「!!!!」
いつもすましていたその顔が歪むのがとても可笑しくて、私は愉悦に微笑んだ。
「ヒッ!!」
アラン様が即座に近衛兵を呼ぶが、阿鼻叫喚なこの中で誰も駆け寄れない。主を守りたくても突然沸いた強力な目の前の魔物の対処で精一杯なのだ。
「くっ・・!」
騎士団長の息子と魔術師がアラン様とミザリー様の前に武器を構えて前に立つ。けれど本職の騎士ですら敵わない魔物相手に、いくら成績優秀といえどもまだ学生の彼らでは勝てる筈もなく。
「や、やめて!! こんな酷い事!」
アラン様の腕の中でミザリー様が叫んだ。
「酷い事?」
「うがあああああ!!」
「キンブリー!!」
こんな凄惨な場所でもミザリー様は美しい涙を流している。途中で騎士団長子息のもう片方の腕が魔物に食べられたみたいだが、それよりも彼女の言葉が気に触る。
「早く、早く魔物を止めてよ! どうしてこんな酷い事が出来るの!!」
「・・・・」
「ああああ!!」
「ミルト!!」
ミザリー様の言葉の意味が分からない。視界の端で魔術師が片目を爪で刺され絶叫しているがどうでもいい。
「酷い事? 酷い事って何ですか?」
「今この状況よ! 無力な人々を一方的に殺して! こんなの虐殺じゃない!!」
その言葉に笑ってしまった。
「武器を持ってるじゃないですか。魔力も封じてないし拘束もしてない。なら虐殺じゃないですね」
「力の差がありすぎる! 縛ってないからと言ってここまでの戦力差なら一方的な暴力よ! ああっアラン!!」
魔物の手はアラン様にも伸び、足の甲を突き刺した。
「ふーん。一方的なら暴力ねえ」
「アラン! アラン!!」
「ストップ」
一言号令をかけると、暴虐の限りを尽くしていた魔物達の動きが止まった。
「アン・・」
「では何故あなた達は私に一方的な暴力を振るったのですか?」
「どういうこと・・」
「私をアラン様の婚約者にしたのは王命です。今思えば個室に呼び出されて宣言されたので、私を陥れる為の嘘だったのでしょう。それにより私は公衆の面前で貶められ処刑されそうになりました。武力も魔力も無い私はそれはもう怖かったです。貴女の一声で中止されましたがあの恐怖は忘れないし、その代わりに貴女の名声を上げる為のネタにされたと思うとはらわた煮えくります。そして貴女は知らないでしょうが、私、地下牢に居る時看守に犯されたんです。鉄格子しか無い環境で他の犯罪者の目の前で。私初めてだったんです。それなりに理想はありましたけど、まさかあんな最低な初体験は想像してませんでしたよ。それなのに貴女はのこのこやってきて。そこの王子様の指示ですかね? その時だけ小綺麗な座敷牢に入れられて、貴女はそんな環境に感謝しろとおっしゃった。そしてまた貴女の人気取りの為にこの地へ飛ばされて。知ってます? ここは貧しくて村人が食べるだけでも一苦労で。そんな中若い女の罪人が来たらどうなるか。あれ青い顔してどうしました? 貴女がやった事でしょう。ああ、続きが気になるんですかね。勿論ご想像の通りですよ。殴る蹴るの暴行は当たり前だし、何度も汚されました。罪人の女なんてこの貧村じゃ人として扱われない。知ってます? 強く殴られると筋肉が硬直して動けなくなるんですよ。逃げられないから余計に叩かれて。本気で殴られると内臓が痛むし、骨も折れるものなんですね。知らなかったなあ。さらに最悪なことに、娯楽も無いここでは暴力だけじゃ飽き足らず、尊厳までも踏み躙られました。体も心ももう痛くて痛くて。それでも命を奪うなとあなた達に命じられてたせいで逃げられないし死ねないし、もうずっとこれが続くのかと思うと何も希望がありませんでした。そんな中、貴女達が来た」
なるべく感情を込めないよう淡々と私が語る内容に、ミザリー様と先程まで痛みでうめいていた男達が静かだ。それでも気にせず続きを語る。
「私達に感謝するべきだって。面白すぎて、逆に笑えないよね」
目を見開いて涙をこぼすミザリー様がアラン様の腕の中から出て、よろよろと立ち上がる。
「ありがとうございます。貴女のおかげで私は諦めしかない未来に、復讐という目標が出来ました」
「そ、そんな・・知らなかったの。そんな酷い目に合っているなんて」
「偽の婚約者の事は知ってたんでしょう? じゃなきゃあなたが卒業式のあの断罪の場で、アラン様の隣りになんていないでしょ」
