藪医者
か、楓は美冬利に起こされ目を覚ました。目を覚ますと同時に襲ってきたのは猛烈な右肩の痛みだった。
「い、痛い、すごく痛い」
楓は右肩を押さえ、昨日の出来事を必死に思い出していた。しかし、途中までしか記憶が無い。鬼との理不尽な一騎打ちになったところまでは覚えている。その鬼にボコボコにされたところも思い出した。だが、その後のことは全く思い出せない。気が付いたらベッドの上にいて、美冬利に起こされたというわけだ。
ボコボコにされたので体が思い出したのか、右肩だけではなく全身余すところなく痛い。
楓が痛そうにしていると隣から心配してい無さそうに声が聞こえてくる。
「おはようございます。痛そうにしていますが大丈夫ですか?
朝食出来ていますよ。早くしないと冷めちゃいます」
きっと、美冬利の中では楓の体の心配と朝食が冷める心配がイコールになっているのだろう。いや、表情から察するに朝食の方が心配そうだった。
「か、体が痛くて、う、動けない。特に右肩が…」
「そりゃそうですよ。私が四郎園さんに矢を射ち込んだのですから、痛くない方が凄いですよ」
美冬利の発言に楓は驚いた表情を見せた。どうやら、記憶がない間に物騒な出来事があったらしい。
まぁ、大体は想像がつく。きっと、鬼になって暴走していたところを止められたのだろう。
「美冬利さん、昨日は迷惑かけたみたいでごめんね…」
「いえ、気にしてませんよ。
とにかく、朝食を食べましょう。私はお腹がペコペコです。姉さんたちも待っているので急いだ方がいいですよ」
美冬利はそう言って手を差し伸べてきた。楓は左手でその手を取った。立ち上がると同時に時計に目をやると午前七時二十分を指していた。いつもなら学校に向かう準備をする時間であった。やはり昨日のことで遅くなったのだろう。
楓はそんなことを考えながら足を引きずるように食卓へと向かった。食卓では既にみんな席に着いていた。千春と夏樹は凄く眠たそうな顔をしていた。
「お、おはようございます。遅れてすみません」
楓は頭を下げて席に着いた。
「いや~、全然気にしてないよ。
体の調子はどう?」
秋穂はニコニコした顔で聞いてくる。楓は正直にその質問に答えた。
「全身が痛いです。特に右肩が。腕が上がらなくて、朝ごはんをどうやって食べようかなって思って」
「それなら、秋穂が食べさせてあげようか?」
秋穂は悪戯な笑みを浮かべながら言ってきた。いつもなら断るのだが、正直今の現状では食べさせてもらいたい。
楓は秋穂の申し出を受け入れることにした。
「本当ですか? できればお願いしたいのですが…」
秋穂は思っていたのと違った回答が帰って来たので少し驚いたが、楓に朝食を食べさせることにした。そうなると黙っていない人物がいる。言うまでもなく夏樹だ。
「ちょ、ちょっと、それは私の仕事だよ!」
夏樹が二人の間に割って入ろうとしたが間に合わず、楓の口には朝食が運ばれた。
それを見た夏樹はガックリと肩を落とした。秋穂と楓はそんなこと気にも留めず朝食を食べた。
すると、千春が話しかけてきた。
「楓、今日は私と病院に行くから学校休めよ。美冬利に言って学校には連絡を入れてもらっているから、その辺は気にすんな」
「病院ですか?」
「あぁ、病院だ。お前のその痛い肩と私の腕を治しにいく」
「え、千春さんの腕って骨折しているんですよね?
今日行って治るんですか?」
「あぁ、治るよ
藪医者だが、腕は確かだ」
藪医者なのに腕は確かという言葉に楓の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。
「とにかく行けば私の言いたいことが分かるよ。飯食ったらすぐ出発するぞ」
「は、はい。分かりました」
それから、朝食を食べ終えた一同は各々準備を始めた。夏樹、秋穂、美冬利は学校に行くための準備。千春と楓は病院に行くための準備をした。
楓は自分の部屋で準備を進めていた。着替えようとしたが肩が痛く服を脱ぐこともままならないので上着を一枚羽織った。そして、財布と保険証を持ってバッグに入れると部屋の扉をノックされた。返事をすると千春が中に入ってきた。
「準備は終わったか?」
「はい。今、丁度終わったところです」
「そうか、それなら出発するか」
千春に連れられて楓は部屋を出た。玄関に向かうと美冬利が今から学校へ向かおうとしていた。
「今日は遅いんだね」
「えぇ、昨日帰ったのが遅かったので、みんな寝坊しまして。
それより病院ですね。変な人ですが、いい人なので気にしないでくださいね」
美冬利はそう言い残すと学校に向かっていった。楓の頭の中はまたクエスチョンマークで頭が一杯になった。藪医者でも腕は確かで、変な人だけどいい人。最早理解不能である。
千春に連れられて病院に向かう道中でも頭から離れることはなく、気が付いたら病院に着いていた。
「おーい、病院に着いたぞ。
さっきからボーっとしているが大丈夫か?」
千春が顔を覗き込みながら言ってきた。楓はびっくりして思わず仰け反った。
「うわぁ! びっくりした!
