失墜⑥
「目を瞑ったまま、幸せになって。」
思緒姉ちゃんの声はそこで途切れる。
状況が状況なだけに頭の中はめちゃくちゃこんがらがっていたが、俺の中で整理する時間は与えられらない。
「陽満。」
玉波先輩がようやく口を開き、俺を見据える。
「神様はいると思う?」
「神様…ですか。」
いきなりの漠然とした質問に、どう答えればいいか分からない。
というか、思緒姉ちゃんと泉の話もいきなりすぎて訳がわからないのが本音だ。
「まぁ…居ないんじゃないですかね…俺幽霊とかも見たことないですし。」
「…そう。それなら、私はナニ?」
「…え。」
「金銭欲からきたものとはいえ、父が創った…新興宗教とでも言えばいいのかしら。…まぁ、なんでもいいけれど、その信者達から神として崇められた私は…。」
「それは…。」
人によっては、神様として認められるのか。
現人神なんて言葉もある。
少なくとも俺から見れば両親からの虐待を受けた被害者…になるのだが。
神様の定義なんてあるかは分からないが、誰かひとりでもそれを神と崇めた時点でその人にとってはソレこそが神様であるとも言えなくはない。
「見ればわかると思うけど、私の髪や皮膚は人を騙す道具としてとても便利なものだったみたいよ。」
先輩が白い髪の毛先を少しだけ持ち上げて見せる。
玉波先輩が何を伝えたいのか、最初はよく分からなかったがなんとなく理解できた。
細かく思い出したりしたくはないのだろうが、今までここでされてきたことを大まかに説明しようとしているのだ。
髪と皮膚がどんな使われ方をしたかは…あまり知りたくない。
「夏休みに連れ去られて…陽満達に保護された時ね。家が燃えて両親の安否が不明と知って私…安心したの。」
先輩は笑みを浮かべている。
心底心地良さそうな、安らぎの笑みだ。
「両親が死ねば、自由になれると思ったから。まぁ、結果的にお父さんは生きていたけれど、もう障害にはなり得ない。」
俺は黙って先輩の言葉を聞く。
「今日ここに来たのは、お互いの過去を知って…決別するためよ。」
「決別…。」
「私達、出会いは中学だけど顔も分からないままで、互いの過去なんて全くと言っていいほど知らなかったから。」
思えば、一度先輩を門の前まで送ったことがあったが、その時も父親と出会したせいで家の中の様子を探ることはできなかった。
俺は玉波先輩を助けたいと思いながら、気づけば今日まで何もできずにズルズルと過ごしていただけだった。
「あぁ、そういえば以前このふたりにも同じような質問をしたんだけれど…なんで返ってきたと思う?」
先輩がなんとも言えない苦笑を浮かべて言う。
質問というのは恐らく神様がいるかどうかという問いだろうか…。
「「もし神が存在するなら私とハル君はふたり姉弟だったわ。」よ。」
2人の声がハモった。
「……。」
なんと返せばいいのか分からないのでノーコメントだ。
本当の姉妹なのだから仲良くしてくれ…だなんて言っても聞いてはくれないのだろう。
……さらに真実のとこを考え始めれば余計に億劫になる。
様々な因縁が雁字搦めのように巻きついて、もはや解決の糸口が分からなかくなっている。
知れば知るほど、解決しようとすればするほど誰かが不幸になるだけだ。
だからこそここで、4人でヒミツにしようということなのだろうが。
「…陽満、今から話すことは実際にここで私が受けてきたことだから…聞いて欲しい。」
白い息を口から吐きながら、玉波先輩は話し始める。
それは地獄のような日々の記憶だった。
先輩の父親である玉波 宗二が語っていたような、玉波先輩の描いた絵を売って得た金銭で互いを援助し合うような形ではない。
いや、初めはそうだったのだろうけれど、いつしかそれは形を変えて宗教擬きと言えるまでになったと言うべきか。
先輩をこの部屋に半ば監禁し、絵を描かせてその存在を秘匿する。
髪が伸びれば切り刻んでこれも売る。
欲しがる人間はいる。
爪や瘡蓋すら利用する。
欲しがる人間がいる。
外国の一部地域には初潮を迎えていない少女を、クマリと呼ばれる女神の生まれ変わりとして初潮を迎えるまで祭り上げる宗教文化があるが、それと似ていて全く違う。
金で目隠しをされた人間達に善悪の違いはわからない。
金こそ善で、それをもたらす玉波姫こそ神だ。
消費されていく価値は時が経つにつれて大きくなり、ついに両親が娘の処女を売る寸前にまで至る。
そんな状況下で玉波先輩は、女子トイレで一度話しただけの俺の言葉を信じて…耐え抜いた。
殺人鬼に母と信者の一部が殺されて、玉波姫は神様ではなくなった。
足が軽くなり、自分の居場所が分からない。
自分を連れ戻しにきた父親は何かを恐れて部屋の隅で縮こまる日々。
もはや自身を縛り付けるものは何もなかった。
だから楔を打ちつけた。
嵐と自身に与えられた物を全て利用し、裸を見た責任を取らせるという不本意な形ではあったが。
「小学校も中学も、友達なんて呼べる人はいなかったし。ましてやこの部屋からほとんど出たことなかった私が頼れる人なんて…1人しかいなかった。」
「ただひとり私に優しい言葉をかけてくれた人。
私を見つけてくれると言ってくれた人。
私を助けてくれた人。 」
「だけどその人の周りには私以外にもたくさん女の子がいたわ。当然よね、私にだけ優しいだなんて都合のいいことがあるわけないもの……だから。」
「だから私は、約束を結ぶことをなにより大事にした。」
「そうすれば貴方が断れないと分かっていたから。」
「だって貴方は優しいから。」
「ごめんね、陽満。私は貴方のことが好きよ。貴方以外は分からないし、わかりたくないもの。」
「許してね、こんなに汚い私が貴方の彼女で。貴方にあげられるものなんて、処女くらいしか思い浮かばなかったし…もし陽満がいらないと思うなら、捨ててくれてもいいのよ。私と…今日聞いたヒミツも全部。」
一気に言葉を吐き終わると、息継ぎをする間もなく先輩は俺を下から窺う見ながら続ける。
「お願い、陽満。」
吐きそうになるほど重苦しい空気の中、玉波先輩が最後に縋るように言う。
「私の…そばにいて。」
次章で√姫は最終章になります。




