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「・・・・」
王子様とキースが出て行ったドアを見つめて、ぼんやりと召喚後間も無くの頃を思い出す。
ーーー
召喚されてお城に暮らしてたとき、私は毎日こっそり泣いていた。
一般教養の授業とか魔法の練習や基礎体力のトレーニングなど予定を入れられている時はそれに没頭できるが、空白の時間があるとどうしても元の世界のことを思い出してしまい勝手に涙が溢れてきてしまうのだ。
当然この世界の常識なんて知らないことだらけで教師が何故そこでと思う箇所で躓くし、ご飯の時には王様や大臣っぽい重鎮の人と一緒に食べることが多く、勉強の進捗はどうだとかこの世界はどうだとか聞かれて辛かった。
勝手に期待されてもそもそも私は望んでないし、頑張っても成果が出なくて嫌になるし、モチベーションが出ない。でも帰してと言っても困ったような顔をして空気が重くなるだけで何も変わらなかったから、そのうち何も言わなくなっていった。
「聖女殿、元気が無いね」
「!!」
そんなある日、美貌の王子様がひょっこりと私を覗き込んでいた。
全く気付かなかったので驚く。
「一応声は掛けたのだけど」
今日は授業で習ったことを復習していたのだが、相変わらず理解出来なくて。そんな自分が情けなくなって泣いてしまっていた。元々そんな涙脆くないはずなのだが、最近はどうでもいいことで泣いてしまう。
泣き疲れて今はぼんやりと外を眺めていたところ、予想外の人物に声を掛けられた。王子様とは王様との食事の席で一緒になることはあったが、直接会話するのは召喚時に手を貸してもらった以来だ。
「・・何でもないです」
そんなあまり話したことがない人に、勉強が分からないから泣いていたと子供みたいな理由を言える筈もなく。なんとなくバツが悪くて目を逸らした私に王子様が苦笑する気配がした。
「あまり、根詰めすぎないようにね」
この世界に来てからお世話をしてくれる侍女や教師たちみんなから、聖女様なら出来ます頑張ってくださいとしか言われなかった。
この世界の人たちは幼い頃から聞かされた童話の中の聖女像しか知らず、聖女の不思議な力をどこか盲目的に信じている。
しかし異世界から来た私にとって魔法とは何なのか分からないし、未だに使い方も理解できない。
それに基礎体力のトレーニングも運動不足の社会人にはキツかった。そもそも最後に運動したのは学生時代の体育の授業という怠けた生活を送ってきたので基礎体力すら無く、実戦で動きながら魔法を使えるようになる未来は全く描けない。
自分事だが客観的に見て、とてもじゃないが絵本の中の聖女のように魔王を倒せるとは到底思えなかった。
「魔法もこの世界の常識も聖女殿にとっては未知のものだろう。頑張りすぎると倒れてしまう」
「でもあなた達はそれを望んでいるじゃないですか」
心配する王子様の言葉につい反射的に冷たく言葉を返してしまった。
瞬間、不敬罪という文字が頭に過り青ざめる。
「・・確かに。呼び出した側が言えたことではないな」
恐る恐る王子様の表情を窺う。今王族に向かって不遜な態度を取ったのに、王子様は全く意に介していないようだ。
国家予算並みのお金と魔力が私の召喚には掛かっているらしい。一般教養の授業でそう聞いた。だから私は多少失礼な態度を取っても手打ちにされないと思っているが、眉の一つは歪めると思ったのに王子様は力なく苦笑していた。
「・・・・」
王様や侍女や教師たちは私が出来ないと言っても「大丈夫。聖女様なのですから必ず出来るようになりますよ」と優しく返す。そしてその傍らで何か困ったことがないか、欲しいものはあるかと親切な言葉を重ねてくるのだ。
聖女に対する妄信と歪な親切心を込めた言葉を毎日囁かれるのは私にとって正直苦痛でしかない。心配してくれるのは有り難いけど私の言葉は本当の意味で伝わらないと分かってから、そのうち曖昧に笑い返すだけになっていた。
「・・魔法、出来なくて」
ぐるぐるとそんなことを思い出していると、ぽろりとそんな言葉を吐き出していた。
思えば最近は愚痴も弱音も吐いていないなと頭の片隅で思う。
「うん」
「・・魔力っていうのも、よく分からなくて」
魔法を使うには、体に巡る魔力を掴みそれを体外に出す感覚を掴むことと、それを事象として変化させる理論を理解することが必要らしい。
