しとしと おまけ
おまけ
東家の屋敷は山裾に接している。
その一番奥まった所に東屋があった。
その東屋の長椅子に身体を預けながら黎人は酒を飲んでいた。
爽やかで芳醇な香りが辺りに漂っている。
「梅の酒か」
黎人は声の主の方に視線を投げた。
「去年のものだよ。去年は梅が豊作だったから、たくさん仕込んだんだ」
「良い香りだ」
弦蔵が横に座ると、当たり前のように黎人は頭をその太ももの上に置いた。
髪を梳くように優しく弦蔵が頭を撫でる。
「武千代がこの間の除霊のことを書き留めていたよ」
「そうか」
「真剣な顔をして書いていた」
「読んだのか?」
「読ませてはくれなかったが、見ていたからね」
黎人は、悪い父だと頬を緩めた。
「お前が倒れた後、西家の小坊主どもと色々話をしたようだね。西家の若いほうが」
「忠平ね」
黎人が正す。
「そいつが、ろくに会ったことがない者同士が結婚するのはよくないな、と。そしたら年のほうが」
「良房ね」
「そいつが、でもほとんどの家が親が結婚を決める。好き合った者同士の結婚のほうが珍しい。親の決めた相手と結婚しても大抵どこも上手くいっているものだし、好き合った者同士だから揉め事が起きないわけじゃない、と」
「良房は物の道理が分かった子だからね」
「若いほうはそれでも納得がいかないようで、義理や義務で一緒にいるなんて間違っていると喚いたそうだ」
「忠平は真っすぐで純粋な子だからね」
「そんな奴らの話を聞いていて、うちの可愛い息子は義理や義務でも愛は愛じゃないかと思ったそうだよ。愛の形には違いない、けど市郎の愛は安には伝わらなかったし、安の思いも市郎には伝わらなかった」
市郎と安は名前なんだね、と呟く黎人を弦蔵は無視した。
「可愛い息子は、どうすればよかったのだろう?と。正しい夫婦の在り方とはどんなものなのだろう、と大いに悩んでいたよ」
「真面目で万物を愛する武千代らしい悩みだね」
二人は目を合わせると微笑んだ。
「答えのない答えを探すのが若者の特権だね」
黎人は身体を起こし酒を口にした。
「弦蔵は私が何も言わず弦蔵の前から消えたらどうする?」
「死ぬ」
即答だった。
「そうか、死ぬのか」
黎人は可笑しくて笑った。
「何か理由があると思ってしばらく考えたり、探したりしないのか?」
「お前が話せないような理由ならお前から聞く事も知ることもできない、お前が本気で姿を消したいと思っているなら探すなど不可能だ、だから死ぬ」
確かにそうだ、と黎人は納得する。
「お前はどうする?」
弦蔵が聞き返した。
「私?私は、待つかな」
「俺が戻ってくるのを?」
「うん。やっぱり弦蔵が本気で消えたのなら探すのは不可能だと思うし、理由もわからないだろう、でも絶対どうにもならない理由があるはずだから、それが解決して戻ってくるのを待つかな」
「絶対解決しないことで戻ってこないかもしれない」
「でも、待つかな。私が生きていれば弦蔵は必ず戻ってくると思うから、私は待ってしまうだろう」
またゴロリと弦蔵の腿に転がる。
そして、弦蔵の顔を見上げる。
「傍に居ても居なくても、所詮私の頭の中は弦蔵でいっぱいだから変わりはしない」
その言葉の最後は弦蔵の口に吸い込まれた。
「頭の中だけじゃなく、身体も俺でいっぱいにしてやろう」
あっという間に単衣の紐をほどかれる。
黎人は単衣に大口袴、その上に千翔が遺した単を羽織っただけという格好だったので脱がされるのに手間はいらなかった。
「こんなところで昼間っからこんなことをしてれば桂が飛んでくるぞ」
すでに自分の首に吸い付いている弦蔵の頭を引きはがした。
「結界を張った」
「いや、素早いのはいいが、私たちの結界などあれには通じないじゃないか」
「じゃあ、闇を降ろせ」
「ここだけ真っ暗だったら、それこそ何してるか丸わかりだろうよ」
「ではすぐに済ませよう」
それだけ言うと、また開きかけた黎人の口を弦蔵は塞いだ。本格的な口づけに黎人も抵抗する力が入らなくなってくる。
つい口づけに応えてしまっていると、急に冷たい風が二人を包んだ。
「こんな昼日向から、こんな場所で、東家の当主たるものが何を何しちゃっているんですか?」
分かっていたが二人は恐る恐る顔を上げる。
そこには不動明王のように構えた黎人の守護者、五辻桂の姿があった。
「桂、私たちはただ語り合っていただけだよ。何を何しちゃってなどいないよ」
身体を起こし着物を素早く整えた黎人はしらじらしくも言い訳を並べた。
「よくもまあ、そんな誤魔化しを言えますね。あなたのご主人の下半身を見てご覧なさいよ」
そう言われて黎人は、やはり素早く身を起こし座り直した弦蔵のそこに視線を投げた。弦蔵のそこは確かに着物を押し上げ自己主張をしていた。
「あはは」
とりあえず笑って誤魔化す。
「まったく、結婚されて13年。ほぼ毎日そのようなことをしてらっしゃるのになぜに飽きないのですか?というか、弦蔵、お前のそれは病だ」
弦蔵は足を組んで自分のそこを抑え込むとしおらしくお説教を聞き始めた。
「いや、桂、私たちは確かに結婚して13年だが、私が意識がなかった2年間とか、起きてからも床に伏せっている間とか、しかもさすがに元気な時も毎日なんて睦み合ってはいないんだけど」
言い訳を始める黎人の事など全く無視して桂の説教は続く。
「何も私とて、もういい年をしたあなた方の営みの邪魔をしたいわけじゃないんですよ、いつも時と場所を選ぶように言っているわけですよ」
うん、うん、と弦蔵は実に殊勝に耳を傾けている。
弦蔵は桂のお小言だけは必ず聞くのだ。
桂の髪が一瞬にして真っ白に変わってしまったあの日から、決して桂には逆らわないと決めている。
黎人も、もう何を言うことも止めて、代わりに酒を飲み始めた。
目の前に広がる、愛すべき男たちのやり取りを肴に、うれしそうにちびちびと酒を飲む。
「ああ、最高のひと時だな」
黎人は空を見上げて呟いた。