しとしと 18
しとしと 18
「そんなことがありました」
良房、忠平は西家の屋敷の母屋で、自分たちの師であり当主の宿禰清煌に留守中の除霊の報告を終えた。
扇野郷でどんな目に合うかとビクビクして真人弦蔵の到着を待っていた二人だったが、やってきた弦蔵は二人などには一瞥も与えず、黎人の休んでいる部屋に駆け込み、出てこなかった。
その後すぐ、飛び込んできた東家第一席の五辻桂も部屋に入ったまま出てこなかった。
葉と鈴にお前たちの当主も戻るだろうから、お前たちは家に帰れと言われ、帰路についたのだった。
そして、報告を終えたのだが、それを聞いた清煌の目が見開いていた。二人はこんな当主の顔を始めて見た。
普段から清煌の表情はほとんど動かない。白く整い美しいがその表情のなさに氷の麗人と言われているのだ。
その清煌が目を丸くしている。
二人は何故かとても怖かった。
「それで、黎人は目覚めたのか?」
その質問にもぽかんとなってしまう。当主の口から東家の北の殿様の話など今まで一度も聞いたことがなかった。
「い、いえ。東家の御当主がやってきて部屋にお籠りになった後のことはしらないので・・・」
何とか良房が答える。
二人の挙動に気が付いた清煌はいつもの当主に戻った。
「そうか、わかった。まあ、何事もなくてよかった。あれの真言を聞くなどいい勉強になっただろう。良い経験をした」
「はい、とても勉強になりました」
二人は声を揃え言い、頭を下げた。
「もう、下がって良い。ゆっくり休め」
そう言い、二人を追い払うように手を振った。
まだ、話をしたかったが、二人はおとなしくその場を後にした。
二人がいなくなった部屋で清煌は一人外を見た。
開け放たれた妻戸から庭が良く見える。
6月も終わり外は暑くなったが、部屋には涼しい風が吹き込んでくる。
「出掛けられるようになったか・・・」
綻ぶ口元を隠すように手で支え、清煌は懐かしく愛しい日に思いを馳せた。
文机に向かい真剣に書き物をしている武千代の背中を弦蔵は暫く眺めていた。
別段こそこそと部屋に入って来たわけではないが、相当に集中しているようで、武千代は全く気づかない。
暫くそうして待ってみたが、諦めて弦蔵は声を掛ける事にした。
「何を真剣に書いているのだ」
案の定、武千代は驚いて筆を滑らせた。
「びっくりするじゃないですかとう様」
寄れた字を恨めしく眺めながら、口を尖らせる。
「すまん、そんなに驚くなんて思わなかったんだよ」
謝りながら背中越しに手元を覗く。
「覚書を残しておこうと思いまして」
武千代はちょっと照れくさそうに下を向いた。
「読ませてくれ」
弦蔵が手を出すと、武千代は慌てて身体で紙を隠した。
「本当に思ったことをつらつらと書き留めただけなので、とう様に見せる物ではないです」
あまりに必死な様子が可笑しくて弦蔵は吹き出した。
「わかったよ、見ないよ。思ったことを書き留めるのは良い事だ。続けなさい」
弦蔵は手を振ると、部屋を後にした。
武千代は寄れてしまった紙を丁寧に伸ばした後、また真剣な顔して、その紙に筆を走らせた。
しとしと 完