2
あれから4年が経った。
最初の2年は茫然自失しており、毎日無意識に涙をこぼし眠っていた事くらいしか記憶がない。
次の1年は元の世界に帰れないという事を少しずつ受け入れていった。
最後の1年はこの世界での生活基盤を築くため新しい仕事を始め、今もそれを続けている。
「はい、終わりましたよ」
くるりと前を向いて、私は患者に向き直る。
「ありがとう。すっかり痛みが無くなったよ」
先程まで折れていた腕をぐるぐる回し、男は代金を支払い店を出て行く。
後ろ姿を見送り、看板をひっくり返した。
私は今、召喚された国とは違う国の辺境で治療院を開いている。
あの日、帰還出来ないと言われた日、私は目の前が真っ暗になった。
自室までなんとか辿り着いたものの、ふらふらとベッドに横になると急に今まで苦労した記憶とか望郷の念とかが一気に押し寄せた。
気を遣われたのか部屋には私以外誰もいない。
数日後には凱旋パレードや晩餐会などが予定されている。しかしこの溢れ出す黒い感情が苦しくて涙が止まらない。
それを抑えなきゃという理性もあったがなぜ理不尽を我慢しなければならないのか、でも王様達が完全な悪人というわけでは無いということも分かっていたので感情がぐちゃぐちゃになる。
しばらく泣いた後、ぼうっと窓の外を眺めていた。
私の心情とは反対に晴れ渡った青空の下、下級メイドと衛兵が世間話をしている光景が見える。
ほのぼのと魔王の脅威がなくなって安心だと笑顔を交わし合っていた。
「・・・っ」
その光景を見て、私は自己嫌悪に陥った。
彼らは身分が低く先程の謁見室にいなかったため、私の事情は知らない。
なのに笑い合う彼らを見て、頑張って良かったと思うより憎らしいと感じてしまった自分に衝撃を受けた。
私は元の世界に帰れないのに。
もう大切な人に会えないかもしれないのに。
今まで積み上げたものは無駄になり夢も無くなった。
その幸せは私の犠牲の上で成り立っているのに。
なぜ死に物狂いで頑張った私は全てを失って、安全な王城で今も家族や恋人と暮らして夢も希望も持ったままの貴方達は笑顔なのか。
衝動的に窓から離れた。再び涙が溢れ出し、自分自身に絶望した。
今までそれなりに他人に対して多少の不満や嫉妬する感情を抱いた事はある。
でもここまで無関係な人に強い憎悪を持ったのは初めてだ。
最初から私が帰還できないことを知っていた人たちに苛立つならまだ理解できる。
でも私は確かに今、無実の人たちに対して笑っているということだけで理不尽な感情を抱いてしまったのだ。
この国の人たちが憎い。
でも私自身が怖い。
苦しい。
本当に帰れないの。
怖い。
寂しい。
なんで私が。
こんな感情を持ちたく無い。
辛い。
帰りたい。
悲しい。
全て嘘だったの。
手を差し伸べて笑ってくれた人が脳裏に浮かんだ瞬間、耐えきれない感情の波に絶叫し、気づいたら私は王城から消えていた。
ーーー
聖女の力は神聖力と呼び、聖女しか使えないらしい。
神聖力は特殊な力で、主に回復や光魔法に特化していると仲間だった魔導士が言っていた。
神聖力は聖女しか使えないが、聖女は神聖力しか使えないわけではなく、適正があれば他属性の魔法も使えるとのことだった。
今まで魔王討伐に必要だった光魔法、怪我人のために学んだ治癒魔法しか極めてなかったので他の魔法は使えなかったが、人間何か極限になると思わぬ能力が目覚めるらしい。
何が言いたいかというと、私は転移魔法を取得した。
お城で色々な感情に呑まれて気を失った日、気づくと花畑の中で眠っていた。
私はそのまま2年間ぼうっとしながら日々を過ごし、3年目で現実を受け入れ、4年目でやっとこの世界で生きていこうと思えるようになっていった。
聖女はこの世界に愛された存在らしく気づけば近くの木には果物が実り、種を植えれば次の日には作物が収穫出来る。
最初の3年間は所々記憶が曖昧だが、おそらくその力のおかげで生きながらえたのだろう。
無気力な中、今まで生きてこれたのはきっとこの力のおかげだったのだと思う。
時間は治療薬と言うがその通りだ。
正直今でも時々無意識に泣いてしまうことがあるが、最初の頃より泣く時間は減った。
今ではなんとか日々を生きている。
「せんせー、深爪したー!」
「・・・うざ」
この世界の文字で閉店と書かれた看板を掛けてあるにも関わらず、扉をドンドンと叩く音がする。
何かと理由をつけては訪れる村人が何人かいるため、緊急性の無い用事は基本無視だ。
治療師はなれる人が少なく、高待遇が狙える王都など都会に集まる傾向がある。
そんな中この辺りに私以外の治療師はいないので重宝されており、少し村から離れたこの治療院でも人々は訪れるのだ。
それに加えて多くの若者は都会に憧れ田舎から出て行ってしまうので近隣の村々に若い男女は少なく、みんな婚活に貪欲である。
私の年齢はこの世界での結婚適齢期は過ぎているのだが、顔立ちのせいか幼く見える且つ貴重な治療師でもあるので一部の若者には許容範囲となっているらしい。なんだその上から目線は。
でも今のところ、私は誰かと一緒になるつもりは無い。
未だ大きな声で呼ぶ声にうんざりしながら耳を塞いでベッドに潜り込む。
誰かと特別仲良くなるつもりはないし、閉店時間に軽い怪我で何度も来られるのは迷惑だ。
治療院を開いたのは治癒魔法が得意であり食べるのに困らない職業だったからで、特定の誰かと仲良くなるつもりはない。
しばらく経つと留守だと思ったのか、ノックを続けていた男は帰っていった。
「・・・」
この4年間で変わったこともある。
私は人の好意が信じられなくなっていた。
優しくされても何か見返りを要求されるのではないか、好きだと言われても私の収入や治癒力が目当てではないのかと考えてしまう。
下心のある好意は迷惑だが、純粋な好意も重い。全てがもうどうでもよく、そして関わらないで欲しかった。
私は感情を無くしてしまったのだろうかと思いながらその日はそのまま眠ってしまったが、次の日ドアを開けて私は無気力になったのでは無かったのだと知る。
開けた玄関の先には4年前に別れたはずの美形の王子様が立っていて、その瞬間激しい感情が湧き上がり扉を思い切り閉めた。
・・・ゴツ、と鈍い音がしたが聞かなかったことにした。