しとしと 2
「何だか今日は里長さんの家が賑やかじゃないか?」
鍬を担いだ男は畔に座り込んでいた男に声を掛けた。男は「ああ」と腰を上げた。
「ほら、あの隣里に行く山道に幽霊が出る話があっただろう?」
「その話しか」
男は青ざめて身震いする。
「みんな怖がって困ってるだろう」
男が青ざめたまま相槌だけ打った。
「だから、隣の里長とも相談して、陰陽師に頼んだそうだ」
「へぇ、そうか」と驚いた男は里長の家を遠巻き囲んでいる野次馬を見つめた。
「さて、俺も行ってみるかな」
立ち上がった男が鍬を担ぎ直すと、後から来た男は畦に座った。
「お前も好きだな」
「そりゃ、陰陽師なんて見る機会ねえだろう。都人だって見たことないのに」
「まあ、興味はわくな」
そう言ったが男は畔に座り直した。
「何だ行かねえのか?」
「ああ、俺はいい。幽霊話は嫌いだ」
「俺も嫌いだよ」と言いながら男はいそいそと里長の家に向かって行った。
畔に座った男はしばらくその後ろ姿を見つめていた。
「知らない方がいいことがあるっていうのによ」
吐き捨てる様に呟くと男は畑仕事に戻って行った。
里長である喜平は都からやって来た二人の男の前で縮こまっていた。
一人は紺の水干姿のまだ幼さが残る美しい少年で、この少年だけでもこんな田舎ではお目にかかれないほどの美しさで目が上げられないのに、少年の後ろに控える主人であろう陰陽師は目が眩む光を放っていた。
物腰の落ち着いた様子からそれなりの歳なのだと思われるが、白く艶やかな磁器のような肌からはまったく年齢が分からない。強い意思を感じるしっかりとした眉、その下にある優し気な瞳、鼻筋はしっかりと通り、紅を引いた様な赤いふっくらとした唇が微笑みを湛えている。
陰陽師は皆色が白いと聞いてはいたが、差し込む日光を受けその男自身が光を放っているようだ。
目だけを伏せていた喜平はとうとう頭を下げて、ますます縮こまってしまった。
「…というわけなのですよ」
言葉にもまったく力が入らず消え入りそうだ。
「そうなのですか、その怪異に丁度通りすがった陰陽師が対処して下さったのですね」
「はい。一刀両断したのでもう霊に悩まされることはないと仰って下さいました」
少年はまったく嫌な顔もせず、ニコニコと頷いた。
「それは、良かったですね」
その笑顔に喜平の丸まった背中も幾分伸びた。
「お父様、剣で祓って下さったようですから西家の者ですね。かの者たちが切り捨てたなら、もう片がついてしまったことかと。これからどうしますか?」
「そうだね」
黎人は外を眺める。
「せっかくここまで来たのだから、その場を見てからにしようか。里長殿?」
その声は、二人の関係が親子だった事に気を取られていた喜平の耳に届かなかった。
「里長殿?」
黎人の涼やかな声がもう一度喜平を呼ぶ。
「あ、はいっ」
我に返った喜平は居を正した。
「日が暮れるまでこの屋に居て構いませぬか?」
その問いに喜平は床に頭を擦りつけて答えた。
「あ、はい。お好きなだけ居て下され」