すみません。一体どんな人なのかなぁって、ずっと考えていました」
「はははっ、まぁ、美冬利にあんな感じで言われたら気になるよな。とにかく悪い人じゃないよ。
早く行こうぜ」
千春はそう言って先に進んだ。楓も慌ててその後を追う。楓の視界に入ったのは地元でも有名な大きな病院だった。
千春は病院内に入ると受付には進まず横の通路に入った。
「え、受付しなくていいんですか?」
「大丈夫だ」
千春は一言そう言うと近くを歩いていた看護師に話しかけた。千春が何か言うと看護師はニコリと笑って「こちらへどうぞ」と部屋に入るように促した。扉には関係者以外立ち入り禁止と書かれているが、どうぞと言われたので入る以外に選択肢はなさそうだ。
楓と千春は中に入る。扉の先にあったのは、ごく普通の診察室であった。机にパソコン、骨の模型やベッドが置かれている何の変哲もない診察室。二人は目の前にあった椅子へ腰掛けた。
「今、先生をお呼びしますので少々お待ちくださいね」
看護師はそう言うと奥へ消えていった。
五分ぐらい待つと白衣を着た三十代後半ぐらいの清潔感溢れる男の人が現れた。見るからに医者だろう。
その白衣の男は開口一番千春に話しかけた。
「やぁ、千春ちゃん、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
「お久しぶりです。こちらは相変わらずですよ」
「ははっ、そうか。
…おや? 君は? 初めて見る顔だけど」
白衣の男は楓の方を見て爽やかな笑顔で問いかけてきた。
「あっ、えっと、四郎園 楓です。千春さんに連れられてきました」
「へぇ、楓君か。
あぁ、申し遅れたね。私は四季 秋寺だ。秋に寺って書いて秋寺って読むよ。よろしくね、楓君」
秋寺はそう言って握手を求めてきた。楓は握手に応じながら秋寺に質問をした。
「あ、あのー、秋寺さんって千春さんと苗字が同じですけど何か関係があるですか?」
楓の質問に秋寺ではなく千春が答えた。
「秋寺さんは私のお父さんの弟さんだ。私たち姉妹から見れば叔父さんってわけさ」
千春にそう言われた秋寺はニコリと笑った。
「そういうこと。
ところで楓君は千春ちゃんとどういう関係? もしかして彼氏とか?」
彼氏と言う発言に千春は思いっきり噴き出した。
「ち、違いますよ! こいつは鬼人で今、うちで生活しているだけです!」
「へー、鬼人とはこれまた珍しいね。
どうして君は鬼になったんだい?」
秋寺は身を乗り出して聞いてきた。楓は少し恥ずかしかったが、今までの出来事を秋寺に話した。
「ぷっ、あははははっ、こりゃあ、また面白い。美冬利ちゃんにストーカーしたことが原因で鬼になったのか。
もし、楓君が力をコントロールできるようになって世界を救い、これからずっと歴史で語られるようになることがあったら僕は絶対にストーカーの話を伝承し続けるよ」
秋寺は腹を抱えて笑っている。楓は話している時よりも三倍恥ずかしくなった。
「はー、まだ面白いよ。
いやー、ごめんごめん。笑い過ぎてしまったね。話を本題に移そうか。今日はどういったご用件で?」
「見ての通り、怪我を治してほしい。私は腕を、こいつは肩を中心に全身かな」
「お安い御用だよ。
とりあえず、レントゲンを取ったりするから外の待合室で待っていてよ。順番で呼ばれるからさ」
秋寺がそう言うと看護師は千春たちが入ってきた扉を開けた。二人が外に出ると看護師はレントゲン室の場所まで案内してくれた。二人は自分達の順番が来るまで席に着いて待つことにした。
順番を待っている間、暇を持て余した楓は千春に話しかけた。
「そう言えば、秋寺さんは本当に藪医者なんですか? 今さっき話した感じだととてもそうは思えなくて」
「まぁ、そう焦んな。レントゲンを撮った後に分かるよ」
千春が曖昧な返事を返すと千春の番がやってきた。レントゲン技師に呼ばれた千春は返事をして撮影室へと入っていった。
