貴方に染まる⑧
「なにそれ、家内が覚えてないんじゃダメよ。ノーカン…ノーカンよそんなの。」
玉波先輩が机に置かれた3つのティーカップに紅茶を入れながら声を上げる。
現在俺たちは部室の奥、玉波先輩のプライベートルームとも呼べる場所にいる。
長細い部屋の左右に机を挟んで置かれた黒いソファーに俺と野宮さん、そして向かい側に玉波先輩が座る形だ。
正直に話せば、この形に座る前にも一悶着あったが和やかに語れるほどの雰囲気でもなかったので割愛する。
玉波先輩と思緒姉ちゃんはなんだかんだよく一緒にいるのを見たし、これといって険悪な雰囲気になるようなこともなかった。
しかしこの2人…玉波先輩と野宮さんの相性はどうやら最悪らしい。
「いいえ、家内君もそのうち思い出すはずなので、決して私は諦めません。」
野宮さんの言葉にムッとした表情を浮かべながらも、玉波先輩はティーカップをそれぞれの前に並べていく。
「ありがとうございます。」
「どうも。」
先輩の淹れてくれた紅茶を飲む。
(…?前飲んだ時とちょっと味が違う?)
いや、そもそも俺に紅茶の味の区別がつくはずもないので思い過ごしだろう。
「…それで野宮…さん。貴女はなにしにここへ来たのかしら。」
丁度気になっていたことを先輩が質問してくれた。
野宮さんがここへ来た時から気になっていた。
もし俺を訪ねてきたのなら、なにか用事があったのかもしれない。
「いえ、特にこの部屋や先輩に用があったわけではありません。単に家内君と一緒に帰りたい気分だったので探していたんです。」
「えっ!?それだけ!?」
「ええ、そうですよ。」
思わず声を出してしまった俺に対して、野宮さんは笑顔で答える。
野宮さんは俺と喋る時に狙って目を合わせてくるので少しだけ苦手だ。
「だ、ダメよそんなの!」
「でも、先輩も家内君とふたりで下校していましたよね?」
「それは…!」
俺と玉波先輩が一緒に帰っていたのは、単に目的地が一緒だったからだ。
というか、登校はともかく下校する時間は別々であったはずの野宮さんがなぜ俺と先輩が一緒だったことを知っているのか…。
「真実ちゃんから聞きました、最近まで家内君のお家に住まわせてもらっていたこと。でも今は別。そうですよね?」
情報源は真実か…!
確かに朝、偶に玄関先で話し込んでいるのを知ってはいたが…。
「ですから、今日は家内君と一緒に帰りたいんです。」
「……そ。好きにすれば。」
眉間に皺を作ってはいるものの、玉波先輩は呆気なく引き下がった。
「あら、いいんですか?」
「貴女の言う通り私はもう居候の身じゃないし、わざわざ家内と一緒に帰る必要もないもの。」
先輩は態とらしく肩をすくめる。
「そうですか。それじゃあ家内君、今日は私と一緒に帰りましょう。」
「う、うん。」
いつもよりグイグイ押してくる野宮さんにも驚いてはいるが、俺は玉波先輩の様子が気になっていた。
野宮さんが来るまでの先輩とは随分と違う。
単に気丈に振る舞っているだけなのか、それとも。
「なに、家内。私の顔に何かついてる?」
「い、いえ!なにも…。」
左右で少しだけ色の違う紅い目に睨まれて、俺はたまらず視線を逸らした。
「こうして一緒に下校するのは久しぶりですね。」
「そうだっけ?」
結局、あの後特に何か起こるでもなく時間が潰れ。
俺と野宮さんは校門の前で玉波先輩と別れて今に至る。
「はい、あの雨が降っていた日のことを思い出します。」
「は、はは…俺はあんまり思い出したくないかな…。」
野宮さんが言っているのは岩木智子に追い回された日のことだろう。
危険な目にあった日のことをなにか素敵な思い出を思い出すかのようなトーンで野宮さんは話す。
「あの時、助けてくれてとても感謝してます。」
「いやいや、俺も何していいかさっぱりで、ほとんど思緒姉ちゃんに任せっきりだったし。」
「そんなことありません、家内君…とても格好良かったですよ。」
……隣に並んで歩いているのに、しっかり視線を合わせてそんなことを言ってくるのはやめてほしい。
恥ずかしいなんてもんじゃない。
「…そ、それより今日はなんでまた一緒に帰りたいだなんて…」
「ですから、家内君と一緒に帰りたくなったからです。」
(読みが外れたか?)