理論は難しい。例えるなら大学レベルかと問いたくなるような複雑な数式と計算、それと全く知らない外国語を組み合わせた勉強をするくらい難しい。
また魔力については体の中にあるとのこと。今まで意識したことないそれを体の中から感じ取って外に押し出し、それを算出した魔法理論に適用すると魔法という事象としてこの世に発現するらしい。うん。さっぱりだ。
「難しいし、頑張っても全然できる気がしなくて・・」
「うん」
授業中分からないと言ってもその内出来ると言われ、どこか童話の聖女様が起こす奇跡をみんな根拠無く信じている。
今まで期待の眼差し、感謝の念、この世界を好きになってもらいたいなどのプラスの感情のみ受けてきた。
マイナスな感情をぶつけられるより数倍マシだと思うが、それはそれで居心地が悪かった。
良い感情や親切な言動に対して「できない」「どうでもいい」「早く帰りたい」と自分だけを優先させた言葉を何度も重ねることが心苦しく、段々と負の言葉を言えなくなった。
「・・・・なんで私は関係無いのに、こんなの頑張らないといけないの・・」
「・・うん」
俯く私の側で王子様がそうか、と小さく呟く。
「帰りたい?」
初めて。この世界で初めて言われた台詞だった。思わず声が震える。
「当たり前です」
「・・そうだね。すまない」
一つ言葉を溢すと、ぽろぽろと今まで溜めていた感情が出てくる。
「この世界の事情なんて私に関係ない」
「うん」
「早く家に帰りたい」
「ああ」
本当は今すぐ逃げたい。
元の世界にいた時はまた残業だとか婚活面倒だなとか色々不満はあったけど、それなりにやりがいもあったし楽しみもあった。
もし嫌なことがあってもいざとなれば逃げればいいし、それなりに折り合いの付け方も知っていた。でもこの世界は逃げられない。元の世界みたいに意地悪な人はいない。みんな優しい人ばかりだ。けれど、その優しさは。
「・・・・こわい」
そう。私は怖いのだ。
未知なこの世界が怖い。
期待に応えられないのではないかという不安。
課題をこなせないことの情けなさ。
みんなから魔王を倒せという期待。
もしこのまま魔法が使えなかったらどうするの。
その優しさはいつか剥がれるのだろうか。
そもそも戦うって何。怪我をして、そして何かを傷つけるって意味なのだろうか。
ぐるぐると不安が渦巻いて、先の見えない未来に思わず泣きそうになる。
すると隣に座っていた王子様が立ち上がり、ふわりと爽やかなコロンの香りが鼻を擽った。
「・・貴女にはとても負担を強いることになって申し訳ない」
「ちょっ」
香りに誘われて隣に視線を向けると、王子様は胸に手を当て頭を下げていた。
焦って声を掛けるが逆に手を取られる。
「本来違う世界の貴女には関係のない問題なのに、我々が力不足であるばかりに巻き込んでしまった。この国の者として、お詫び申し上げる」
先程までの気さくな雰囲気は無く、言葉を紡ぐその姿は真摯だった。
「けれど、」
今までにこやかな表情や真面目な顔など、王子様然とした態度しか見たことがなかった。
それは前の世界で会社の上司がよく使っていた仕事上の仮面だ。この人は自分の魅せ方を知っていて、それを使う人だとなんとなく分かっている。
でも、今初めて見るその表情は、眉間に何本も線を入れ苦悩に満ちていた。
「この世界には聖女が必要なのだ」
その表情を見れば分かる。王子様は私にこんなことを頼むのは本当は不本意なのだろう。
多分、この人の本質は誠実な人だ。でも自分の立場ゆえに私を利用しなければならないのだ。
複雑に揺れる薄緑の瞳はそれをしたく無いと物語っているが、それが出来ない。
「・・分かりました」
言い訳もしない。この人はただ事実と謝罪のみを言った。
この世界で唯一、私を物語の聖女と重ねず、心情を理解してくれた人。初めて私の感情に寄り添った言葉を掛けた人。
「・・必ず私を家に帰してくれますか?」
「ああ。必ず」
きっと私が何を言っても、この世界の人たちは魔王を倒すまで私の言葉は届かないのだろう。優しい真綿で首を絞めるように懇願し続けるだけなのだ。
そんな味方のいない状況の中で、私はこの孤独な世界で一瞬でもいいから本音を話せる人が欲しかったのかもしれない。
この人は王族だ。きっと最後は国益を優先しなければならない立場だろう。でも多分今、何かを決意したような眼差しを信じたくなった。
「聖女として、協力します」
刹那的でもいいから、私は何かに縋りたかったのだ。




