四季家
楓は学校を出て気が付いた時には、四季 美冬利のことを追いかけていた。 別にストーカー行為をするつもりではなかったのだが、まるで何かに取り憑かれたように、体が勝手に動いていたのだ。美冬利はそんなことを知ってか知らずが、悠々と帰路に着いていた。
しばらく歩くと目の前を歩いていた美冬利が人気のない路地裏に入っていった。楓は慌てて路地裏を覗き込むと美冬利が小走りで路地の角を曲がっていくのが見えた。その瞬間、楓の中で何かが弾けたような感じがして走って美冬利のことを追いかけた。美冬利が曲がった角を曲がると、そこには美冬利がこちら向いて立っていた。それに驚いた楓は尻餅をついた。
「四郎園さんでしたよね? こんなところで何をしているんですか?」
美冬利はこちらの顔をじっと見つめて尋ねた。楓はその質問に答えることができずに下を向いて黙っていると美冬利が口を開いた。
「答えられないですよね。同級生をストーカーしていたなんて。でも、私は分かっていますよ。四郎園さんがストーカーをしたかったのではなくて、あなたの心の中にいる『鬼』がそうさせていることを」
美冬利がそう言うと楓は顔を上げて怪訝な表情を浮かべた。
鬼? この人は何を言っているのだろう。そんなことを考えていると美冬利は話を続けた。
「人間は生まれた時から心の中に鬼が棲んでいます。その鬼は、その人の邪な気持ちを食べて成長します。
最初は小指の爪程度しかない鬼も、その人の邪悪を食べ続け、大きくなり、やがてはその人そのものを食べてします。
今日、四郎園さんが私をストーカーしたのは、まだ可愛い方だと言えるでしょう。ですがそれをそのまま放っておくと自分の中に棲んでいる鬼に食べられてしまい、取り返しのつかないことになってしまいます。そうならぬように鬼退治するのが私たち四季家の仕事なんです」
自己紹介の時とは違い、ハキハキとした声でそう説明した美冬利の話を聞いた楓は余りにも現実離れした話についていくことができずにポカンとしていた。
「まぁ、信じられないですよね。
今の四郎園さんの鬼の大きさならば退治する必要はありませんが、そのままにしておくわけにもいきません。丁度、私の家が近いので鬼退治していきませんか?」
美冬利は尻餅をついている楓に手を差し伸べて言った。とても斬新な家への誘われ方だと楓は思った。まるで新作のゲームを手に入れたから一緒に遊ばないかと誘うような口調で鬼退治に誘われるとは思いもしなかった。しかし、こんな綺麗な子の家に呼ばれるのだから鬼退治も案外いいものではないのかといった軽い気持ちで楓は美冬利の手を取った。
美冬利は楓の手を引っ張り、立ち上がらせると先に進んでいった。楓はその後を黙ってついていく。それはとてもとても気まずい空気が漂っていた。美冬利の言う『鬼』と言うものに惑わされていたとはいえ、ストーカー行為をしてしまったことに楓は多少なりとも罪悪感を感じていた。とうとうその空気に耐えられなくなった楓は右斜め前を歩いている美冬利に話しかけた。
「あ、あの四季さん」
「何でしょうか?」
美冬利は楓の問いに振り向くことなく返事をした。
「い、いや、後どれぐらいで四季さん家に着くのかなぁって…」
「そうですね。後、十分もかからないですよ。
どうかしましたか?」
「あっ、いや、特に何もないけど、ちょっと気になったから」
