極夜⑤
雲は分厚く、太陽はこれっぽっちも顔を見せない。
雨が身体にあたると痛みすら感じ、風が吹けば足が浮きそうな…そんな錯覚を覚えた。
駅前や商店街の辺りなら違ったのかもしれないが、ここまで来るのに人と全くすれ違わなかったのは当然と言える。
この雨風の中、高校の前までやってきた。
もちろん校門は閉ざされていて職員室や事務室の明かりはついているものの、どれだけの人がいるかまでは確認できない。
…校門に設置していたアーチはそのままになっており、生徒が帰宅した後教職員で固定したのか倒れにくくなっているようだが夜中の間に風船はほとんど割れてしまっていた。
そして、そんなアーチを見つめるように、校門の前に立つ人物がひとり。
どれだけそこに立っていたのか…水を多量に吸った髪は風に吹かれてもほとんど靡かず、スカートも足に張り付くような形になってしまっている。
そして何より、肌が青白い。
素人の俺でも早く温めないと不味いのではないかと思うレベルだ。
「玉波…先輩?」
「……。」
返事がない。
「……姫先輩。」
こんな時にまで拘らなくてもいいじゃないかとも思うが、先輩にとっては違うのだろう。
俺が名前で呼ぶと、ゆっくりこちらへ顔を向けた。
「陽満…。」
やはり長い時間雨に打たれていたのか顔色が悪い。
「何してるんですか!早く帰りましょう!」
先輩の元へ駆け寄って腕を掴む。
「こ、こんなに冷えて…!」
「大丈夫、心配しないで。」
「大丈夫って…。」
身体だって明らかに震えている。
唇だった青ざめている。
「ねぇ、陽満。なぜ私の心配をしてくれるの?」
「…は?」
「どうして、ここへ来たの?」
先輩が俺の目を真っ直ぐ見たから気づいた。
玉波先輩の目が赤い。
目の周りも腫れている。
「先輩…泣いたたんですか?」
いや、雨でそう見えないだけで…今だって泣いている可能性はある。
「…気にしないで。」
否定しなかったということは、やはり泣いていたのだろう。
「それで、何しに来たの?」
肌や唇とは違い、先輩の紅い瞳だけは生気を失っていない。
天気とか体調が悪いだとかで譲る気は毛頭ない…そう言わんばかりの迫力だ。
「……約束…。約束を守りに来ました。」
「…そう。」
俺の言葉を聞いて、先輩が少しだけ笑った気がした。
「…それじゃあ、陽「玉波先輩!」
昨日の今日だ。
「な、なに!?」
今も痛みで苦しんでいる人がいる。
「………。」
全ての原因が俺である可能性が僅かでもある以上、俺に幸せになる資格なんて無いのかもしれない。
「玉波先輩…俺と…。」
しかし、この人は別だ。
玉波先輩には笑顔でいてほしい。
普通の…高校生らしく。
「俺と付き合ってください!」
雨と風に邪魔されないよう、先輩の耳にしっかり届くように声を張り上げる。
「………へ。」
玉波先輩は目を丸くしながら俺を見て、口を…あわあわさせている。
表現が思い浮かばなかったが、完全に閉じない程度にパクパクさせていると言った方が正確だろうか。
見るからに不意打ちを喰らったという顔だ。
「な、なんで!?」
それが先輩の第一声だった。
「…な、なんで?とは…。」
「だ、だって私…絶対振られると思って…。」
なるほど、先輩が驚いていたのはそういう理由か。
「いや、むしろ俺のほう「ちょっと待って!」
俺の言葉を制止して、玉波先輩は自分の頬を抓る。
まだ今の状況を飲み込みきれていないようだ。
十分頬の痛みを感じ、夢や幻ではないことの確認が取れたのかバッと顔を上げるとなんとも情けない表情というか…今にも泣きそうな顔をしていた。
「は"る"ま"…!」
言葉の全てに濁点がついたいるような、震えた声。
「は、はい。」
「私…!頑張ったの!」
玉波先輩が前からガッシリと俺に抱きついた。
言わないように、そしてあまり見ないようにしていたが、強い雨と風のせいで服は透けてピッタリ引っ付いている状態だ。
つまりまあ、俺にとっては結構辛い。
「今日まで…怖かったの!」
しかし、玉波先輩の言葉に耳を傾ければそんな状況もどうでも良く感じる。
「誰も味方してくれなかった…誰も私を見つけてくれなかった…。」
家族でさえ、いつ自分を売り飛ばそうとするか分からない状況だ。
今でさえ高校生である先輩にとって、どれほどの地獄だったか。
「でも…貴方が私を見つけてくれるって言ったから…。私…今日まで生きてこられた…。」
俺が何気なくした口約束が、玉波先輩をここまで生かした。
そんな大事になるなんて思っても見なかった。
しかし、自分の言葉を糧にここまで頑張ってくれたと思うと…素直に嬉しい。
「誰も…何もいらない。陽満…貴方さえいてくれれば、私は幸せ…。」
先輩が一度抱きつく力をグッと込めて、俺から離れる。
顔まで押しつけていたためか、服との間に鼻水の橋がかかった。
生憎こういったことになるとは予想しておらず、ハンカチを持ってこなかったため申し訳ないが玉波先輩の小さな鼻から直接手で拭う。
先輩も先輩で拭き取るような仕草は見せなかったため、雨で綺麗になるまで我慢してもらうほかない。
「……陽満。」
ぐすっと一度鼻をすすり、玉波先輩が言葉を続ける。
「私の方こそ、末永くよろしくお願いします。」
相変わらず声は震えているし、挨拶もなんだかおかしいが玉波先輩はペコリと頭を下げて俺の申し出を受け入れてくれた。
「「………。」」
(あれ!?ここからどうすればいいんだ!?)
