白夜⑦
台風が来ると明日の学校が休みになるんじゃないかと、そんな想像ばかりしていた。
結局いつもいつも台風は夜中のうちに通り過ぎるし、偶に暴風圏に入るほど進路がドンピシャでも土日だったりする。
何処かの誰かが被る被害なんて知らないで、台風といういつもとは違うイベントに子供は少なからずワクワクするものだ。
それは高校生になった今でもそう…いや、世間一般の高校生なら学校が休みになるかならないかというのはかなり大きな関心ごとに違いない。
が、今の俺は違う。
「……はぁ…。」
文化祭まで1週間を切ったある日の放課後、俺と玉波先輩は例の文化祭当日校門に置くアーチの飾り付け作業に取り掛かっていた。
先輩が「去年と同じで良いじゃない。」と言ってくれたおかげでさほど大変な作業をすることもなく、風船を膨らませて取り付けるだけで殆どの時間は先輩とのお喋りに興じたりお茶を飲んだり、作業するという大義名分のもと教室で涼んだりと…言ってしまえばかなり楽しい時間を過ごしていたのだが。
「………はぁ…。」
「………。」
現在、玉波先輩はガッツリ落ち込んでいた。
理由は天気予報だ。
1週間ほど前から台風が南の海上で発生したとかニュースでやっていたが、なんと運悪くこの土日…つまり文化祭が開催される2日間天気が大荒れ…になるらしい。
台風という災害を前にはどうしようもない。
しかししょうがないと先輩を励ますこともできなかった。
1日目は朝から曇りで、天気が大きく崩れるのが昼過ぎからという予報なので恐らく先輩のメイド姿は拝むことができるはずなのだが、玉波先輩がここまで落ち込んでいる理由は他にある。
「………。」
「た、玉波「…!」…姫先輩…。」
また苗字で呼んでしまい睨まれてしまった。
「そんなに落ち込まないでくださいよ。」
「別に、落ち込んでなんかないわよ…。」
嘘だ。
絶対に落ち込んでいる。
玉波先輩は感情が顔に出るタイプだ。
それもめちゃくちゃ。
他の生徒の前だと完璧な聖女様を演じてはいるものの、2人きりの時はコロコロと表情が変わる。
笑顔は下手だし。
「……夏祭り。」
「…。」
「夏祭りも雨で中止になったし、私つくづく運がないわ…。」
そう、先輩が落ち込んでいる理由はこれだ。
夏休みに一緒に行くと約束していた夏祭り、あの時も天候が悪く中止となり浴衣姿を見ることができなかった。
そんな経緯もあり、今回の台風情報に大変ナーバスな状態になっているのだ。
朝から何度も天気予報を確認しているが、もちろんそんな短期間で修正されるようなこともなく、時間が経つにつれてこんなにしょぼくれてしまった。
今はもうため息が止まらない。
「夏祭りはほら、また来年も一緒に行こうって約束したじゃないですか。」
「…でも、また来年も雨が降ったら…。」
(……ね、ネガティブだなあ)
先輩は普段の言動から強気だったりキッチリとした性格…そんなイメージを周囲から持たれているが、実際はかなり物事に対する不安を感じているし弱音だって吐く。
先日の風呂場での出来事は俺の中でそんな印象をより強くした。
(うーん、どうするべきだろう…)
無理に励ましても多分土日の天気が良くなることはないだろうし…。
かと言って先輩をこのままというわけにもいかない。
「……高校で陽満と一緒の…最後の文化祭だったのに…。」
「……。」
やはり先輩は残りの高校生活をどう過ごすかという事においてかなり拘りがあるようだ。
(あまり気乗りはしないが、ここはひとつ後輩として一肌脱ぐしか無いよなぁ)
最近の傾向からして、こういうことはあまり自分から提案すべきじゃない…が、文化祭まで先輩がこのままの調子だと俺だって困る。
楽しんで欲しいのだから。
「ひ、姫先輩。」
「……?」
玉波先輩が顔だけ上げて俺を見る。
なんというか、今にも泣きそうな子供のような顔だった。
「今だけ、今ここで俺にできる事の範囲で……いや、俺の許容できる範囲で出来ることがあれば何でもしますよ。」
単に励ますだけでどうにもならない以上、先輩を笑顔にするにはこれが最短で最適だ。
餌で釣るようで何だか申し訳ないが…。
それに一応許容できる範囲でと付け加えたから、そんなになんでもしてあげるわけでもない。
ここはきちんと線引きしておかなければ…また押し倒されたりするのは避けねばなるまい。
「な…なんでも?」
今まで落ち込んでいたのに、先輩の瞳は火が宿ったように輝いている。
というか、なんだか怖い。
(一瞬でめちゃくちゃ真剣な顔つきになった…)
