神さま❸
「こんにちは。」
部室の扉を開けようとした時、背後から声をかけられた。
振り向くと、廊下の真ん中に片腕の無い女子生徒が立っている。
腰あたりまで伸びている、家内さんを思わせるような黒髪。
しかしその顔は無表情なんかではなく、柔和な笑みを浮かべていた。
「…野宮さん…どうしたの?まだ授業中のはずでしょ。」
……言葉に出してから、それは相手側からすれば同じように見えていることに気づく。
「はい、保健室に用があったのですが、教室へ帰るときにたまたま先輩を見かけまして。」
「……?そ、そう。…でも、見かけたからって態々挨拶に来るような仲だったかしら、私たち…。」
友人、と呼べるかも怪しい。
陽満がいるから偶々一緒になることが多いというだけで、会話が多いわけでも無い。
「んー…確かに、そんなに仲は良くなかったかもしれませんね。」
野宮莉音はのほほんとした雰囲気で話す。
(…気味が悪いわ…)
「まぁ、そんなことはどうでも良いんです。少しお話ししたいと思っていたのは本当なので。」
こっちは全然話したくない。
「…なに。」
「家内君は今、幸せですか?」
「………は?」
気持ちが悪かった。
幸せという言葉が気持ち悪い。
それは家内さんが口酸っぱく私に聞かせてきた言葉。
私は家内を幸せにしてあげないといけない。
「どうなんですか?」
後ろ手を組み、こちらを伺うような姿勢で野宮莉音は私に尋ねる。
「あ、貴女の気にすることじゃないわ。」
「いいえ、気にしないとダメなんです。」
「……意味…分からない。」
「私、知りたいです。家内君は今幸せなんですか?」
怖い。
早く会話を切り上げてしまいたい。
「……し、幸せよ。」
喉の奥から必死に声を捻り出す。
「本当ですか?」
「な、なんなのよ!さっきから!」
やけに食い下がるし、私を怒らせたいのか小馬鹿にしたような喋り方だ。
いつも陽満の前で見せているお淑やかな感じは一切ない。
「私…中学3年生の頃…いじめを受けていたんです。」
「………。」
碌に会話が繋がる気を見せることもなく、野宮莉音は言葉を続ける。
「いじめに関しては…まぁ、きっかけなんかを話し始めれば少しややこしいので省きますけど、そんな状況に置かれた私をある生徒が助けてくれたんです。」
「……なに、それが陽満だったとでも…?」
「いえいえ、家内君は関係…ないことも無いかな?そもそも私は小学生の頃から家内君のことが好きなので、あ…それでですね、実はその助けてくれた女の子も家内君のことが好きだったんですよ。」
「………。」
(…なんの話?)
私は一体何を聞かされているのか。
「それからはもうすっかりその子と意気投合しちゃって……でもその子は中学の卒業式の後、亡くなってしまったんです。」
「そ、それで…?」
「その子がですね、口癖のようにいつも言ってたんです。」
「家内君を幸せにしてあげなくちゃ。」って。
「………。」
喉が渇く。
乾燥のせいではない。
今の自分と言動が重なる、その名前も知らない女の子の存在が…怖い。
「だから何?なにが言いたいのよ。」
「まぁ、友人の願いを叶えてあげたいというのはひとつありますけど、私は私でちゃんと彼のことが好きなので。」
「だから!」
要領を得ない……いや、私と会話する気があるとは思えない彼女の態度につい声を荒げてしまう。
動揺する私を見て、野宮莉音は面白いものでも見たかのように口角を少しあげた。
「玉波先輩って、本当に家内君のことが好きなんですか?」
「……………え?」
そんなことを言われるだなんて思っても見ない言葉だった。
私が……陽満のことを好きかどうかだなんてそんなの決まっている。
「そんなのあたりま「でも、玉波先輩って家内君と直接顔を合わせたのって今年に入ってからですよね?」
「な、なんでそのこと…」
「以前私が部室にお邪魔した時、小学生の頃出会ったと言った私に張り合うように言っていたじゃないですか、卒業式の日に彼に救われたのよって。」
……そんなこと言っただろうか?
いや、私なら十分言ってそう…。
「玉波先輩と直接出会って、それからいくら2年と少し会うことが無かったとしても、忘れるなんてこと不可能じゃないですか?」
「…………それは、確かに。」
今まで散々私を苦しめてきた白い髪の先を指でつまむ。
「それで思ったんです。先輩、単に家内君に依存してるだけなんじゃないかなって。」
依存という言葉を聞いて、否定ができなかった。
少なからずそういう面もあると、自分でも分かっていたから。
「最初は…そう、だったかもしれないわね。でも今は私が陽満と付き合ってるのは紛れもない事実で、好きなのも本心よ。」
「……そんなの………ずるいです。」
「は?」
「先輩も…立花さんも…犬酸漿さんも、みんな…後出しです。」
(い、いぬ?……それより…)
雰囲気が変わった。
「……一目惚れって、不利すぎませんか?」
「……。」
「家内君との特別な出会いがきっかけとかじゃ無いんですよ?単純に顔が良いと思ったのが始まりなんです。」
なんというか…暗い。
「家内君が私のことを覚えていないのだって無理もありません、だってなんのイベントも起きなかったんですから!それなのに私は…け、結婚の約束をしたとか…………あぁ!」
過去の痴態を思い出したのかなんなのかは知らないけれど、野宮莉音が右手で頭を抱えて悶絶している。
(……ほんとなんなのよ…これ)
「だってしょうがないじゃないですか!取られたくなかったんですもん!」
「………ねぇ、長くなりそうなら中で聞くけど。」
「え?」
「え?じゃないわよ、さっきからずっとつっ立って貴女の話を聞いてる私の身にもなって欲しいわ。」
「……あ、いえお構いなく!と、とにかくですね、私の方が先に家内君のことが好きだったので、もし本当に心の底から彼のことが好きじゃないのならとっとと別れて欲しいんです!言いたいことはそれだけなので!」
「あっ!ちょっと待ちなさ……」
散々好き勝手言った挙句、こちらの制止も聞かずに去っていった。
「……。」
私の中での野宮莉音の印象が180度変わった。
(あんなによく喋るのね……)
私も人のことを言えないが、アレは陽満の前でかなり猫を被っている。
しかし私が他の生徒や教師の前でするような表面上の演技とは少し違う気もした。
陽満に対してとにかく良いところを見せたい、そんな感じだろうか。
「……私は、心の底から陽満を…。」
『玉波先輩は本当に家内君のことが好きなんですか?』
彼女の言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「……好きに…決まってるじゃない。」
下唇を噛む。
中学の時に亡くなったというその女の子と、今の私が被る……なんて考えは早めに捨てた方がいい。
私が陽満を幸せにしてあげたいのは自分でも考えていることであり、単に家内さんと利害が一致したから協力しているだけ。
別に、そういう思考へと誘導されたとかではない。
「そうよ…私はちゃんと、陽満のことが好きなんだから。」
もはや誰にもいない廊下の先を睨みつけながら、私は小さく呟いた。
次回投稿は土曜日です。




