トイレ④
「いや…ごめん無理。」
「へ…?」
女子トイレの個室に、立花さんの気の抜けた声が響いた。
「え?…ええっ!?どうして!?い、今私ふられたの!?」
立花さんは俺の肩をブンブンと揺らす。
…あまり激しく動かれると非常にまずい。
今彼女は俺の上に座っているのだ、しかも対面で。
「ゆ、揺らすな揺らすな!ふったとかじゃなくて…」
「だって今彼女いないんでしょ!?野宮さんにも告白されてないんでしょ!?じゃあ良いじゃん!私達席も隣だしちょうど良いじゃん!」
どういう理屈なんだ…。
それにしてもこの狼狽え方、少し過剰な気もする。
「なんだってしてあげるしさせてあげるよ!いつでもどこでも…ずっと家内君のそばに居てあげるよ!」
なにか…恐怖さえ感じるほどの必死さ。
「……したじゃん。」
「え?」
「約束したじゃん!」
ついには立花さんは涙を流し始めた。
「小学生の頃、あの保育園みたいなところで約束したのに!」
「………。」
急に、目の前が真っ暗になるような…そんな錯覚を覚えた。
恥ずかしさから熱いほどに感じた体温も、今は急降下している。
「大きくなったら私と付き合うって!」
その必死な訴えは、まさに屋上で野宮さんとの会話に出てきた内容に瓜二つだ。
そしてなにより、俺は昔の自分をぶん殴りたい衝動に駆られた。
「お、落ち着いたか?」
「…うん。」
現在、あれから5分ほど経った頃だろうか。
立花さんは泣き止んで、俺の方に顎を乗せている格好だ。
啜り泣く彼女の背中を煩悩を払いながらさするのは、色んな意味で心臓に悪かった。
話を…二人からそれぞれ聞いた話をまとめると、俺は小学生の頃に預けられていた託児所で野宮さんと立花さん二人と出会っており、そこでそれぞれにプレイボーイのような振る舞いをしていたことになる。
(…まじで思い出せない…)
そもそも小さな頃の記憶なんて思い出そうとして思い出せるものでもないが、俺の場合は自分からトラウマに蓋をしたのもあって小学校高学年くらいでやっとぼんやり思い出せるレベルだ。
なぜ小学生の頃の俺が二人にそんな態度を取ったのかは分からないが…あの夢に出てきた少女は野宮さんか立花さんで間違いないだろう。
…ふたりと関わったから、小さい頃の記憶が夢として蘇ってきたのかもしれない。
そう思うと、なんとなく納得できる気がした。
「本当に私と付き合ってくれないの?」
やっと泣き止んだのに、立花さんはこの話を継続するらしい。
「つ、付き合うかどうかは別にして…俺は立花さんのことも野宮さんのこともよく知らないし…。」
「忘れてたもんね、私のこと。」
「…。」
「私は覚えてたのに、ずっと待ってたのに。」
立花さんが段々と強く抱きしめてくる。
俺の背中を這う手が忙しなく動く。
「同じ中学校なのに喋りかけてくれなくて…卒業して…同じ高校に受かった時も…」
彼女の両足が俺の身体をUFOキャッチャーのように挟んでそのまま固定される。
「2年でやっと同じクラスになったのに、私ずっと家内君から話しかけてほしかったのに…。」
「え?いやでも立花さんずっと寝て…」
「隣の席なんだから普通起こすでしょ!隣の席なんだから普通会話するでしょ!教科書見せあったりお手紙書いたり他にもいろいろ!隣の席なんだから!」
「えぇ…」
随分と隣の席というものを神格化している。
「とにかく…。」
背中を這っていた手が俺の頭部を抱えるようにして固定され、本格的に抱きしめられるような格好になった。
立花さんは耳元で呟く。
「今日から…私のことをいっぱい知って、また改めて返事を聞かせてよ。」
それは祈るような…途中で途切れそうなほど小さな呟きだった。
「うん…分かった。」
彼女の背中をぽんぽんと叩く。
「そして…」
なんとなく、立花あきという人物の一端は知れた。
そんな気になっていた。
「一緒に野宮 莉音を地獄に堕とそう。」
立花さんがどんな顔をしているのか、俺は怖くて確かめることができなかった。
次回から2章「白薔薇」になります。
投稿は28日です。




