鬼
「とりあえず、その伸びている楓坊ちゃんを起こしなよ。早いとこ鬼退治しようぜ」
千春はそう言って楓の元へと寄った。それにつられるように残りの姉妹も楓の元に寄り、涎を垂らしながら気を失っている楓の顔を覗き込んだ。
その四人の熱い視線に気付いたのか、楓はゆっくりと目を開けた。そこには見慣れない顔がたくさんあった。まるで、事故から目が覚めた時の病室みたいだな、とかそんな呑気なことを考えているうちに、脳みそが覚醒して自分の今置かれた現状が分かり、飛び起きた。
「おい、危ないだろ。急に飛び起きるんじゃねぇよ」
「す、すみません」
楓は反射的に謝ると、その後に少し首を傾げた。楓が気を失っている間に知らない人が増えている。それも、とびきり恐そうな人が。
その表情で察した千春は口を開いた。
「あぁ、自己紹介がまだだったな。
私は四季 千春。近所の大学に通っている大学三年生だ。そして、この四姉妹の長女だ。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
千春が自己紹介をしたのを皮切りに、みんな自己紹介を始めた。
「私は次女の夏樹。千春姉さんと同じ大学に、この春入学した大学一年生だ。
さっきはとんだ無礼をしてしまい申し訳ない」
「い、いえ、気にしてないです」
「そうか、それはよかった」
夏樹は先程とは人が変わったかのような口調で自己紹介をした。
「はいはーい、次は私。
三女の秋穂だよ~。ピチピチの高校二年生。楓君よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
「美冬利ちゃんは今日、学校で自己紹介をしたんだよね? それだったらしなくてもいいよね?」
秋穂がそう言うと美冬利は「はい」と返事をした。
「じゃあ、今度は楓君が自己紹介をする番だよ」
秋穂は楓を見てニコリと笑った。
「は、はい。え、えっとー、四郎園 楓です。今日は色々とお騒がせしてしまい申し訳ありません。
今度― って、うわっ、夏樹さん。なんでカメラを構えているんですか!」
驚いた楓の視線の先には鼻息を荒くしてビデオカメラを構えている夏樹の姿があった。
「い、いいから続けて…!」
「い、嫌ですよ! 一体何のために撮ってるんですか!」
「保存用に決まってるでしょ! そんな愚問しないでもらえるかな!」
夏樹は凄い剣幕で楓に言った。その様子に困っていると千春が夏樹に話しかけた。
「…おい、夏樹。楓が困っているじゃないか。
なんなら、鬼退治より先にお前を退治してやろうか?」
千春がドスの効いた声でそう言うと夏樹は「ひぃ」と悲鳴を上げてカメラを仕舞った。そんな夏樹を見て千春はやれやれと首を横に振った。そして楓の方を向いた。
「すまなかったな。
それじゃ、本題の鬼退治といこうか」
千春はそう言うと部屋を出た。姉妹達もその後に続いた。楓も慌ててその後に続いて部屋を出た。
長い廊下をひたすら歩いた。軽く二十メートルは歩いたと思う。そろそろ着いてもいいんじゃないかと思い始めた時、ある戸の前で先頭を歩いていた千春は足を止めた。
「よし、着いたぞ」
千春はそう言うと戸を引いて中に入った。部屋の中は木の床のみで白の線で大きな四角の枠が取ってある。それは学校にある剣道場のような作りに似ていた。
姉妹達は中に入ると各々準備運動を始めた。理解が追いついてこない楓は、戸の外で準備運動をしている四人の姿を少し驚いた表情で見ていた。すると、千春がストレッチをしながら話しかけてきた。
「おい、何をそこでボーっと突っ立ってんだよ」
「えっ、い、いや、何をしているのかなって…」
「何って、そりゃ、お前の鬼を退治するための準備運動だろうが」
「そ、そんなに危険なことなんですか?