正直この時点で俺の目的は果たされたと言っても良いのではないだろうか。
風船を膨らませるのに使っていた空気入れを床に置いて、玉波先輩がなにやら考え始めた。
「………。」
物凄く鋭い目つきで俺を見ながら、なにやら小声でブツブツ呟いているがその言葉までは聞き取れない。
「よし!決めたわ!」
そして突然決心したように声を上げると、床に置かれたアーチを迂回して俺の前まで移動する。
「足。」
「へ。」
「足!開いて!」
「え!?」
突然の命令に面食らってしまったが、俺は慌てて言われた通り胡座をやめて開脚した。
体は固いほうなので開脚と呼べるほどのものかは分からないが。
「ん。」
俺が足を開いたのを確認すると玉波先輩が背中を向け、俺を背もたれにするようにして座った。
(………。)
以前のような過激なスキンシップをするようお願いされたらどうしようかと思っていたが、先輩にそのつもりは無いらしい。
しかし、これはこれで体勢がまずい。
先輩は俺の太ももの間に座っているが、俺の体を背もたれにしているためかなり密着度が高い。
……正直なところ、急に押し倒されたりするよりも心に幾分か余裕がある分…
嗅覚や触覚、視覚といった五感が嫌でもより敏感に玉波先輩という存在を感じ取ってしまう。
「……?なんで後ろに下がるのよ。」
玉波先輩はもちろん男子高校生の事情を汲み取ってくれはしない。
「ちょ、ちょっとタンマ!」
「ダメよ、なんでも言うこと聞いてくれるんでしょ?」
座る位置を調整した俺を逃さないように、玉波先輩もそのまま後ろへと床を蹴って滑るように移動する。
「……っ!?い、家内!?」
「……すみません。」
名前ではなく苗字で俺を呼んだということは、かなり動揺していると見て良い。
…そしてようやく気づいてくれたが、もう遅い。
「少しだけ…離れても良いです?」
「…………ダメ。」
「な、なんでですか!?」
玉波先輩だって、このまま密着しているのは嫌だろうに…。
現に顔も合わせてくれないし。
「私のお願いはまだ終わってないもの!」
「……それは…。」
(ご,強情だ…)
玉波先輩は良い顔しいで、弱虫で、意地っ張りだ。
「ほら、頭撫でて。」
「……え、それだけですか?」
「なによ、他にも頼めばやってくれの?」
「……喜んで頭撫でます…。」
「分かれば良いのよ。」
恐る恐る先輩の髪へ手を乗せる。
「………。」
背中を洗った時とは全く違う。
しかしそのままでも触り心地の良い…綺麗な白い髪だ。
それから数分撫でているうちに俺も落ち着き、それを感じ取ったのか玉波先輩の体重がさらに俺へと預けられる。
「先輩、もう日にちも無いですし流石に手を動かさなきゃアーチ終わりませんよ?」
「良いじゃない、もう少しだけ…このままでいさせて?」
「……はいはい、分かりましたよ。」
良い顔しいで、弱虫で、意地っ張りで甘えたがり。
コロコロと変わる玉波先輩の感情。
親や他人に対して隠してきたものが一気に溢れ出るように、止まらない。
それを俺なんかが独り占めできるというのはこの上ない幸運で、嬉しいことではある。
しかしその全てを俺1人で抱え切れるのか…一抹の不安が俺の奥底には確かにあった。
「……陽満。」
「はい…。」
「私…文化祭の2日目にもう一度貴方に告白するから。もしその時に振られたら…その時は潔く…諦める。」
「…え……えぇっ!?で、でも…。」
台風がこのままの進路と速度を辿るなら2日目は中止となることが濃厚だ。
「た、台風くらい…跳ね除けないと…。」
「……。」
今表情を見ることができないのが非常にもどかしい。
先輩はどんな表情を浮かべているのか。
決意を固めたような顔か?それとも不安そうな?
背後からでは白い髪と可愛らしいつむじしか見えないが、きっと俺でも見たことのないような顔をしているに違いない。
喉が鳴る。
日曜日……俺は先輩にどんな返事をすれば良いのか。
これだけ真剣な先輩の気持ちを…どう受け止めれば良いのか。
自分で考えなければならない。
思緒姉ちゃんばかりに頼っていてはダメだ。
ここ最近…いや、玉波先輩に押し倒されて告白された時から…ずっと悩んできた。
玉波先輩と…父親である玉波宗二に向き合えるのか…。
俺自身の過去とその因縁に…玉波先輩を巻き込んでしまってもいいのか…。
どちらにせよ、あと数日。
玉波先輩がそう決心したんなら、俺もそうする他ない。
考えて、考えて、考えて…悩むしかない。
俺に助けを求めてくれた人との約束を守るためにも。
次回投稿は明日です。