五分ぐらいすると千春は出てきた。そして、楓の番になった。楓も普通にレントゲンを撮ると、また診察室に行くように案内された。
診察室まではレントゲン室まで案内してくれた看護師が連れて行ってくれた。診察室の場所は複雑な場所にあるわけではないが、なんせ扉には関係者以外立入禁止と書かれているので毎回看護師の案内が必要なんだと千春が説明してくれた。
そんな人目につくところに設置するのもどうかと楓が思っていると診察室に着いた。
中では秋寺が先程撮影したレントゲンとにらめっこをしていた。しかし、こちらに気付くと笑顔に戻り、椅子に座るように促した。二人はその言葉に従って椅子に腰掛けた。
二人が座ったことを確認すると秋寺が話を始めた。
「えーっと、こっちが千春ちゃんのレントゲンねー
ここを診てもらうと分かると思うんだけど、骨がポッキリ折れちゃってるね」
「えぇ、他の病院に行ったときに骨が折れているのは確認しましたから。
ちなみにどこの骨が折れているんですか?」
千春がニヤリと笑ったのが横目で見えた。さっきの彼氏の件のお返しと言わんばかりの不敵な笑みであった。
「…え、っとー、大腿骨だったかなー」
「大腿骨は太ももにある骨ですよ」
千春は間髪を入れずに秋寺の間違いを訂正した。秋寺の額には汗が噴き出していた。近くにいた看護師は頭を抱えている。
「あ、そ、そうだったね。大腿骨は太ももの骨だ。さ、さすが千春ちゃんは物知りだ。
えっとー、膝蓋骨? だったかな?」
「あのー、秋寺おじさん。膝蓋骨の漢字を知っていますか? 膝っていう漢字が入るんですよ。
さっきから腕の場所からだいぶ遠ざかっていますよ」
「あ、あははは。冗談だよ。冗談。
あっ、思い出した! 腓骨だ!」
「いえ、腓骨は脛の横にある骨です。さっきから足の骨しか言っていませんよ? 私が骨折したのは腕ですが」
秋寺の顔からだいぶ余裕がなくなってきている。千春が言っていた藪医者とはこのことなのだろう。こっちが不安になる程の知識の少なさであった。
秋寺は机の上あった人体に関する本に手を伸ばそうとしていたが千春が鋭い眼光を感じて寸前で手が止まった。
「秋寺おじさん? 一体どうしたのですか? もしかしてお忘れですか?」
千春は秋寺にニコリと笑って問いかけた。横で千春の顔を見ていた楓はその顔を見ながら美冬利の顔を思い出していた。美冬利もこの時の千春と同じような顔をして、楓に意地悪をするのだ。あぁ、あんなにもタイプが違う姉妹もやっぱりどこか似ているところがあるんだなと楓は思った。
追い詰められた秋寺は負けを認めたように千春に話しかけた。
「ま、まぁ、とにかくここの骨が折れている。あんまり叔父さんを動揺させると治療に影響が出て治りが遅くなるよ」
「それは困ります。揶揄うのも程々にしなくてはいけませんね」
「あははは、それは助かるよ。
次に楓君だけど肩の骨にヒビが入っているよ。ここを見てもらえば分かると思うんだけど」
秋寺はそう言ってレントゲン写真を見るように促した。楓はその写真に目をやると、確かにヒビが入っているようだった。
「美冬利ちゃんの矢を受けたんでしょ? ヒビで済むなんて運が良かったのか楓君が強かったのかのどっちかだね」
楓は驚いた顔をした。怪我をしたことは伝えたがどうやって怪我をしたのかは伝えてはいない。そんな楓を見透かしたように秋寺は話を続けた。
「そんな驚いた顔をしなくてもいいよ。大体のことは分かる。…人体についてはちょっと不安だけど…
千春ちゃんの腕は楓君にやられたんだっけ?」
「はい。暴走したこいつにやられました。ガードしてこれですから、ノーガードだったらと思うと今でもゾッとしますよ」
「へぇ、それだけ力が強いならコントロールできるようになれば『四鬼』にも引けを取らないんじゃないかな?」
「『四鬼』とは一体?」
楓は聞きなれない単語を聞きなおした。
「あれ? 聞いていないの?