「っ、でも! 仕方がなかったのよ!」
弁解するミザリー様の言葉に片眉を上げる。
「ここは乙女ゲームの世界なの! あなたはヒロイン、私は悪役令嬢。あなたの選ぶルート次第で私の未来は死やおぞましい結末しか無かった!」
「だから攻略対象全員と仲良くなって、ヒロインを王都から追い出した?」
「・・そうよ。私は助かりたかった。だから幼い頃から彼らの好感度のキーとなるトラウマを回避して、親密度を上げた。みんな心変わりしないから大丈夫とおっしゃったけど、私はゲームの強制力が怖かったの」
さめざめと泣く彼女は相変わらず美しい。私の境遇に罪悪感から下を向いていた男達はもうミザリーに見惚れている。こんな時でも庇護欲を掻き立てるのが上手だなと冷笑する。
「だからあなたが私達の目の前に二度と立てないよう社会的な地位を奪った。仕方がなかったのよ! 他にどうすれば良かったの?!」
「ははっ」
そんな私の内心など知らずに、寒々しい演劇のような台詞に思わず笑いを堪えきれなかった。
どうすればよかったかだって? 愚かな質問で笑っちゃう。答えは簡単だ。
「私の召喚を止めてくれれば良かったんですよ」
「!!」
目を見開くミザリー様に笑いが止まらない。
「知ってますよ。私の召喚に貴女が関わっている事。伝承でしかない御伽話に一度、召喚は棄却された。けれどミザリー様、貴女がやろうと言ったんですよね?」
「・・なぜ、それを」
「大変親切なクソ野郎が教えてくれました。一度エンディングを迎えないと安心出来なかったのか、それともゲームのストーリーに負けないくらい自分は愛されているんだと確信したかったのかは知りませんが」
「そんな事思ってない! 私は国の為に・・!」
「あーハイハイ。今更貴女が内心どう企んでいたかなんてどうでもいいんですよ」
程の良い言葉を並べているけれど、結局は男に良い顔をしたかっただけだろう。実際彼女は見目麗しい男のケアしかしていない。まあそれは人間の本能的にある種仕方がないのかもしれない。けれど私をこの世界にわざわざ呼んでおいて、悪役に仕立て上げるだけでは飽き足らず、自分の名声集めに利用するために散々私を踏みつけた。明らかにやりすぎだ。そこに悪意が全く無かったとは言えないだろう。
今までの出来事を思い出す。
裏切り、悲しさ、恐怖、痛み、惨めさ、羞恥、絶望、憎しみ、飢餓感、そして虚無。
「アン・・」
小動物のように震える彼女を見ると前は苛つきを覚えたが、これからのことを思うと優しい気持ちで見守れる。
「貴女達が私から奪った物を全て返せとは言わない」
「アン!」
喜色を浮かべる彼女と他の三人をゆっくり見渡してから、最後ににっこりとミザリー様に微笑んだ。
「だから代わりに貴女達の全てをくださいな。貴女のお義兄様が王都に残ってここにいないのは残念だけど」
「どういう、」
「痛み、恐怖、命! それでも続く絶望!!」
楽しくてしょうがない。思わず興奮してしまう。何だろう。この溢れる愉快な気持ちは。
楽しくて楽しくて狂ったように笑いだす私の声に反応し、再び魔物達が動き出す。
ああ、楽しみだ。彼女達はどんな悲鳴を聞かせてくれるのだろう? どんな表情を見せてくれるだろう!
こんなに心躍るのは本当に久しぶりだ。
「ヒッ!」
「そんな!!」
これからの展開に胸を高鳴らせていると、傷付いていく仲間に手を伸ばしながらミザリー様が叫んだ。
「やめてぇ! アラン! みんな!!」
泣き叫ぶ彼女の目の前に座り込み、にやけそうになる気持ちを抑えて優しく笑いかけた。
辺りでは名前も知らない騎士達が血飛沫を上げ倒れていく。アラン様達はそれぞれ魔物に捕えられ動けない。四人に致命傷は与えてないが、暴れるので多少手足を折ったり切ったりしたのは少し残念だが仕方がない。
「ヒィッ」
阿鼻叫喚なこの中で微笑む私にミザリー様は悲鳴を上げる。失礼だなと思いつつ当然かとも納得する。
以前の私ならこんな事出来なかっただろう。けれどこの半年で私の心は壊れてしまった。今はただ、この人達をどうしてやろうかと考える楽しさしか感じない。
周りの騎士達もあの時私を殺せとコールした奴らだ。中には地下牢で行われた事を知っていた人もいるだろう。
「アッハハハハハハ!」
そんな奴らが私に蹂躙されている!