俺はてっきりあの場で言えない用事があるのかと思っていた。
玉波先輩の前では言えない事情があるとかではないのか…。
「………。」
会話が続かない。
夏休み前だってあんなに会話できていたのに。
今日の野宮さんが少し変わったアプローチを仕掛けてきているのもあるが、野宮さんの顔を見るとチラついて会話に集中できない。
隣の席でいつも寝ている生徒の顔が。
あれから…順調に仲を深めているだろうか?
夏休み明け、最初に2人揃っているところを見た時はなにか互いに牽制しあっているようにも見えたが。
「そうでした!」
互いに何も言い出さないまましばらく歩いていると、野宮さんが手を叩いて声を上げた。
「な、なに!?」
「忘れてました、実は家内君に伝えたいことがひとつあったんです。」
「うん?」
「今度のおやすみ、私と立花さんの暮らす部屋に是非いらしてください。お夕飯を一緒に食べましょう。」
「…え?」
「実は立花さんと色々話し合って、家内君と一度お礼を兼ねてお食事でもと。」
…絶対に、今日俺を探していた理由はこれだ。
本当に今思い出したのか、それとも玉波先輩の前で言い出せなかったのかは分からないが。
「どうですか?家内君も私たちから聞きたいお話なんかもありますよね?」
ちゃんと仲良くできているのかもそうだが、特に託児所なんかでの話を詳しく聞きたいものだ。
「…わかったよ。」
「本当ですか?よかった。あ、なにか苦手な食べ物とかあります?好きなものでもいいですけど。」
「んー、エビが苦手かな。それ以外は特にない、あと卵料理が好きかな。」
「なるほど、分かりました。」
そう言って会話を切り上げると野宮さんはパタパタと走って少し先の十字路に立つ。
「では、私はこっちなので。」
「あぁ、うん。またね。」
何事もなかったかのように笑顔で手を振っているが、やけに曲がり角を曲がったり遠回りをしていた努力を考えるとなんだか和やかな気分になれた。
「…それで、いつまでコソコソしてるんですか?」
俺が振り向くと、慌てた様子で何者かが電柱に隠れた。
尾行されていることには気づいていた。
ものすごく下手だったから。
「………。」
待っても自分から出てくる様子はない。
「はぁ…」
歩いて電柱の近くまで寄り、その影に隠れていた人物を覗き込む。
「あ…」
まぁ、玉波先輩なんだが。
わざわざハンチング帽子にサングラスまでかけているのを見るに渾身の変装だったのかもしれないが、制服と合わせて着るには目立ちすぎる。
なにより、その白い髪を隠さない限りは誰にでもバレるだろう。
「…なにしてるんです?」
「な、なにも…。」
「………そうですか。」
多分、どれだけ問い質しても俺の質問に答えは返ってこない。
「その変装、似合ってませんよ。」
「う、うるさいわね!分かってるわよ!」
先輩がものすごい勢いで帽子とサングラスを取った。
「それで、俺に何か用ですか?」
「………わ。」
「え?」
「コンビニで買い食いしたい気分だわ!」
まるでアニメに出てくるツンデレキャラのように、耳まで真っ赤にして先輩はプリプリ怒る。
そんな姿が可笑しくて、つい笑いが漏れた。
「な、なにがおかしいのよ!」
「なんでもないですよ、それじゃあ一緒に行きますか?コンビニ。」
「………行く。今日は家内の奢りね。」
「えぇ、いいですよ。」
玉波先輩がウチから出て行って1週間どころか2日も経っていない。
しかし別れ方が強烈だったからか、なんだかこうして先輩と話すのも久しぶり…そんな気がした。
次回投稿は金曜日です。




