夏樹vs炎鬼
夏樹は武鬼を構えたまま動かない。そして、それと対峙している炎鬼も動かない。お互いが相手の出方を窺っているようだ。そんな睨み合いを続けていると痺れを切らした夏樹が炎鬼に話しかけた。
「おい、デカブツ。何か喋ったらどうだ?」
「………」
炎鬼は夏樹の問いかけにうんともすんとも言わない。
「こんなに綺麗なお姉さんが話しかけているんだから、何か反応しろよ! もしかして、そんな見た目をしているけど根暗ちゃんだったりするわけ?」
夏樹の安っぽい挑発に炎鬼の眉毛がピクリと動いた。しかし、何かを話す様子はない。
「…はぁ、やる気が削がれるなぁ。
まぁ、相手にとって不足はない。私の今の実力を測らせてもらうよ!」
夏樹はそう言うと炎鬼に攻撃を仕掛けた。千春には劣るが、それでもかなりの速さで薙刀を振るう。しかし、炎鬼は二メートルを超える体からは想像のできない程の俊敏さで夏樹の攻撃を難なく躱していく。だが、そのまま夏樹に反撃する様子はない。
「はぁ、はぁ、はぁ、お前、馬鹿にしてんのか?
どうして反撃してこない」
その問いかけにも炎鬼は何も言わない。
「…もしかして、私にはその価値が無いとでも言いたいのか?」
炎鬼はゆっくりと頷いた。
「やっぱりそうだよなぁ。でも、そう言われて簡単に諦めるわけにはいかないんでね。こっちには大事な楓きゅんがかかっているし!」
夏樹がそう言うと炎鬼は呆れたようにため息をついた。ただのため息。しかし、そのため息は夏樹と炎鬼との実力差を表すには充分すぎる代物であった。
そして、炎鬼はゆっくりと口を開き、初めて言葉を発した。
「…青いな」
炎鬼の低く重たい声に夏樹は思わず炎鬼との距離を取った。
「…どういうことだ?」
「深い意味はない。そのままの意味だ。
お前は自分の力を過信し過ぎている。「自分は死なない」だとか「もしかしたら、勝てるのではないか」と心のどこかで思っている。そういう考えが命取りになる。
今から身を持って実感するがいい」
炎鬼がそう言うと炎鬼と夏樹の周囲二メートル、高さ四メートルを囲うようにして炎の壁が現れた。灼熱の炎の壁。単純に考えて脱出は不可能だった。この灼熱地獄から脱出する方法は唯一つ。それはこの中のどちらかが死ぬこと。
夏樹はそのことを理解すると、瞬時に攻撃を仕掛けた。薙刀を自分の手足のように動かし、次々と絶え間ない攻撃を仕掛ける。しかし、その攻撃をすべて炎鬼は軽々と躱した。
「はぁ、はぁ、どうして、反撃、してこない」
夏樹は肩で息をしながら炎鬼を睨みつける。
「…その必要はない。
この壁に飲まれた時点でお前の負けは確定している。この中の温度は既に百八十度を超えている。生身の人間がここまで耐えていることは素直に感心するが、それも時間の問題だ。
それに、もう呼吸をするのも辛いだろ? 呼吸をする度に肺が焼けていくのが分かるだろ。だから、反撃するまでもなくお前は死ぬのだ」
「へっ、見かけに、よらず、卑怯な、奴だ。
…そんな、デカい図体、しているくせに、姑息な手を、使いやがって。お前みたいな、タイプは、力任せに、戦う、ようなやつだろ」
「ふん、それはあくまでも見た目の話だ。それにこれは遊びじゃない。生き死にを賭けた戦いだ。勝ち方に正しいも卑怯も無い。最後まで立っていた奴の勝ちだ」
「それも、そうだよな。
なら、こっちも、本気でいくよ」
夏樹はそう言うと杖代わりにしていた薙刀を握りなおし、刃先を炎鬼へと向ける。そして、目を閉じ、深く息を吸い込んだ。肺が焼けるのをお構いなしに、深く深く吸い込んだ。
ゆっくりと目を開け、炎鬼を見る。先程までのヘラヘラしているような顔つきとは変わり、獲物を狩る肉食獣のような顔つきになった。
夏樹の鋭い眼光に炎鬼は少し気圧され、半歩後ろに下がった。
(何故、この女はこの状況でも目が死んでいないのだ? まだこちらも本気ではないとはいえ、これほどの実力差のどこに勝機を見出しているんだ? 何がこの女をここまで突き動かす? 全く理解できない。
…しかし、俺の勝ちに変わりはない。いくら、悪あがきをしたとて、到底埋まることのない差。
…一応、警戒だけはしておくか)
炎鬼はそう考えながら薙刀を構えている夏樹を見た。…取り越し苦労か。と思い、ほんの小さく鼻で笑った。僅かに出来た炎鬼の隙。それを見逃さなかった夏樹は、その隙を突き炎鬼との距離を一瞬で詰めた。薙刀の柄で炎鬼の鳩尾を突いた。バランスを崩した炎鬼はその場に膝をつく。炎鬼は相手の出方を見るために夏樹の方を見た。すると、夏樹は何も握っていない右腕を素早く、手首のスナップを効かせるように炎鬼の方へと振った。突如、炎鬼の視界は奪われた。
「ぐああぁぁ…。い、一体、何をした…」
「何をって、塩を撒いたのさ。
お前は、汗かかないけど、こっちは汗だらだらかいてるの。それを、飛ばすと、お前に到着する頃には汗の結晶になってるわけ。
もう余裕ないから、ケリをつけさせてもらう!」
夏樹は炎鬼に近付き、渾身の力を込めて薙刀を振り下ろした。殺った。そう思った。しかし、殺ってはいなかった。薙刀の刃は炎鬼の首に到着する前に、炎鬼が人差し指と中指の二本で刃を挟み止めていた。
「殺った。と思っただろ? だから、そこが甘いんだ。鬼の首を落としてから初めて「殺った」と言えるだ。
目を潰す作戦は良かった。しかし、殺す時にはもっと殺気を抑えてしなければ実力差がある相手の首は取れない。
…目も回復してきた。私に膝をつかせたお前には敬意を持って最高の一撃で殺してやる」
炎鬼は薙刀を指で挟んだまま、反対の手で拳を作った。そうすると、今まで炎鬼と夏樹の周りを囲んでいた炎が一気に炎鬼の拳へと集まった。
「痛いのは一瞬だけだ。さらば、若人よ」
炎鬼はそう言って夏樹の顔目掛け拳を放ったが、それは寸前で止まった。何故かと言うと、炎鬼の拳に集まっていた炎はみるみるうちに小さくなり、やがて消えてしまった。
炎鬼はかなり焦ったような表情で遠くを睨み、「風鬼ぃ!!!」と大きな声で叫ぶと睨んだ方向へと消えていった。
その場に取り残された夏樹はその場に倒れ込み、大きな声を上げて涙を流した。