ぷつぷつ 1
始めは小さな物だった。
妻戸の脇の柱に、何か小さな塊があった。
夢の中の私は寝床からそれを見ていた。
何だろう?
必死に目を凝らして見ているのだが、それが何なのかは分からない。
とても、小さいのだ。
でも、確かにそこにあってとても気になる。
私はまんじりともせずそれを見つめ続ける。
そして、朝、目を覚ました。
次の日も同じ夢を見た。
柱にはまた何かある。
私は目を凝らしてそれを見た。
昨日より、それは大きくなった気がする。
ぷつぷつ、ぷつぷつ、それはぷつぷつしていた。
小さなぷつぷつとしたものが、集まって少しづつ大きくなっている。
気持ちが悪い。
そう思ったが、目が離せない。
私は嫌々ながらその塊を見つめ続けた。
そして、朝、目を覚ました。
「夢の中でそれは少しづつ大きくなって近づいて来ると」
忠平は相槌を打ちながら、自分の後ろで仁王様のように腕を組んで立っている、西家第一席、竹屋寅次郎を盗み見た。
寅次郎は目をつぶり黙って立っている。
寝てるんじゃないだろうな、忠平はその姿に舌打ちをした。
「昨日は寝床から手が届く距離に来ていて、大きさも拳ぐらいの大きさになっているのです」
几帳の後ろの姫の声は震えて消え入りそうだ。
この姫がここまでこの夢に怯えるのには訳があった。
この家の主人である父親の三条家の殿様が同じ夢を見て、今病に臥せっているのだ。
三条家の殿様は夢を見た後、腕にぶつぶつと湿疹ができたと話していたという、でもその湿疹は他者の目には見えなかった。湿疹が痒いと腕を掻くようになりそれが腹、背中と広がり、血が滲むほど搔きむしるので手を布で覆って押さえつけなければならないほどになっているという。
娘はその話を聞きつけ、母親に自分も夢を見ていると訴えたのだ。
そして、母親から陰陽師に依頼があった。
朝廷の高官である三条家の依頼であったため、筆頭家である西家がこの依頼を受け、間違いのないよう第一席が出向いてきたのだが・・・。
とにかく火急だと急がされ、寅次郎と忠平は依頼内容を確認する間もなく三条家にやってきた。
そして、今、三条家に起こった怪異についての話のあらましを聞き終えたのだ。
話疲れた三条家の一の姫を休ませ二人は案内されるままに別の棟にやってきた。案内の小姓がいなくなったのを確認して忠平は寅次郎に歩み寄った。
「これ呪詛じゃないですか?」
「だな」
寅次郎の返事は至って簡潔だ。
「俺らじゃどうしようもないですよね?」
「だな」
「でも、これ急がないとまずいですよね?」
「おう」
いつもながらの会話だがここは西家ではない。忠平は苛立ちが募っていく。
「急いで、南家か北家に応援を頼まないと」
「そうだな」
「寅さん、そんな呑気に構えて。じゃあ急いで下さいよ」
忠平は寅次郎の自分の物より色が薄い黄色の狩衣の袖を引っ張った。すると寅次郎がその腕を伸ばして外を指さした。
忠平の視線は自然とその指先を追う。
その目線の先、広い庭のさらに先に紺の狩衣を着た人が門番に案内を乞うている。
「応援が来た」
陰陽師にしては珍しい浅黒く焼けた肌のごつい大男は破顔した。黒い肌のせいか白い歯が眩しいほど輝いている。
「いつの間に」
忠平は大男を嬉しそうに見上げた。
「あ、でもあれ紺の衣。東家の人じゃないですか」
笑顔は消え声には非難が含まれている。
「大丈夫、あれは東家の第一席であり、南家の第三席だった男だ」
その返事に驚き忠平は慌ててもう一度門の方を見る。
紺の狩衣の男たちはもうだいぶこちらに近づいていた。
「桂様と・・・」
忠平は確認するようにじっくり桂の横に並ぶ若者の顔を見た。
