しとしと 9
その日は朝から腹の調子が悪かった。
急に用を足したくなって男は道を外れ草むらの中に入って行き、周りから姿を隠せる場所に座り込んだ。我慢していた分一気に押し出して、男はスッキリした。袂から紙を取り出して尻を拭き終わり立ち上がった時だった。
目の端に何か映った。
嫌な予感がした。
赤黒い塊だった。
頭では近づくなと警告が鳴っているのに、何故か足は近づいて行く。
草を避けるように手で払うと、それと目が合った。
「ひっ」
叫び声は喉に痞えて消えた。
男はその場に尻もちをついて動けなくなった。
獣に食い散らかされていたそれは腹のあたりがぐちゃぐちゃで、何かが引きずり出された辺りにはたくさんの蠅がたかっていた。
だが、男が見た一番の衝撃はそれの顔だった。
片目は食われて無くなって穴が開いている、だがもう一つの目、その目が男に強い悔いを訴えていた。
「無念だ」男の耳には声まで聞こえた。地の底から直接耳の中に届けられたような恐ろしい声だった。
男は耳を塞いだが声は途絶えなかった。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
男は言葉にならない悲鳴を叫びながらその遺体に土をかけ始めた。
どのくらいの時間が過ぎたのかわからない。
男は肩で激しく息をしながら、血だらけの自分の手を見つめていた。いつからそうしていたかは分からない。
男の前には小高い土の山が出来ていた。
よろよろと立ち上がると男は懐から守り袋を取り出した。
一年ぐらい前だったか男は川で陰陽師を助けた。沈む船に乗りながら笛を吹いていた、ひどく奇妙な男だった。その陰陽師が命を救ってくれたお礼にと言って、お札を一枚書いてくれた。
「肌身離さず、お持ちなさい。あなたを災いから遠ざけてくれるでしょう」
その言葉の通り、その日から男はちょっとだけついていた。とても些細な出来事だったがいつから男はこのお札のお蔭だと信じるようになっていた。
そのお札を守り袋から出して男は小山の上に置いて、それの上に手頃な石を置いた。
「どうか、どうか、心安らかに眠ってくれ」
男は手を合わせて必死に祈った。