母
次の日、楓は学校を終えると一度、四季家に戻ってから自宅に向かった。
久しぶりに自分の家の玄関の前に立つと少し緊張した。何せ、約一ヵ月半ぶりの自宅だ。それに両親にまともな別れも告げぬまま、他所の家にお世話になっていたのだから、何を話せばいいのか分からない。
二、三分ほど玄関前で立ち往生していると後ろから声をかけられた。
「あれ? 楓じゃない。こんなところで何してるの」
聞き覚えのある声だった。楓はゆっくりと振り返った。その目に映ったのは久しぶりの母親の姿だった。
「え、あ、あの、久しぶり」
「何、急に改まっちゃってるの」
母は笑いながらそう言って楓の肩を叩いた。そして話を続ける。
「四季さんに迷惑かけてない?」
「う、うん、何とか大丈夫、かな」
本当は迷惑かけっぱなしなのだが、これ以上母親に心配をかけさせるわけにはいかないと思った楓はそう口にした。
「それならいいわ。
ほら、早く家に入って準備しないと先生来ちゃうわよ」
母はそう言って家の中に入った。楓もそそくさとその後に続いた。
家の中は家庭訪問という事もあり、綺麗に片付けられていた。まぁ、いつも片付いているのだけれども。
それにしても久しぶりの自宅は気持ちが落ち着く。四季家も自分の家同様に使っていいと言われているが、実際の所そう簡単に環境に慣れるわけではない。
楓自身は気を遣っているつもりはなくとも、自然と体が気を遣っているというか、何というか。
そうこうしている内に家のチャイムが鳴った。きっと担任の先生が来たのだろう。
母は慌ただしくインターホンの所へと向かった。二、三言話すと玄関へと向かった。そして、すぐさま先生と一緒にリビングへと入って来た。楓は思わず背筋が伸びる。
「おう、四郎園。学校振りだな」
先生はニコニコしながら冗談を言った。楓は苦笑いで返した。そんなやり取りを余所に母が「どうぞ座ってください」と先生に促した。先生は「どうも」と頭を下げながら、目の前に茶菓子が用意されている椅子に座った。
少しの沈黙の後に母が口を開いた。
「あのー、うちの息子は学校ではどうでしょうか?」
「うん、お母さん。心配しなくても大丈夫ですよ。成績も問題ないですし、生活態度もいいですよ」
先生にそう言われると母はホッと胸を撫で下ろした。
「ですが、一つ気になることがありまして…」
「な、なんでしょうか」
「いや、最近一ヵ月程、学校を休んだじゃないですか。
一年、二年の頃にはそう言うことは無かったと前任の先生から聞いてまして。
何か四郎園の中で心境の変化とか嫌な事があったのかな、と思いまして。
ここ最近、物騒な事件が多発しているのでその関係なのかと思ったり思わなかったりといった感じなのですが」
「…休んだ理由ですか…」
母はそう言って楓の方を見た。楓は何とか誤魔化してほしいと言った目で母を見た。母はその目で察してくれたのか分からないが先生に切り出した。
「まぁ、思春期ですので、口に出したくない事があったのかもしれません。母親としての実力不足を痛感しております」
「い、いえいえいえ、お母様はご立派にされてますよ!
すみません、変なことを聞いてしまって」
「いえ、そんなことありませんよ。
これを機に、家族でしっかり話し合ってみます」
先生は額の汗をハンカチで拭っている。それに表情も強張っていることから不味い質問をしてしまったと思っているのかもしれない。
それから進路のことなどを話して楓の家庭訪問は終わった。
先生を玄関まで見送り、先生の姿が見えなくなってから母は楓に話しかけてきた。
「さっきの先生が言ってた一ヵ月学校を休んだってどういうことなの?」
母は怒っている様だ。当然のことだと思う。休んだというところだけ切り取れば、知らない人の家に自分の息子を預けて、面倒を見てもらっているのに、一ヵ月学校をサボったように取られてもおかしくはない。
「これには深い事情があって…」
「事情って何!? あなたね! 私がどんな思いであなたを送り出したと思っているの!?」
「えっ?」
「急に美冬利さん?が国の偉い人と一緒に来て『あなたの息子さんはこちらで預からせてもらいます』とか言ってきたのよ!?」
「そ、そんなことがあったんだ…」
怒り混じりの声で話していた母は段々と声のトーンを落とした。その目には薄らと涙を浮かべている。
「『そんなこと急に言われても困ります。事情を説明してください』と言っても『それだけは絶対に言えません。守秘義務が課せられているのです』しか言わないのよ。
それで『うちの子が何か悪いことでもしたのですか?』って聞いたら『それは違います』と言われて安心したの。『悪いことをしていないのなら、預ける必要はないでのは』と反論したら、美冬利さんの後ろに立っていたスーツの人がドラマみたいにケースの中に入ってるお金を見せてきたの。
それで『このお金は何ですか』って聞いたら『とりあえずこのお金で引いていただけますか? 足りないのならば後日、言われた通りの金額をお支払い致します』って言われたの。
お母さんはとても怖かった。誘拐されたんじゃないかって思ったけど、美冬利さんが詳しくは話せないけど、言える範囲で楓のことを教えてくれたわ。とても信じられない話ばかりだったけど、美冬利さんの真摯な姿勢に負けたのと、楓を信じてみようと思ったから、私はあなたを四季さんのところに預けたの。
あなたがいなくなってから、毎日気が気じゃなかったわ。元気にしているかしらとか怪我はしていないからしら、一目でいいから会いたいと毎日のように思っていたのよ。
…とにかく元気でよかった」
母はとうとう目に溜めていた涙が堪えられなくなったのか、泣き出してしまった。楓は母にそっと寄り添った。
しばらくして落ち着きを取り戻した母は楓に謝った。
「…ごめんね、楓も辛いはずなのに」
「ううん、こっちこそごめん。母さんに心配ばかりかけて」
「こっちはもう大丈夫!
この後、四季さんのところに戻るんでしょ?」
楓は頷いた。
「今度はちゃんと、笑顔で送り出せるわ。
気を付けて行ってらっしゃい」
母はそう言うと楓の背中を強く叩いた。
「痛いなぁ。
…うん、頑張ってくる」
楓はそう言って実家を後にした。




