空腹とギルドと初めての仕事
快晴。暑い日差しが西洋風の街並みを照らし、道行く人々の表情は明るい。
それでも一歩路地に入れば日は陰り、雑踏から聞こえてくる声も別の世界に思えてくる。
そんな中、一人の学生服を着た青年が座禅を組んで地べたに座り込んでいた。
「これは夢、これは夢、もうすぐ妹が俺を叩き起こしに来て俺は、あと五分だけっと言ってまた寝るんだ」
ブツブツと呟く景春の周りには誰もいないが、どこからか女性の声が続く。
(そこは起きるところじゃないのかしら……?)
「黙れ邪神!! いつか絶対成仏させてやるからな!」
(あら~、成仏させてくれるなら嬉しいわね~)
何も聞こえなかったことにし、ひたすら瞑想を続ける景春だったが、ぐぅ...と腹から食事を要求する意志が伝えられる。
「そういえば朝飯食い損ねた...」
ごそごそとポケットをあらためても飴玉ひとつ入っていない。
このまま何も食べられずやせ細っていく姿を想像し、景春はゆっくりと立ち上がった。
「まずは金を稼がないとダメだ」
(ようやくやる気になったのね! それじゃさっそく街の外に出て魔物を倒しましょう!!)
「却下」
(な、なんで!?)
「何を期待してるのかわからないけど、俺は普通の学生で、戦闘技術なんかこれっぽっちもない。それで魔物がいるような外に出てくって、どう考えても死ぬ未来しか見えないじゃん」
(さ、最近の子は現実的なのね...一応、女神の加護とかあるわよ? それにこの町の周辺ならそこまで危険なモンスターも...って聞きなさいよ!)
女神の声を無視して路地から出た景春は、露天を開いていた男に声をかけた。
「あの、すいません。仕事を探してるんですが、そういった施設とかありますかね?」
商人は景春の姿を一通り見ると難しげな顔をする。
「あんた異国の人かい? 仕事なら斡旋所が、ほれ。あの看板だ。ただ、あんちゃん何かできるのかい?」
言葉が通じたことに一安心しつつ、景春は頭を下げる。
「ありがとうございます! とりあえず行ってみます」
言うやいなや斡旋所に向かって立ち去る景春に商人は心配そうな顔をしたが追いかけることはなかった。
✻
「ありません」
きっぱりと否定の言葉を告げた女性は、かけていた眼鏡をくいっっと上げた。
「出身地も聞いたことのない地名で、どこの人間かもわからないような風貌。その年で何も前職がないというのも不可解ですし、紹介できるような仕事はうちにはありませんね」
「そこを何とかお願いします!力仕事でも何でもやりますから見捨てないでください!!」
机に叩きつける勢いで頭を下げるが、女性はため息をついて再び眼鏡を抑える。
「そんな鍛えてもない体で力仕事は無理がありますよ。どこのお坊ちゃんかわかりませんが、仕事は遊びじゃありません。他にスキルなどがなければ、これ以上は無駄です。お引き取り下さい」
頭を下げていた景春だったが、ゆっくりと頭を上げ真剣な表情で女性を見つめる。
「あまり言いたくはなかったんですが、実は俺、除霊ができます」
「じょ、除霊...? とても聖職者には見えませんが異国のシャーマンか何かでしょうか」
少し女性の声が食いついてきていると思った景春は、矢継ぎ早に続ける。
「そうなんです! 異国ではちょっと名の知れたシャーマンの息子で、今は修行の旅の途中なんです。どんな悪霊もなんのその! さすがに邪神は祓えませんが、大抵の幽霊だったら一晩で片付けて見せます!」
(ぷぷっ...なかなか言うじゃない貴方...)