告白は成功、俺と先輩は晴れて付き合う…ことになったがそれだけで頭の中が空っぽになった。
というよりここ数日先輩への返事のことばかり考えていて…そして昨日の事件のせいで他のことに考えを割けなかっのだ。
「え、えーっと…とりあえず家、帰ります?」
「待って。」
苦し紛れの提案に対して、先輩は俺の服を摘んで反対の意を示した。
「ひ、ひとつだけ、約束して欲しいことがあるの。」
「…約束…ですか?」
玉波先輩の目は変わらず真剣そのものだ。
「……家内さんから…陽満が自分の過去のことを知りたがっていることは聞いてる。」
「…!」
「昨日…事件に巻き込まれた子の中に陽満の過去と関係のある子がいたことも…。」
思緒姉ちゃん…?
いや、当然か。
玉波先輩と思緒姉ちゃんは同じ部屋を使っているのだから。
俺の知らない、2人だけの会話はそれこそたくさんしているはずだ。
「でも、私といる間は……わ、私のか…かれ……つ、付き合っている間は…他の子のことなんか忘れて。」
「……。」
「私だけを見ていて。」
独占欲…と言うにはそれはあまりに重い。
玉波先輩は俺にもう過去のことは調べるなと言っている。
「…理由を…聞いてもいいですか?」
「………私は陽満に…幸せになって欲しいから。」
それは、俺と同じ。
玉波先輩に対しての俺と同じ思いだった。
過去のことは忘れて、今を生きたい欲しい。
父親のことも、今までの学校生活のことも…全て。
夏休みにまこと…否、泉と野宮さんと立花さんの真実を知り、藤本に遭遇したことで俺自身の家族についても不審な点があることを知った。
それを全て忘れて…のうのうと生きていけるのか。
「…陽満。」
玉波先輩が再び俺に抱きつく。
が、今度は先ほどのようなガシリとしがみつく感じでは無い。
優しく、包み込むような抱擁。
背中を先輩が優しくトントンと叩く。
「夏休みのことも、昨日のことも、全部自分のせいだって…抱え込んじゃダメ。」
「…っ!」
「私、分かるの。陽満の気持ち…普通の子とは違うから、自分が生まれたからお父さんもお母さんも優しくなくて…周りを不幸にして…それが結果として私自身を不幸にしてるって、ずっと思ってた。」
「玉波先輩のせいなんかじゃ…」
そう、全ては両親が招いた悪夢だ。
「…ありがとう、そう言ってくれたのはやっぱり貴方だけよ。……だから、私も陽満に同じことを言うわ。」
玉波先輩が顔だけを上げて俺を見る。
「貴方は何も悪く無い。」
先輩は笑っていた。
「私を見て。」
むず痒そうな…下手くそな笑顔。
「私が全部聞いてあげる。」
爛々と輝く紅い瞳は、涙か雨の影響か分からないが…濡れて滲んでいた。
「私の側で、私の手を握っていて。」
先輩が俺の左手を握る。
「私が貴方を幸せにしてあげる…だから…」
玉波先輩が俺の右肩に手を乗せてぐいっと下に力を入れた。
一瞬なにを求められているのか分からなかったが、またぐいぐいと押されてようやく俺は少しだけ屈む。
すると、先輩は俺の頭を抱えるようにして抱きついた。
「私に陽満の全部…ちょうだい。」
次回投稿は明日です。