「東家の若当主様だ」
庭を横切りながらやって来る二人も忠平たちに気づいて、片手を上げて合図をした。
「桂」
寅次郎が大声で応える。
二人は案内人に頭を下げ、小走りでこちらにやって来た。
「なんだ、火急の用とは」
真っ白い髪に切れ長の瞳。
良房も切れ長の細目だが、五辻桂の瞳は切れてはいるが細くはない。その一重の三白眼に睨まれると、目下の者は口も開けなくなる。
勿論、寅次郎には利かない。
「桂、久しぶりじゃないか~」
寅次郎は急ぎの用の事など無視して桂に抱きついた。そのまま上に持ち上げる。
持ち上げられた桂は何の抵抗もせず、されるがままになっている。ただ、恐ろしく顔が無表情だ。
忠平はこの二人が一緒に居る所を見た事がなかった。だが、大厄災を経験した数少ない陰陽師の生き残りで同年の二人なので、その絆の深さは容易に想像することが出来る。
でなければ目下の者たちの間では、近くに寄れない人物筆頭に上がっている白銀はくぎんの君に、こんなことは出来ないだろう。
熊に掲げられた状態の白銀の君はどんどん死体のように生気が無くなっている。
「いいかげんに降ろせ。この熊が」
とうとう桂の我慢の緒が切れた。
「何だもう降参か?」
嬉しそうに桂を下ろすと寅次郎は意味不明の言葉を吐いた。
忠平は「うへぇ」と顔を歪めた。
頭の中まで筋肉が詰まっている寅次郎は勝負事が大好きで、何でも勝手に勝負にしてしまうくせがあった。
西家でも知らない間に勝負が始まっていて、負けを言い渡され罰を受ける同胞が後を絶たない。
西家では日常の事だが、外でもこれを、しかも白銀の君にやってしまったのかと、忠平は動揺を隠せなかった。
だが、当の桂はパンパンと狩衣の皺を伸ばすと平然としている。しかも、
「ああ、降参だ。寅次郎は相変わらず力持ちだ」
と言ってのけた。
「うへぇ」と忠平はもう一度驚いた。
だが言葉と違いその顔は持ち上げらた時と同様に何の表情もなかった。
その無の表情に気づかないのか、寅次郎は嬉しそうに、ガハハと笑っている。
「お二人が一緒の所は私も初めてですが、私たちには想像がつかない深い絆がおありなのでしょうね」
呆けている忠平の後ろから声が掛けられた。
振り向くと、眉、瞳、鼻筋、口元、全てがきりっと締まった若者が微笑んでいた。
「武千代がお世話になったと、とてもうれしいそうに話してました」
好青年を絵に描いたこの少年は、真人弾心という。東家当主、真人弦蔵の弟で、次期当主になる少年だった。
「武千代は元気でやってますか?」
あれから三か月が経っていた。
いつの間にか夏が終わり、新緑だった景色も赤や黄に色づいてきている。
「ええ。あれは扇野郷に入り浸っていますよ」
弾心は少し寂しそうに笑った。
ああ、そういうことか・・・。
この前の除霊で親しくなったため、忠平は東家の内情を少し知った。
弾心は本当の兄、弦蔵より一つ下の武千代と本当の兄弟のように育ったと聞いている。武千代の事情を知る前までは、年が近い兄弟のような二人が揃っているのに、何故一人は除霊の仕事に参加しないのだろう?とある事ない事を勝手に想像していたが、事実は違っていた。
武千代は物部家もののべけの人間なのだ。
そして近い内、物部家に戻り、当主を継ぐのだろう。
禁足が取れた物部家が再興される話が実現されるのだろう。
そして、武千代は行く行くは禁軍将軍になるのだろう。
忠平には弾心の寂しさが少し理解出来た。
「忠平、事情を説明しろ」
突然の寅次郎の大声に忠平の想像は弾かれた。
「さっさ、行きましょうか」
弾心が仏のように無の表情になった桂を心配して、忠平を急かした。