ぼ、僕、いまいち実感が湧かなくて」
楓は下を向きながら小さな声でそう言った。
「だ~か~ら~、さっきから言ってるでしょ? 私たちは命懸けで鬼退治してるって。
美利ちゃんが言うには、大したことない鬼かもしれないけど、『万が一』があったら困るからね」
秋穂はニマニマした顔で言った。先程みたいに怒っている感じでは無かった。
「き、危険なのは分かりました。でも、鬼が一体どういうものなのか、そこがよく分かりません。
本当に僕の中に鬼はいるんですか?」
「じゃあ、それは私が説明しますね」
美冬利はそう言って一歩前に出て説明を始めた。
「路地裏でも言ったように、人は生まれた瞬間から、心の中に鬼が棲んでいます。最初は小指の爪程度の大きさしかありません。しかし、鬼は成長するのです。
どうやって成長するのかと言いますと、その人の心の歪みや悪しき行為によって段々と大きくなっていきます」
「…歪み?…悪しき行為?」
「はい、歪みは、言い換えるのなら妬み嫉みと言ったところでしょう。日本人と言うのは建前ばかりで、中々本音を話すという事が少ない人種です。表面上では祝福をしていながらも、心の中では成功者の失敗や挫折を願っている人がたくさんいます。
次に悪しき行為と言うのは、言うまでもなく犯罪行為ですね。
そうですね…、実際に鬼になる原因で一番多い犯罪が万引きですね。
一度味を占めたら、何度も繰り返してしまう常習性が鬼を有り得ない速度で成長させてしまいます。万引きがしてはいけない行為だと分かっている内は、まだ若干の救いはあります。しかし、万引きをしても何とも思わなくなっている人は、もう手遅れと言っていいでしょう。そこまで来ると鬼は完全に成長しきっています」
美冬利がそう言うと楓は生唾を飲み込んだ。
「完全に成長すると、どうなるの?」
「はい、完全に成長した鬼は自我を持ちます。しかし、まだこの時には完全に鬼とは呼べません。
自我を持った鬼はその人から離れ、一人で行動を始めます。
人から離れた鬼がまず、最初に取る行動は歪み等を提供していた人間を喰らうことです」
「…た、食べちゃうってこと?」
「えぇ、食べますよ。それで、その鬼は完全に鬼と呼ぶ状態になるのです」
本当はちゃんと、鬼の状態によって出世魚みたいに名称があるのですが、言ったところで意味が無いので鬼で統一させていただきました。
ここまでの説明で何か質問ありますか?」
「えっと、鬼って見ることできるの?」
「見ることはできますよ。先程言ったように人を食べた鬼なら誰でも見ることができます。だって、人を食べると言うこと以外はそこら辺を歩いている人と何ら変わりはないですから。だから、今日すれ違った人の中に鬼がいたと言う可能性はもちろんあります。
因みに、心の中に棲んでいる鬼は見えません。
鬼と言う言葉は諸説ありますが、元々、隠という言葉が転じたものです。姿の見えぬ者、この世ならざるものを意味しています。そこから人の力を超えたものと言う意味となり、今の鬼のように恐ろしくて怖いものになりました」
「じゃ、じゃあ、その鬼が心の中にいる時に退治は出来ないの?」
「出来ません」
美冬利はきっぱりと言った。そして、そのまま話を続けた。
「見えないものを退治するということなど不可能ですから」
「そ、そうなんだ。
じゃあ、僕の鬼はどうやって退治するの?」
「その点は心配要りません。
四郎園さんの鬼を四季家に伝わる術で強制的に人を喰らう手前まで成長させます。
鬼になる前の鬼の鬼退治など赤子の手をひねるより簡単ですからね。武鬼を使うまでもありません」
「武…器…?」
「鬼退治に使う専用の武器です。武道の武に、鬼で武鬼です。
人の心の中には鬼が棲んでいると再三言っていますよね。私たち姉妹も例外ではありません。
四季家は修行を積み重ね、心の中に棲む鬼を武器に変える事が出来ます。私たちはそれを武鬼と呼んでいます。
因みに、千春姉さんは日本刀。夏樹姉さんは薙刀。秋穂姉さんは鉄扇。私は弓に変える事が出来ます。
それでは、いい加減本題に入りましょうか。少し辛いかもしれませんが、耐えてくださいね」
美冬利の声を合図に姉妹は部屋の隅へと散らばった。楓が呆気に取られていると、四人は何かを呟き始めた。その途端、楓の体は鉛がへばりついたように重くなり、立っていられなくなった。頭は割れそうな程に痛い。段々、自分の体が自分の物ではなくなっていく感覚に襲われた。薄れゆく意識の中で誰とも分からぬ声が頭の中で響いている。その声の正体を探りながら楓は意識を失った。