揺り籠⑤
「それで、なにしに来たんだよ。」
「なにしに来たとはご挨拶だね。」
突然訪ねてきたまことは、現在俺の部屋を物色している最中だ。
「うんうん、部屋は綺麗に片付けられているね。」
「……。」
掃除しているのは俺ではないし、なんなら毎日のように思緒姉ちゃんが掃除しているので綺麗なのは間違いない。
「これならいつでも女の子を連れ込めるね。」
「おい待て、連れ込む女なんていないぞ。」
「そうなの?現にこうして連れ込んでるじゃないか。」
そう言いながら、まことは自分のことを指差す。
「お前は連れ込んだんじゃなくて自分から来たんだろ……。」
「あはは、照れなくてもいいのに。」
「……。」
決して照れなんかいないが、反論するだけ無駄だろう。
そんなことよりも今は連絡のつかない玉波先輩の方が気がかりだ。
それに…
「……なぁ、まこと。」
「なに?」
勉強机の椅子に座って、ノートをペラペラとめくりながらまことはこちらに目を向ける。
「……いや、なんでもない。……家に帰らなくてもいいのか?」
まことが来てからすでに数十分、すでに外では雨が降り始めている。
「いいんだよ。」
まことの返事はそれだけ。
「いいってお前なあ…。ほんと、何しに来たんだよ。」
「うーん、一言でいうなら君の護衛かな。」
「…護衛?」
「私がここに来たのは君のお姉さんに言われたからさ。」
「思緒姉ちゃんに?」
「はる君が外に出ないように見張っておけってね。こんな台風の中外に出るなんて危ないからね。」
「……。」
まことの言葉に、どれくらいの嘘が含まれているか今は定かではないが何か目的があってここに来たことは確実だろう。
椅子に座ってこちらをみるまことを訝しげに見ていると、突然手に持っていたスマホに着信が入る。
慌てて画面を見ると玉波先輩の名前が表示されている。
「た、玉波先輩ですか!?今どこに…!」
『うるせ〜な、耳元で騒ぐんじゃねえよ。』
「……!」
それは、今一番聞きたくない声であり。
同時に、今最も居場所を突き止めたい者の声だった。
「……藤本!なんでお前が!」
『さぁ、なんでだろうな?』
「玉波先輩は…。」
『声が聞きたいか?だがすまんな。今は気絶してる。』
「お前…!もし玉波先輩に何かあってみろ!」
『ハ、ハハ!何かあったらどうするんだ?』
「……その時はお……」
怒りに任せて俺が言葉を吐く前に、俺の手からスマホが抜き取られた。
「なっ!?おいっ!」
人差し指を口の前に持ってきて、まことは俺に静かにしてろとジェスチャーで答える。
「やぁ、藤本先生。」
『あ?誰だ。』
どうやら、スマホを俺から取り上げた時にスピーカーをオンにしていたらしく離れていても藤本の声は聞こえる。
「分からないですか?私ですよわたし。」
……そんなオレオレ詐欺みたいな言い方で会話を繋げようとするなよと思いながらも、今はおとなしくまことに任せる。
流石にこの状況で彼女がふざけるとも思えないし、何よりなにか策があってのことだろう。
『…………まさか、家内思緒か?』
……は…はぁ?
今、家内思緒と言ったのか?
わけも分からずジッとまことの顔を見てしまう。
スマホを手に持つまことの顔は、うっすらと笑みを浮かべているように見えた。
「久しぶりですね、先生。」
『相変わらず、気に食わねえ喋り方だな。今お前に用はねえから弟に代われ。』
「いいや、断る。」
『……。』
「はる君には…私の家族には一切手を出させないし傷つけたら許さない。」
まことの言葉は澱みなく溢れる。
「もし傷つけようとするなら、私が貴方を殺します。」
「……。」
殺すというのはあまりに大袈裟だが、まことならやりかねないという不安も少なからずあった。
『くだらねえ、お前はもっと賢い奴だと思ってたが…まあ家内に伝えてくれ。聖女様を助けたいなら藤本医院の跡地に来いってな。』
「嫌だね。」
まことは通話を切ってスマホを俺に手渡す。
「さあ、どうする?はる君。」
「どうするって…決まってるだろ!玉波先輩を…」
「私は行くべきじゃないと思ってる。」
「…な…なんで。」
「さっきも言った通り、君に危険が及ぶかも知れないからだよ。」
「それでも…」
「自分が死ぬかも知れないのに、赤の他人のために命を張るの?」
「…。」
命の危険…たしかにそうだ。
実際に野宮さんが怪我をして、今もこうして玉波先輩に危険が及んでいる。
………でも、それもこれも俺のせいではないか?
藤本が俺を呼んでいるということは、きっと俺に原因があるはずだ。
岩木智子の一件から野宮さんは無関係とは言えないが、少なくとも玉波先輩が巻き込まれる必要なんてどこにもなかった。
「………約束したんだ。」
「約束?」
中学2年生の冬、卒業式の日…。
俺は先輩と約束した。
「俺がいるから……きっと大丈夫だって。」
トイレで泣いていた先輩と、ひとりぼっちだった自分を重ねて。
俺を迎えに来ると言ってくれた先輩だからこそ……。
「玉波先輩を…助けたい…!」
それは独りよがりな思いかも知れないが、何もできなかった俺にとって唯一と言っていい自分の意思だった。
いつのまにか視界がぼやけて、頬を涙が伝っていた。
あの頃のことを思い出すと、未だに泣いてしまう。
「………そっか。それなら…」
まことがベッドに座る俺の前で膝をついて、俺を抱き寄せる。
「私も一緒に行ってあげる。」
「……まこと…?でも…」
「いいんだよ。私は自分の家族のためならなんだってする…はる君を守るためならどこへだって一緒に行くよ。」