まず、鬼が成長すると出世魚みたいに名前が変わるのは知っているよね?」
「それは聞きました。でもどんな名前があるのかは知りません」
「はははっ、じゃあまずはそこからか。
大体、五段階くらいに分かれているんだけど、まず寄生期、これは人間の心の中にいる状態だね。この時点では何の害もない。次が自我期といってそれが悪いことだと分かっているけどやってしまった状態だね。ここもこれ以上悪さをしなければ何の問題もない。
そして、餓期。ここからが鬼として要注意状態となる。ここはさっきの自我と違い、もう悪いことを悪いことだと思っていない。それが鬼を急激に成長させる。
次は半鬼。半分の鬼と書いて半鬼だね。つまり人間から出てまだ人間を食べていない鬼だ。半人前だから当然力も弱い。けど、普通の人なら一瞬で潰される程度の力はあるよ。
そして、本題の鬼。これは人間を食べた後の状態だね。楓君も知っている通りだ。
けど、物事には必ずと言ってもいいほど例外ってものが存在する。例えば楓君の鬼人がそうだ。
極々稀に生まれた時から有り得ない程の力を持った鬼。もしくは鬼になってから人間を大量に食って力を付けた鬼のことを『上位鬼』と呼んでいる。
その上位鬼は今世界に、いや日本に四体いるんだ。それが『四鬼』
名前は『風鬼』、『炎鬼』、『雷鬼』、そして『氷鬼』だ。
因みに、楓君。鬼がどうして強いか知っているかい?」
急に質問された楓は消え入りそうな声で秋寺の質問に答える。
「…えっと、力が強いから?」
「そう、その通りだ。力が強い。ただそれだけなのだが、ただの人間を屈服させるには充分すぎる理由だ。いくら人類が強力な武器をもっていたところで人類はただの鬼を殺す事さえ叶わない。
その鬼が五十体いても、いや、百体が束になっても敵わないのが上位鬼だ」
楓はまだ見ぬ強敵の存在に生唾を飲み込んだ。
「その鬼達は今どこにいるんですか?」
「さぁ? どこにいるのか全く見当がつかないよ。もしかしたら普通の人に混ざって普通の人と何ら変わらない生活を送っているのかもしれない。ここにいる看護師のお姉さんも、もしかしたら化けた鬼かもしれないよ? まぁ、それはないけどね」
「まぁ、遅かれ早かれ四鬼は私たちの手で退治してやるよ。
その為に特訓を重ねてきたわけだし」
千春は少しだけ怒気のこもった声でそう言った。そんな千春を見て秋寺はニコリと笑って千春に話しかけた。
「あまり無理はしないで欲しいけどね。死んでしまったら本末転倒だ。
…よし、治療は終わりだよ。二人とも怪我は全部治っているはずだ」
秋寺の発言に楓は驚いた顔をした。治療も何も秋寺は椅子に座って喋っていただけで、それ以外は何もしていない。
楓は千春の方に目をやると千春は腕に巻いていた包帯を外して腕の具合を確かめている。そんな千春を見て楓は恐る恐る自分の右肩を触ってみた。
「あ、あれ? 痛くない」
肩だけではなく、朝起きた時あれだけ痛かった全身も今は全く痛みを感じない。
「でしょ? これが僕の使っている武鬼だよ。まぁ、武鬼と言っても戦える力は一切無いんだけどね。
とにかく、これで君たちの体は元通りだ。それとサービスで骨の強度を少しだけ増しているよ。だけど、いくら増したからといっても猛スピードの車に轢かれたりすれば折れるから気を付けてね」
「あ、あのちなみに、秋寺さんの武鬼ってどんな形をしているのですか?」
「ん? あぁ、僕の鬼はこれだよ」
秋寺はそう言って手の平を見せてくれた。楓は秋寺の手の平を見たが何も乗っているようには見えない。今度は顔を近付けて覗き込むと、凄く小さな物体が蠢いているのが見えた。
「これは…?」
「僕の鬼。
千春ちゃんたちと違って、僕の鬼は僕の意思通りに動く鬼なんだ。この鬼には治癒能力がある。僕はこれを最大七体同時に出せるんだよ。そして出したこの鬼を怪我した人や病気の人の体内に忍ばせれば後は鬼が勝手に治してくれるというわけってことさ。
まぁ、僕がその人の怪我をしている場所や病気の根源となっている場所を知っていないと意味が無いんだけどね」
「それはいいですけど、骨の名前ぐらい少しは覚えたらどうですか?
いくら、面談をしたら病気を治してくれる医者だとは言え、骨折している骨の名前も分からないし、大きな病気を患っている患者に「風邪です」って言えば藪医者認定されるに決まっているじゃないですか。医師免許取れたのも不思議ですし、よくクビにならないですよね」
千春にそう言われると秋寺は大きな声で笑った。
「確かに千春ちゃんの言う通りだ。
でも、あまり有名になり過ぎるのも良くないからね。
僕の役割はあくまでも、鬼と戦って怪我をした者を治すことが優先だ。有名になり過ぎるとそっちまで手が回らなくなるからね。そうなると僕も千春ちゃんたちも困る。
お互い様というわけだよ」
秋寺がそう言うと看護師が秋寺に話しかけてきた。
「先生、次の患者様がいらしています」
「どっちの方?」
「鬼関係です」
「そうか、分かった。
という訳で、次の患者さんが来た。また遊びにおいで」
「えぇ、そうします。今日はありがとうございました」
千春はそう言って頭を下げて部屋を出た。楓もそれに続いて頭を下げて部屋を後にした。