理不尽
しばらくして楓は目を覚ました。まず、視界に写ったのは四つの顔。みんなそれぞれ心配そうに楓の顔を覗き込んでいる。
「よかったぁ。楓君が目を覚まさないから死んじゃったと思ったよ」
夏樹は楓に抱き着き涙を浮かべている。状況が分からない楓はひたすら困惑した。
「あ、あの、一体どうなったんですか?」
「一言で言うなら失敗かなぁ。
いや、でも、術式はちゃんと発動していたんだよ? でも楓君の鬼が出てこなかったの」
秋穂は相変わらず、のんびりとした口調で答えた。
「…? 鬼が出てこない?」
楓は首を傾げてそう呟いた。
「あぁ、出てこなかったんだ。こんなこと初めてでな。私たちも困惑していたところだ。普通ならば、あのまま鬼が出てくるはずだったのだが、気配すらなくてな。
それより、体調は大丈夫か?」
先程までは近付くのも恐ろしかった千春が優しさを見せている。
「まだ頭は少し痛いですけど大丈夫です。すみません、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて。…それに、謝らなければいけないのはこっちだ」
謝る? 何を?と楓が問いかけようとした時には全てが終わっていた。一瞬、千春の眼光が鋭くなったと思ったら、楓の方をめがけて回し蹴りを放っていた。余りにも一瞬の事でガードをする暇も無かったのだが不思議と体に痛みは無かった。
それもそのはずで、回し蹴りを食らったのは楓ではなく、楓にずっと抱き着いていた夏樹だったのだ。
「おい、夏樹。いつまでくっついているつもりだ。まだ、楓は頭が痛いって言っているだろーが」
「ち、千春お姉様。い、今は絶対に私の方が、満身創痍で、す」
夏樹はそう言うとガクリと倒れた。それに驚いた楓は慌てて夏樹の元へ駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか!?」
「うん! 平気! 全然問題ないよ!」
楓に心配された夏樹は千春に食らった攻撃が嘘だったかのように飛び起きた。そして何事も無かったかのようにピンピンしている。そんな夏樹を見て楓はただただ苦笑を浮かべることしか出来なかった。
そして、楓はふと我に返った。時計に目をやると、時刻は午後四時半を指していた。いい加減帰らなくてはと思った楓は姉妹に挨拶をした。
「すみません。そろそろ帰らないと」
「ん? あぁ、すまない。もうそんな時間か。さすがに親御さんも心配するよな。
家まで送ってやろうか?」
「いえ、大丈夫です。一人で帰れます」
「そうか、じゃあ、気を付けて帰れよ」
「はい。すみません。お邪魔しました。
「また遊びに来いよ。その時は、この馬鹿を柱に縛り付けておくからよ」
千春の足元には楓が帰ると分かってから、必死に楓を捕まえようとしている夏樹の姿があった。もはや、その姿は鬼と言っても過言は無いだろう。
「おい、美冬利。玄関先まで送ってやれ」
「はい。分かりました。
それでは、行きましょう」
「う、うん。
皆さん。お邪魔しました」
楓が頭を下げると千春と夏樹は笑顔で手を振った。夏樹は千春に踏みつけられながら涙を流している。色々とカオスな空間を後に玄関へ向かって歩き出した。
外に出ると、外はすっかり赤らんでいた。親になんと説明しようかと考えていると美冬利が話しかけてきた。
「四郎園さん。今日はすみません。
よかったら、また遊びに来てくださいね」
「そ、そんな、謝らないでよ。何も気にしてないよ。
それに、僕の方こそごめん。鬼の話とか嘘だと思ってた。また今度遊びに来るね。
それじゃ、また明日!」
楓が手を振ると美冬利は深々と頭を下げた。
四季家を後にして楓は帰路に着いた。帰り道に今日あった色々なことを思い出していた。鬼のことはもちろん、四季家の個性的な姉妹のこと、賑やかでとても楽しそうだった。
その余韻に浸りながら歩みを進めていると、いきなり全身に悪寒が走った。まるで、誰かに睨まれているような気配を感じる。その気配の方に体を向けると、そこには本屋があった。嫌な気配はそこから感じる。近付いてはダメだと思いながらも体が吸い寄せられるように楓は本屋に足を踏み入れた。
店内は普通の本屋と何ら変わりはない。それに、本屋全体から嫌な気配が出ている訳では無かった。嫌な気配が出ていたところは、ある漫画コーナーだった。恐る恐るその気配に近付いた。
楓は角からそっと顔を覗かせた。そこにいたのは高校生ぐらいのグループだった。そのグループは辺りをキョロキョロとみている。すると、不意にグループの一人が漫画本を手に取ると持っていたリュックに漫画本を無造作に詰め込んだ。言うまでもなく万引きであった。
その行為を見た楓は、美冬利の言葉を思い出した。このままでは彼らの鬼が成長してしまう。そしたら彼らは食べられてしまう。
楓は万引きのグループに近付いて話しかけた。
「あ、あの~」
「あっ? なんだ、お前。誰かの知り合いか?」
「い、いや、知り合いとかじゃないんですけど…」
「じゃあ、なんだよ」
「い、いや、そ、その、万引きはよくないんじゃないかなぁ、って…」
「はぁ? おい、お前。言いがかりは良くねぇだろ。証拠はあんのか?」
「そ、そのリュックに漫画を入れるの見てたから…」
「チッ、おい、しっかり見張っとけって言っただろうが。
…おい。ちょっと、付いて来いよ」
高校生はそう言って楓の腕を引っ張った。その一言で楓の血の気は一気に引いた。確実に殺される。運が良ければ半殺しだ。そんなことを思いながら高校生グループに連れられて店の外に出た。店内にいた何人かはこちらを見たが、みんな可哀想にといった視線を送るだけで誰も楓のことを助けようとはしなかった。
人気のない路地裏に連れていかれると前を歩いていた主犯格の高校生がいきなり振り向き、楓の腹を思いっきり殴った。余りにも不意の出来事で理解が出来なかったが、遅れてやってきた痛みで現状を理解した。
楓はその場に蹲り、嘔吐した。幸い、胃の中に何も入っていなかったので透明の液体しか吐き出されることしかなかった。
蹲っている楓を無理矢理起き上がらせると、主犯格の高校生は話しかけてきた。
「おい、痛いか? 痛いよなぁ。止めて欲しいか?」
楓は無言のまま頷く。
「止めるわけねぇだろ、ばあぁぁか!
大体、お前が面倒なことに首を突っ込まなければ、こうはならなかったんだよ。
正義の味方気取りのつもりか知らねぇが、調子こいてたら、痛い目見るってのを、俺が教えてやれねぇといけねぇだろうがっ、よっ!」
無理矢理立たされて無防備になっている腹部へと二発目の拳が放たれた。もはや、痛い痛くないのレベルでは無くなった。この地獄がどうやったら終わるのか、自分のしたことは間違いだったのだろうかと薄れゆく意識の中、そんな考えが頭を巡っていた。そして答えがでないまま楓の意識は、ぶつりと途切れた。