楓がそう言うと美冬利は「そうですか」と返事をした。そして、場の空気は振り出しへと戻った。なんだか万引きがバレてしまい店の事務所とかに連れていかれる人の気持ちというのは体験したことがないけれど、きっとこんな感じの気持ちなのではないかと、楓は歩きながらそう思った。
そんなことを考えながら歩いていると美冬利は足を止めた。楓も美冬利と同じようにして足を止めた。
「すみません。近くだと言っておきながら、だいぶ歩かせてしまいましたね。
ここが私の家です」
美冬利にそう言われ紹介された家の方を見ると、そこにはとても大きな門があった。時代劇などでよく見るお城にあるような門。その横にある表札には「四季」と書かれていた。
楓がその門の大きさに驚いていると、美冬利は門を開けて「どうぞ」と促した。楓は恐る恐る敷地内に足を踏み入れた。その門の奥には膨大な敷地に堂々とした大きな建物が建てられていた。楓の体が敷地内に入ったのを確認すると美冬利は門をゆっくりと閉めた。少し怖くなった楓は後ろを振り返ると美冬利はニコリと笑って、「どうぞ上がってくださいと」言った。初めて見た笑顔だが何故か恐怖に感じた。きっと楓の中に棲んでいるという鬼が震えあがっているのだろう。そうであって欲しいと切に願うばかりであった。
そんなことを考えているといつの間にか玄関の前までやってきた。腹を括った楓はスライド式になっている玄関を開けて四季家にお邪魔することにした。
普通こういう時は家の人が開けるものではないのかと思ったが、早く開けろと言わんばかりの視線が背中に注がれていたので仕方なく戸を引いた。ガララと音を立て引き戸を開けた瞬間、扉の向こうから声が聞こえてきた。そして、それと同時に楓の視界は黒く染まった。
「みぃ~とぉ~りぃ~ちゃ~ん。おかえりぃ~
って、あれ? これ美冬利ちゃんじゃない。誰?」
楓の視界を黒く染め上げた犯人は自分の胸から楓を解放した。楓は一歩下がって咳き込んだ。美冬利は楓を抱きしめていた人物を見てため息をついた。
「秋穂姉さん。いい加減にしてください。そろそろ死人が出ますよ?」
秋穂姉さんと呼ばれた人物は不思議そうな顔をして美冬利を見つめている。
「どうして? 美冬利ちゃんなら死なないでしょ? というか、この子誰?
あっ、もしかして、美冬利ちゃんの彼氏? もうおませさんなんだから」
秋穂はそう言って美冬利の肩をパシンと叩いた。彼氏という単語が出た途端、美冬利は顔を真っ赤にして否定した。
「ち、ち、違います! 誰がこんな、冴えないストーカー野郎のことを彼氏にするんですか! 私の趣味じゃありません!」
美冬利にそう言われた楓はその場に膝をついて項垂れた。すると、落ち込んでいる楓を秋穂は抱き寄せた。
「あらら~? ほんとぉ? それなら秋穂ちゃんが貰っちゃおうかな~?」
「そ、そ、それはダメです!」
美冬利は秋穂の手中にある楓を必死に引っ張り出そうとしている。
「どうしてぇ? タイプじゃないんでしょう? それなら秋穂ちゃんが貰ってもいいよねぇ?」
「学校の校則で異性交遊は禁じられています!」
「秋穂ちゃんはもう高校二年生だよ~。
そ、れ、に、私の高校にはそんな校則無いよ~」
秋穂はそう言うと自分の腕の中にいる楓の頭を優しく撫でた。
「とにかく! 四郎園さんを解放してください!
