鬼人
楓は夢を見ていた。恐ろしい夢。誰かに追われている。それは何者か分からない。けれど捕まって
はいけないということだけは本能で感じ取っていた。捕まったら死んでしまうと頭の中の自分が必死に呼びかけている。得体の知れない恐怖から逃げ続けた。しかし、途中で足が縺れて転んでしまった。追跡者が楓に手を伸ばす。その手が楓に触れる。その顔が明かされる。殺される。そう思った瞬間、楓は悪夢から目が覚め、叫び声と共に飛び起きた。そして、その楓を覗き込むように見ていた人物と頭をぶつけた。
「い、いてて…。ご、ごめんなさい。ってあれ?」
楓は痛めた頭を押さえ、周囲を見渡した。見慣れない風景であったが、どこかで見た風景。痛む頭をフル回転させ、自分の記憶を辿った。そして、結論が出た。
「な、なんで、僕は四季さんの家で眠っていたんですか?」
「う~ん、色々あったからね~」
秋穂は相変わらずの口調で答えになっていない答えを返した。すると、奥から右腕に包帯を巻いた千春が出てきて楓の質問に答えた。
「お前の鬼が出てきたんだよ」
「お、鬼…? で、でも、僕の鬼は出てこなかったんじゃないんですか?
それにその腕はどうしたんですか?」
「あぁ、確かにお前の鬼は出てこなかった。そこがさっぱり分からなくてな。
それと、この腕はお前にやられたよ」
「僕が千春さんの腕を? そ、そんな…」
「腕の件は後で話すよ。
楓、お前、私たちの家を出た後、どこに行った?
「四季さん家を出た後は、家に向かっている途中で本屋に寄りました。」
「理由は?」
まるで、尋問みたいだった。経験したことない空気に楓は委縮しながら答えた。
「な、なんだか、嫌な気配を感じてその気配がするところに近寄ったら。高校生が万引きをしているところを目撃しました。
それを見た時に、美冬利さんの鬼が成長する時の話を思い出したので、高校生に「ダメですよ」って言ったら路地裏に連れていかれて…
そこから記憶がありません。目が覚めたらこの家にいました」
楓が話し終えると千春は深いため息をついた。
「はぁ、やっぱり、間違いない。
楓、よく聞けよ。お前の鬼は完全に成長しきってた。でもきっかけがなかったんだ」
「えっ、それじゃ、僕の体から鬼が出てきて僕は食べられてしまうってことですか?」
「いや、お前の体から鬼は出ない。
昼間、美冬利が話したように、本来、成長した鬼はその本人から離れ、その人を食べて完全な鬼へと成長する。しかし、楓の鬼は極稀に発生するタイプで、私たちは『憑依型鬼人』と呼んでいる。世界で三人しか例が無いほど稀なケースだ。
鬼人は、あることがきっかけで鬼の力が暴走して寄生主の人格を奪う。もちろん鬼が暴走している間は本人の意識はない。暴走が終われば人格を本人に返し、再び力を溜めるため眠りにつく、簡単に言うならば二重人格みたいなもんだな。
私の腕も、楓が鬼に乗っ取られている時に攻撃され、骨折した」
「そ、そんな…
何か体から鬼を出す方法は無いんですか?」
「はっきり言って無いね。楓を殺すしかない。
まぁ、そう落ち込むな。鬼人は私たちにとってもプラスであったりもするんだ」
「…どういうことですか?」
「美冬利が言ったろ? 私たちが出している武鬼も鬼の力を借りているって。楓にも訓練をして鬼の力をコントロールしてもらう」
「えっ、でも、僕の鬼が暴走している間は意識がないはずじゃ…」
「心配するな。世界で三人しかいない鬼人の人は全員コントロールできるようになっている。三人出来ているなら四人目の楓も出来るだろ」
「で、でも、自信がないです…」
楓は下を向いておどおどした口調で千春にいった。
「おい、甘ったれんなよ。こっちはいつ死んでもおかしくない状況で戦ってるんだ。現にさっきお前に殺されかけている。
その力がまた暴走したらお前の家族までも殺しかねないんだぞ。お前は気付かないうちに自分の家族や友達を殺したいのか?」
千春に凄い剣幕で言われた楓は首を横に振った。
「じゃあ、明日から特訓するから、学校終わったら早く帰って来いよ。
私が直々に稽古をつけてやる。嫁入り前の体に傷を付けてくれたお返しだ。ありがたく受け取れよ」
千春の顔が今日見た中で一番の笑顔を見せた。すると、その顔を見ていた秋穂が驚いた表情で千春に話しかけた。
「えぇ! 嫁入り前って、千春姉さん結婚するの~? 彼氏いたことないのに?」
「う、う、うるせぇ!! 嫁入り前ってのはそういう意味じゃねぇよ! そ、それに、彼氏がいたことないってのは余計だろ! 秋穂! お前も明日稽古に付き合えよ!」
「う~ん、明日は色々用事があるから無理かな~」