なんて愉快で面白いのだろう!
「狂ってる・・! あなたはもう人じゃない! 悪魔よ!!」
「そうかもしれませんね」
「うぐっ!!」
「アラン!!」
きっと私はもう人じゃない。
大量の魔物は私の涙と血の跡から生まれた。それに、かつて恋していたアラン様の指を切り落としても愉悦しか感じない。
「ハァ、ハァ、ぐ・・」
「アラン様は三番目に殺してあげます。でもそれまでは楽しませて下さいね」
「やめてえ!!」
「・・殺せ」
「あらまあ誇り高き王子様は潔いですね。でも死に方を選べるとお思いですかあ? 痛いのは当然として、頭のてっぺんに一本残して丸坊主にしてあげようかな。はは。ウケる」
「アン・・!!」
愛しい人が痛めつけられ弄ばれる未来を描いたのか、ミザリー様が悲痛そうに私の名を呼ぶ。
「お願いもうやめて!! 私が悪かったわ! ちゃんとこの国の司法に則って償うから!! 復讐なんて虚しいだけよ! 憎しみからは何も生まれないわ!!」
「ミザリー様」
優しく優しく涙に濡れた頬を撫で上げる。
そしてこう言った。
「私と全く同じ体験をして、それでも同じ事が言えたら考えてあげますよ」
その瞬間固まったミザリー様に、鼻で笑ってから立ち上がる。
復讐からは何も生まれない? そんなの当事者じゃないから言えるんだよ。
「あ、でももう時間無いから無理ですね。そもそも自分の為にしか動かない貴女には出来やしないでしょうけど」
数時間甚振った程度では、私の経験した痛みには全然足らないだろう。でもそれでもいい。
だって憎いのはこの連中だけじゃない。国中に居るんだ。私に酷い事をした国民、この世界に召喚陣を残した世界中の人々。全てを同じ地獄に落としてやりたい。
時間がないから、私と同じように半年も掛けてらんないや。
もったいないけど、さっさと始めよう。
「さあ、魔物達」
いつも自信に溢れていた騎士団長の息子と天才魔術師の表情を目に焼き付ける。
「楽しい楽しい宴を始めましょう」
恋して、そして捨てられた王子の顔をねっとりと見上げた。
「周りの騎士達はさっさと片付けてもいいけど、この四人は一番憎いから。じっくりゆっくり」
「アンッ・・!!」
最後に自己愛の強い元同郷らしい貴族令嬢をながめながら、そばにいた黒い異形の魔物の頭をそっと撫でる。
「残酷に殺してね」
繰り広げられる血飛沫と心地よい絶叫をしばらく楽しんだ後、私は外に出た。
そこは薄々予想していた通り、村には魔物が闊歩していた。おそらく教会や村の至る所で流した血と涙から生まれた魔物が暴れたのだろう。もう生きている村人はいない。
今まで魔法は使えなかったのだが、今は手にとるように理解できる。私はあの不思議な空間で誰かの手によって、この世に無い闇属性の魔法を授かった。それは魔物を強化する力。そして魔物を生み出す力だ。元々いる魔物は私の眷属となり強化され、私の流した血と涙の跡は黒い魔物を生み出した。村があっと言う間に壊滅するくらいの数の魔物がいることに、また笑いそうになる。
いったいどれだけこの村で傷付き泣いたんだか。
「きっと王都が滅びるのもあっという間だろうなあ」
王都の大広場に地下牢、この村に至るまでの道中諸々。私が血と涙を流した場所はここ以外にも沢山ある。
今頃起きているであろう悲劇を思うと笑顔が止まらない。ニコニコと笑いながら、私は王城の方角を見上げた。
けれど、理由の分からない涙が何故か止まらない。きっとこの涙もそのうち新しい魔物に変わり、この国を滅ぼす一端となるだろう。
それから間もなくして、この国は滅びた。
魔王が誕生した、という歴史を残して。
よかったら★★★★★評価でやる気を注入してくれると嬉しいです。