それにその喋り方もやめてください! いつもそんな喋り方じゃないではないですか!」
「えぇ~、いいじゃん。たまにしかお客さんこないんだから。
また来たいって思ってもらえるようにしないとね。ねっ、四郎園君」
楓は急に話を振られたので思わず声が裏返ってしまった。その姿を見て秋穂はクスクスと笑った。
なんだかんだあり、ようやく解放された楓は四季家の中へと案内された。家の中は和風な外見と違い、和と洋がいいバランスで織り交ざっていた。
家の中を少し歩かされてようやくリビングへと案内された。ソファーに腰掛けると美冬利は「お茶を用意しますので」と言って部屋を出た。部屋の中には楓とそのすぐ隣に腰掛ける秋穂が残された。
「あ、あの、秋穂さんでしたよね?」
「うん? そうだけど、どうしたの?」
「い、いや、近くないですか?他にも座る場所いっぱいあると思うんですけど…」
「だってぇ、四郎園君が座ってる場所が私のいつも座ってる場所なんだもん」
秋穂は悪戯な笑みを浮かべて言った。
「ほ、本当ですか? す、すみません。すぐ退きます」
それを真に受けた楓は慌てて立ち上がろうとした。すると秋穂はその楓の腕と掴んで座らせた。
「もう、冗談だってば。四郎園君は可愛いねぇ。
そう言えば、美冬利ちゃんとはどんな関係なの? カップル?」
秋穂の口から出てきた思わぬ単語に楓は慌てて否定した。
「ち、違いますよ! 美冬利さんとは今日初めてあったばかりです。
…そ、その何と言ったらいいのか、気が付いたら美冬利さんのことを追いかけてまして、そこからいろいろあり、今に至るわけです…」
「美冬利ちゃんが言ってたストーカーって本当だったのね。
可愛い顔して大胆なことをするんだねぇ」
「い、いや、美冬利さんが言うには、心の中に棲んでいる鬼?が原因だから、と言われて。
今のままの大きさなら問題ないけど放っておくわけにもいかないからってことで、このお家に招待されたんです」
「ふーん、鬼ね」
楓の口から鬼という言葉が出ると、秋穂は今まで楓と接していた態度とは明らかに違う態度を示した。そんな秋穂を見て何か気に障るようなことを言ってしまったのではないかと楓は心配になった。
「い、いや、僕も信じていないんです。鬼が棲んでいるだとか、その鬼が悪さをするだとか」
慌てて発言した楓は秋穂の地雷を踏み抜いてしまったらしく、秋穂はさっきまでの口調とは打って変わって怒った様子で楓に突っかかった。
「いやいや、『僕も』って一緒にしないでもらえるかな? 美冬利ちゃんが言っている話は本当だよ。私たち四季一族は、遥か昔から鬼退治を専門としている由緒ある一族なの。
そりゃ、何も知らない、何も見えない普通の人達からすれば、ただの電波話に聞こえるかもしれないけど、私たちはそれで生活しているの。死人だって出る仕事だし、私も美冬利も命懸けでやっているのよ。
美冬利ちゃんが男連れてきたから、面白そうだと思ったけど、なんだかもう冷めちゃった」
秋穂はそう言ってスマートフォンを取り出し触り始めた。部屋の中には険悪な空気が漂っている。
謝らなければと思った楓が口を開こうとした矢先、部屋の扉が開いた。
「なんだ? 客人でも来ているのか?」
部屋にいた二人は声が聞こえた扉の方に目をやった。そこに立っていたのは、自分の背丈よりも長い棒みたいなものを担いできたスーツ姿の女の人だった。その女性を見るや否や、秋穂は凄い形相で楓に向かって叫んだ。
「四郎園君! 逃げて! 早くしないと―
秋穂の言葉を最後まで聞く前に、何かがカランと落ちる音が聞こえ、次の瞬間には楓の体に何かがぶつかった。その衝撃と共に視界は遮られ、楓の視界は真っ暗になった。楓は何が起こったのか訳も分からず必死にもがいていると頭上から声が聞こえた。
「待って、待って待って待って、何この子、凄く可愛いんだけど。
どこから来たの? 迷子? 自分のお名前分かるかな?」