秋穂は少し考える素振りを見せて千春にそう言って自室へと戻っていった。それを千春は顔を赤らめて追いかけていった。
静かになったリビングには、美冬利とこちらに背を向けながら、額を押さえて蹲っている夏樹が残された。今更だがどうやら、最初に飛び起きた時に頭をぶつけたのは夏樹みたいだ。とりあえず謝っておこうと思った楓は夏樹に話しかけた。
「あ、あの、夏樹さん。さっきは頭をぶつけてしまってすみません」
楓が近付いて謝ると、それを待っていたかのように夏樹は振り返り楓に飛びついた。まるで、擬態して獲物を待っていたカマキリのようだった。いや、この場合は巣を張って獲物を待っていたクモと呼ぶべきかもしれない。
夏樹は楓に抱き着き頬ずりをした。
「夏樹お姉ちゃんは大丈夫だよぉ~。楓君こそ痛いところないのぉ?」
「い、今です。現在進行形で痛いです」
「ちょ、ちょっと、夏樹姉さん。四郎園さんは怪我人なんですよ。それにお客様です! 丁重に扱ってください!」
美冬利は少し遅れて間に入った。
「私だって怪我人だし…」
夏樹は楓に抱き着きながら言った。
「えっ?」
美冬利は素っ頓狂な声で返事をした。夏樹の体を見るがどこも怪我をしているようには見えない。
「一体どこを怪我していると言うのですか?」
「ここ」
夏樹はそう言うと自分の右手の甲を美冬利に突き付けた。よく目を凝らすと小さな擦り傷が出来ている。美冬利は、千春以上に大きなため息をついた。
「そんなの怪我の内に入りません。千春姉さんの方がよっぽど酷い怪我をしているじゃないですか。
ちなみに聞きますけど、その怪我はいつしたのですか?」
「今さっき」
「は?」
「さっき、楓君に飛びつこうとした時、柱で擦った」
美冬利は呆れて物をいうことすら出来なかった。
「とりあえず、四郎園さんから離れてください」
「嫌だ。離れたら美冬利が独り占めする気でしょ」
「そ、そんなことしません!
これ以上、四郎園さんに引っ付くなら千春姉さん呼んできますよ!」
千春という単語が出た瞬間、夏樹は楓の元から離れた。なんと単純な生き物なのだろうと美冬利は口に出そうとしたが、心に留めておくことにした。
「すみません。お体は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。なんか、すみません」
「いえ、こちらの方こそ恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ないです」
「解放されたことだし、僕もそろそろ帰りますね。もう真っ暗だし母さんに怒られてしまうから」
楓はそう言って時計に目をやると時刻は午後十時を指していた。側に置いてあった鞄を手に取り、帰ろうとするとそれを美冬利が引き留めた。
「いえ、帰らなくていいんです。
四郎園さんにはこれから、私たちの家で生活してもらいます」
楓はその言葉を理解するのに数秒を要した。そして、それを理解した瞬間、家中に響き渡るほどの大きな声で驚いた。
「い、いやいやいや、ちょ、ちょっと待ってよ! いくらなんでも急すぎるよ!
ほ、ほら、だって親とかにも何も言ってないしさ!」
楓は慌てた様子でそう言った。すると美冬利は笑顔で答えた。
「その点は心配ありません。ご両親からは了承済みです」
楓は予想していなかった答えに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。そんな楓を余所に美冬利は続けた。
「四郎園さんが気を失っている間に、ご両親にはある程度の事情を説明しました。
四郎園さんの荷物はこちらで準備している部屋に全て運び終わっています。もちろん、ベッドの下に隠してあった本も運び終わっていますよ」
ベッドの下の本と聞いて楓の顔は青ざめた。そして、すぐさま恥ずかしさで赤くなる。まさか親よりも先に同級生に見られるなど思いもしていなかった。
「ち、違うよ! あの本は僕のじゃない! こ、浩太が遊びに来たときに置いていったんだ!」
楓は苦し紛れの言い訳を放った。そんな楓を見て美冬利は悪戯な笑みを浮かべた。
「まさか、カマをかけたのですが、本当にベッドの下にそういう本を隠しているんですね。
やはり、人は見かけによらないのですね」
策士美冬利の罠にまんまと嵌められた楓は恥ずかしさで穴があったら入りたい気分になった。
「と、と、とにかく、一回家に帰らせてよ!」
「いえ、それは絶対にダメです」
美冬利は間髪を入れずにそう答えた。先程までとは明らかに口調が変わった。
「ど、どうして?」
