しとしと 6
「おはようございます。お父様」
武千代たちが挨拶に母屋に行こうとしたが、黎人はもう庭に出ていた。
黎人の肩の辺りには数匹の紙の蝶が舞っている。
「おはよう」
振り向いた笑顔が眩しすぎて、武千代以外は自然と目線が下がった。
「眩しっ、まともに見れないよ。すげーな、天命の子」
忠平の心の声が漏れる。
良房が前から見えない背中をつねった。
武千代が黎人に駆け寄る。
「今日はまず何から?」
「昨日、この人と話をしたんだけど」
「話?」親子の会話に忠平が割って入った。
「会話が成り立ったのですか?」
「うん」
黎人は当たり前の様に返事をする。
「人形にしたとは言え、あれはまだ強い邪気の塊だったのに。あれに人の理を思い出させたのですか?」
忠平と良房は、呪術専門の南家の当主で黎人の兄でもある、道師玄斗と一緒に除霊を行ったことがあった。西家と南家が共同で行った大きな除霊で、もちろん西家も当主、宿禰清煌も参加していた。
小規模だが新たな土地神を封印するという作業で、産れたばかりでたまたま手近にいた人を食ったため、その人間の悪意を飲み込み、邪気が膨らんでしまった神と対峙する事になったのだ。
南家の者が結界を張り、その中で西家の者たちが霊剣を振るって邪気を削った。
そして邪気が小さくなったところを捕縛し、人形にし、人の理を教え新たな神としてその地に眠ってもらったのだが、その時その神の怒りを治め、諭すのに玄斗は三日三晩神言を唱え続けていた。
もちろん、神との違いはあるだろう。
「たった一晩で?」
忠平の頭の中を見たわけではない黎人には、忠平が何に驚いているのかが理解出来なかった。
「気治めの神言を唱えたからね」
陰陽師なら別に南家の者に限らず知っている基本の神言だ。
「いや、そうではなくて・・・」
自分の驚きを説明しようとした忠平だったが言葉が出なかった。
「一晩でそのような事が出来るとは見たことも聞いたこともなかったので」
代わりに良房が繋いだ。
ああ、と黎人は納得する。
「私の霊力は少しばかり特殊だからね。でも、あのくらいの邪気を静めるのなら君たちの当主も簡単に出来るのだけどね。見たことも聞いたこともなかったんだ」
へー、と黎人はおかしそうに微笑んだ。
「まあ、あれは神言が嫌いだし、何よりめんどくさがりで何でも斬ってしまうからな」
何かを思い出したのか黎人はその後もくすくすと笑い続けた。
「いや、面白い事を聞いた」
独り言のように呟く。
吉房と忠平は口を開けたまま顔を見合わせた。
自分たちの師匠であり家の柱でもある当主が、神言がそんなに使えるとは初耳だったし、除霊に関して微塵も手を抜くことを許さない厳しい師でもある清煌が面倒だから霊剣を振るっているという事実が信じられない。
「じゃ、行こうか」
衝撃を受けて石の様になってしまった二人を気に掛けることなく、黎人は庭を出て行った。
「さあ、行きましょうか」
動かない二人を武千代が強引に引っ張りながら後に続いた。