猫を撫でるかのような甘ったるい声が楓の耳に響く。声の主は秋穂では無さそうだ。そうなると先ほど部屋の扉を開けた人物の声だろう。楓は頭をひたすらに撫でまわされ、ようやく解放された。
今日は何だかいつもより人の温もりを体感できる日だなと能天気なことを楓は考えていた。
楓に飛びついてきた人物は、まじまじと楓の顔を見ている。見つめられるのが恥ずかしかった楓は誰もいない扉の方へと目をやった。そして驚いて思わず声が出た。
「あ、あの、と、扉の方から飛びついてきましたよ、ね?」
楓は震えた指で扉を指す。
「うん? そうだけど、それがどうしたのかな?」
スーツ姿の女性はニコニコしながら楓を見ている。
「い、いや、扉からここまで大体、二~三メートルぐらいあるんじゃないかなって…」
楓がそう言うとスーツ姿の女性は少し頬を膨らませて軽く怒ったような口調になった。
「そりゃ、こんなに可愛い男の子がいたら三メートルぐらい余裕で飛べるでしょ!」
楓はそれ以上聞くことを諦めた。
そんな話をしていると、隣にいた秋穂が呆れ気味に口を開いた。
「夏樹姉さん。流石に普通の人はあの距離を飛べないと思うよ。
それにキャラ変わり過ぎ。夏樹姉さんのそんな声初めて聞いたんだけど」
「う、うるさい! 秋穂には関係ないだろ!」
夏樹姉さんと呼ばれた女性は、まるでぬいぐるみを抱きしめるかのように楓を抱き寄せ、秋穂に反論した。それから二人の軽い口喧嘩が始まった。それを見計らったかのように美冬利がお茶を持ってきた。
「すみません。お待たせしまし―
美冬利は目の間に広がった光景を目の当たりにして、手に持っていたお盆を落としてしまった。
その光景とは、夏樹が楓の左側を引っ張り、秋穂が右側を引っ張って、楓の取り合いをしているのだ。このままでは楓が千切れてしまうと思った美冬利は二人の仲裁に入った。
「ちょ、ちょっと、二人とも何しているんですか! お客様ですよ! 丁重に扱ってください!」
「嫌だ! 四郎園君は今日から私の弟になるの!」
「お前みたいな奴にこんな可愛い子任せられるわけがないだろ! 大人しく手を離せ!」
楓は二人に引っ張られて気を失いかけている。
「こ、このままでは四郎園さんが死んでしまいます! いい加減にしてください!」
美冬利は必死に訴えるが二人は離そうとしない。
「嫌だ! 絶対死んでも離さないから!」
「それは、こっちのセリフだ!」
このままでは本当に真っ二つに千切れて死んでしまう。何か打開策を見つけなければと、美冬利が思った瞬間、扉の方からドンッと大きな家全体が揺れる程の轟音が聞こえた。
三人ともその音に固まり、ゆっくりと音が聞こえた方へ目を向けた。そこに立っていたのは『鬼』という表現が可愛く感じる程の形相をしている寝間着姿の女性が、殺気を纏って立っていた。その姿を見て三人の血の気は引いた。
「おう、お前ら、全員正座しろ」
三人は寝間着姿の女性から発せられた圧倒的言葉の重圧に耐え切れず、その場に正座した。全員が正座をしたことを確認すると寝間着姿の女性は口を開いた。
「よし、とりあえず何で正座させられているのか分かっているよな?」
三人は問いかけに無言で頷く。
「じゃあ、何で正座させられているか、夏樹、言ってみろ」
「はい。それは千春姉さんの睡眠を妨げたからです。
「ほー、よく分かってるじゃねぇか。
じゃあ、何で睡眠を妨げるようなことをしたのか、秋穂が説明しろ」
千春姉さんと呼ばれた人物は鬼をも凌駕する形相のまま秋穂に説明を求めた。
「え、えっと、それは、私と夏樹姉さんで美冬利ちゃんのお客さんの取り合いをしていたからかなー」
「ふーん、なるほどね。そこで伸びている奴が私の睡眠を妨げる元凶になったわけか。
じゃあ、その元凶が何でこの家にいるのか説明してくれ」
千春にそう言われ、美冬利は事の顛末を丁寧に説明した。
「…なるほど、結局、私の睡眠を邪魔したのは夏樹と秋穂っていうわけか。
よし、二人は後で私の稽古に付き合えよ」
千春はそう言ってニヤリと笑うと、夏樹と秋穂は小さな悲鳴を上げて肩を震わせた。