「千春姉さんが言っていたじゃないですか。もう四郎園さんの鬼は成長しきっているのですよ? 酷な言い方をすれば、四郎園さんはもう普通の人間ではないのです。
いつ、四郎園さんの鬼が暴走するのか分からないのです。自分の鬼に喰われなかっただけマシだと思ってください。
それに、家に帰ったとして万が一、鬼の力が暴走したらどうするのですか? 少し冷静に考えれば分かることだと思いますが」
美冬利は厳しい口調で楓に言いつけた。楓は何も言い返す事が出来ずに黙った。
確かに、鬼が存在しているというのならば、美冬利の言っていることは正しいのだろう。しかし、楓は全てに納得することが出来なかった。何故なら、楓は心の底から鬼の存在を認めてはいない。いくら話を聞いて鬼が存在しているという事を聞かされても、実際にこの目で見たわけじゃない。百聞は一見に如かずという諺があるが、本当にその通りだと楓は思った。
そのことを見透かしたように美冬利は話を続けた。
「まぁ、実際に鬼を見たことないと、私がいくら説明したところで信用は出来ませんよね。
本当は見せたくないのですが、どのみちいずれ見ることになるので、お見せしますね。ちなみに、この映像の事は一切他言無用なので、お願いしますね」
美冬利はそう言うとテレビを点けて、一枚のDVDを取り出した。
「あまりの怖さにちびるなよぉ」
夏樹が横から茶々を入れてきた。
「そ、そんなに怖いやつなんですか?」
「まぁ、見慣れていない人からすれば信じられない映像だろうね。
ほら、始まるぞ」
夏樹にそう言われた楓は視線をテレビに移した。そこに映し出された映像はとても衝撃的な映像だった。
廃墟ビルの一室に一人の男が映し出されていた。その男は頭を抱えながら呻き声を上げていた。呻き声の他に撮影者と思われる声が入っていた。話しかけている内容からして、呻き声をあげている男の仲間なのだろう。
しばらくすると、呻き声が止んだ。すると、その男の背中から、まるで脱皮したての蝉のように白い人影が、すぅと浮かび上がった。
撮影者はびっくりして尻餅をついた。その瞬間、浮かび上がった人影が呻き声を上げていた男に食らいついた。バリ、ゴキ、という普段では聞くことのない咀嚼音が聞こえてくる。考えるまでもなく骨が砕ける音だ。
人影が男を食らい尽くすまで十秒もかからなかった。最後のゴクリと飲み込む音が聞こえると人影は叫び声を上げた。叫び声が止むと白かった人影は食べられた人と全く同じ顔になった。だが、何と言えば分からないが、完全に同じ人ではない気がする。これが、四季家の言う『鬼』なのだろう。
鬼は周囲をゆっくりと見渡すと撮影者の方を見た。そして、ニタリと笑った。鬼が撮影者をめがけ、飛びかかったところでで映像は途切れた。
映像が終わった瞬間、楓は吐き気を催した。美冬利はそんな楓を構わず話を続けた。
「これでも鬼の存在を否定しますか? 鬼は非常に凶暴な化物なのです。人の形をして人の言葉を喋り、人を騙して人を喰うのです。
残念ながら、四郎園さんもその可能性を秘めているのです。このままでは家族を傷つけてしますますよ。
それだけは避けたいじゃないですか」
「じゃ、じゃあ、僕はどうすればいいの?
「…そうですね。
とりあえず、今日はもう寝ましょう。夜も遅いですし、明日も学校があります」
「へ?」
思ってもいない返答に楓は思わず変な声が出た。
「も、もし、明日学校で僕の鬼が暴走したらどうするの?
「その時は私に鬼退治されることになるでしょう。
大丈夫ですよ。多分、学校でることは無いと思います。
学校から帰ったら千春姉さんから直々に稽古をつけてもらえるので寄り道せずに帰ってきてくださいね。
それでは、私は寝ます。お休みなさい」
「お、おやすみ…」
美冬利は楓に頭を下げると寝室へと向かった。リビングには夏樹と楓だけが残された。夏樹はこの瞬間を待っていましたかのように楓に飛びついた。
「か~え~で~くぅ~ん。あんな映像見せられて怖くなかったかい?
怖かったでしょ? それなら、夏樹お姉さんと一緒に寝よう!」
「い、嫌です!」
「どうして!」
「一人で寝たいからです!」
「そんな、つれないこといわないでよぉ~」
楓は抱き着いて離れない夏樹を引き剥がそうと躍起になっていると背後から確実に殺されるぐらいの殺気を感じた。
二人は恐る恐る振り返るとそこに立っていたのは千春だった。一撃で夏樹を沈めると、そのまま夏樹を引っ張っていった。
千春はリビングを出る直前で振り返り楓に話しかけた。
「お前の部屋は二階の右から三つ目の部屋だからな。間違えるなよ。
それじゃ、おやすみ」
「お、おやすみなさい」
楓は鬼よりも恐ろしいものを知った気がした。