伽藍②
「私の名前は玉波姫よ!」
玉波…先輩は堂々と自己紹介をした。
それはもう見事なほど堂々と、小柄な身体で頑張ってるなとか胸はそんなに無いんだなとかは全然思い浮かばないほど立派な自己紹介だった。
「……。」
「………。」
微妙な空気。
よくよく考えれば、こんな正々堂々と自己紹介された時の返しなんてすぐには思い浮かばない。
初めてのクラスで順々に自己紹介するのとはわけが違うのだ。
「…よろしくお願いします。」
そんな、何の捻りもない挨拶しかできなかった。
「よ、よろしく。」
玉波先輩は俺の返しをどう思ったのかは分からないが、ポテンとソファーに腰を下ろした。
ふと今の時刻が気になり時計を探すが、どうやらこの部屋に時計は置かれていないらしく見つけることができなかった。
仕方がないので携帯を覗く。
時刻は7時20分頃、大体の部活が7時30分から開始らしいが運動部なんかはすでにランニングやストレッチを始めていたりする時間だろう。
しかし…違和感。
その違和感の正体に気づくのに、さほど時間はかからなかった。
「この部屋、すごく静かですね?」
静か…というよりほとんど外の音が聞こえない。
放課後ならば楽器の音や掛け声が校内のどこにいても結構聞こえてくるものだが…。
「この部屋は防音なのよ!隣の部屋なら多少聞こえるでしょうけど。」
玉波先輩が自慢げに話す。
防音…?
「じゃ、じゃあ時計とかって置いてますか?」
「時計?時間なんて携帯で見れば良いじゃない。」
「そう…ですね。」
一瞬、もしかして玉波先輩は学校にいる間ずっとこの部屋にいるのかとか思ったが、流石にそんなことはないだろう。
単位だってある、流石に授業に出ないわけにはいかない。
「い…家内がここを気に入ってくれたのなら…その…授業なんて出ずにここに居てくれても良いのよ?」
白い髪の毛を指で巻きながら玉波先輩がこちらを見る。
「……すみません先輩、授業って受けてますか?」
「授業は免除されてるわ。テストで点数さえ取れば出席したことになるし平常点もちゃんと評価されるの。」
「そんな馬鹿な…!」
そんな夢みたいな制度があるのか?いや、あって良いのか?
テストの点数が良いやつなんてこの高校にも何十人といるだろう。その全員がこんな特別扱いを受けているとは到底思えない…。
「私の仕事は絵を描くことだから。」
玉波先輩の表情が、なんだか寂しげなようにも見えた。
「2年生にもひとりいるでしょ?家内は不思議なことを気にするのね。名前は忘れたけどその子も授業免除くらいの扱いは受けているはずよ。」
「そ、そんなやついたかなあ…。」
2年生だけでも200人近くいる。俺が知らないだけの可能性の方が高いが、そんな奴がいれば周りで有名になっていもおかしくはないはずだ。
それにしても授業の免除って…学校側がそれを許すだけの見返りがあるということか?
玉波先輩の場合はそれが彼女の描く絵…よく表彰を受けているようだし、学校の宣伝にもなりうる。
何かしらの見返りを条件に授業を免除…それなら剣崎会長が明らかに授業をサボって屋上で熟睡しているのを何度か目撃したことにも納得がいく気がする。
いずれにしても、俺が気にしても仕方がないことだというのははっきりした。
「玉波先輩、紅茶ありがとうございました。俺そろそろ教室に戻ります。」
「…ぇ……」
玉波先輩が最初の印象とは違い思ったより接しやすそうな人だということは分かったが、やはり長居しても迷惑なだけだろう。
これだけ特別な部屋を用意してもらっているほどだ、雑音というのはやはり気になるだろうし。
ソファーから立ち上がって隣の部屋へと続く扉を開けようとするが、鍵がかかっていて開けることができなかった。
「あれ?」
「…家内。」
気づくと、玉波先輩が俺の服の裾を後ろから引っ張っていた。
「玉波先輩、これ鍵ってどうやって開けるんですか?」
扉には鍵穴こそあるが、内側から解錠するためのあの捻るやつが見当たらない、確かサムターンとかいうやつだ。
「私の持ってる鍵がないと開かないわ。この部屋の扉には外側にも鍵穴は無いから。」
つまりは、内側から鍵をかけるためだけの鍵。
外の部屋、美術部の部室と廊下を繋ぐ木製扉には外側にも鍵穴が付いていたのでこの扉も部屋と同じく玉波先輩の要望で作られたものか。
「家内、また休み時間に来てくれる?」
…玉波先輩の上目遣いは、非常に心臓に悪かった。
「こ…来れたら来ます。」
「嫌、絶対に来て。」
そんな駄々っ子じゃないんだから…。
それに休み時間になると野宮さんがやってくる。
この部屋を見るに玉波先輩は外部との接触を避けたがっているようだし…。
「そ、それじゃあお昼休みにお邪魔します。一緒に昼飯食べましょう…これでどうでしょう?」
「一緒に…お昼ご飯……わかった。昼休みまで我慢するわ。」
そう言って、スカートのポケットから鍵を取り出した玉波先輩はすぐに扉を開けてくれた。
…我慢って何だろう。
というか、もし玉波先輩が鍵を開けてくれなかったら…どうなっていたたんだ?
「それじゃあ家内、また後でね。」
部屋を出る俺を、玉波先輩は下手くそな笑顔で見送った。