「い、今の声は!?」
冷徹に見えた女性だったが、突然どことも知れず聞こえた声に焦って辺りを見渡す。
「お気になさらず、俺の使役する霊魂です。もちろん害はありませんよ。あー、でも仕事を紹介してもらえないとお姉さんに憑りつかちゃうかもしれないなー」
慌てる女性に脅迫まがいの追い打ちをかけると、女性の顔が見る見る青くなった。
「ご......」
口をパクパクさせて震える女性が、急に立ち上がる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 私幽霊だけはダメなんです! 除霊ができるなら冒険者ギルドに依頼があったはずなのでそっちに行ってくださあああああああああああい」
叫び声をあげながら女性は奥の扉に逃げ込んでしまった。
(貴方、なかなか意地悪なのね~)
「あのクソ親父の息子だ。察しろ」
こうして景春は通りかかる人に道を尋ねながら冒険者ギルドへ向かうのだった。
✻
正午前、酒場も兼ねているギルドだが、仕事に向かった冒険者達の姿は既になく、まばらにテーブルについている人数は片手で数えられる程度だ。そんな中、腰に曲刀を下げた一人の男がエールをあおっていた。
「おーい、嬢ちゃん! エールをもう一杯くれ」
店内を掃除していたうさ耳の少女が声を聞いて男のテーブルに近づく。
「ブロードさん、今日何杯目です? あと私の名前はサニーです! 嬢ちゃんじゃありません!」
「はいはい、サニーちゃん。おじさんに五杯目のエールを出してくれ」
全くやる気を感じない男の態度にサニーは頬を膨らませる。
「ブロードさん何かいいことあったんです? いつもだったら一杯のエールですらケチケチしてるクセに」
「ふん、まぁ教えてやろう。実は最近いい刀が手に入ってな。こいつで一山当てたみたいなところさ」
「へー、じゃエール持ってくるです」
サニーはお返しとばかりに適当な相槌で踵を返す。
「ふざけやがって...近いうちにてめぇも買い落とすから今に見てろよ!」
「私がいくらか知ってるんですか? 少なくともブロードさんに買われるほど安い女じゃないですぅ」
振り返ったサニーは、あっかんべーとブロードを煽るとエールを取りに離れる。
「チッ...まぁいい。あと数日もしたら俺は大金を手に入れるんだ」
ブロードは小声で呟くと、ニヤニヤと腰に下げた曲刀をなでた。
「ブロードさん、本当にどうかしちゃったんです? 今すごっく気持ち悪い顔してたです」
いつの間にかエールを持ってきたサニーがテーブルに酒を置いた。
ハッとしたブロードは一気に酒を煽ってグラスを机に叩きつける。
「後悔してもしらねっ...」
「ごめんくださーい!!」
勢いよくギルドに入ってきた声を聞いて、サニーはそそくさと立ち去る。
不機嫌になったブロードは怒りの矛先をその声の主に向ける。黒髪の若い男だ。この国では見たことのないレギンスに白いシャツ。装備は何も見当たらない。どう見ても冒険者に似つかわしくない男の姿に眉をひそめる。
ブロードはじろりとその男を睨みながら耳をそばだてた。
「実はここに幽霊退治の依頼があるって聞いたんですが...」
「あー、幽霊屋敷の依頼ですね! ちなみにうちのギルドは初めてですよね? 先に冒険者登録が必要なのでちょっと待っててくださいです!」
椅子を勧められて座った男にブロードはゆっくりと近づく。
「おい坊主。ここはガキの遊び場じゃねえからさっさと帰れ」
ドスを効かせた声で圧力をかけるブロードに、男は少し戸惑いながら返事をする。
「えっと...俺もこれからの生活がかかってるので、遊びのつもりはないですよ?」
「てめぇナニモンだ? ガキが幽霊退治できるとでも?」
「できます」
「は?」
大真面目な答えに唖然とするが、幽霊退治はそう簡単なものではない。元聖職者かそれに準ずる装備がない普通の冒険者には難しい。ゆえに幽霊屋敷の件は依頼が出されてもなかなか手をつける冒険者はおらず、徐々に報酬額が吊り上げられていた。
「ああ、ブロードさん! なに新人冒険者さんをいじめてるんですか!!」
「いじめてなんかないさ。この若造に幽霊退治は難しいって教えようと思ってな」
じぃっと訝しげにブロードを見つめるサニーだったが意識を切り替えて男に声をかける。
「とにかく登録しちゃいましょう! まずお名前は?」
「景春です」
「カゲハルさんですね!」
テキパキと受け答えをして無事に冒険者登録された景春に、本題の話が始まる。
「では、幽霊屋敷の依頼の件ですが、この町にはある富豪の家があってですね。魔術師のお父さんと娘さんの二人が住んでいたんですが、ある日お父さんの方が外出中にモンスターの襲撃で亡くなられまして、まぁここまではよくある話なんですが、その後、家に残っていた娘さんの方も何者かに斬殺されたようなんです。ちなみにこれに関しては依頼とは別に犯人捜索中ですよ。で、残された家なんですが」
サニーはゴクリと喉を鳴らすと一呼吸置いて続ける。
「...出るらしいんですよ。娘さんの幽霊が。親戚の方が家を引き取ったんですが、”パパ...どこ...? 痛いよ...助けて...”って夜な夜な少女の声が響き渡って、最後には物が勝手に飛び回るらしいです.......どうです!? 雰囲気出てました!?」
真剣な表情から一転、怪談話を終えたサニーは嬉しそうに飛び跳ねる。
サニーの様子にだいぶ話を盛られたと思ったのか景春はため息をつくとあっけらかんと答える。
「じゃあさっそく除霊に行きたいのでその幽霊屋敷の場所を教えてください」
「ちょっと待て」
景春たちの近くのテーブルに居座っていたブロードが話に割って入る。
「その依頼は俺が受ける。こんな怪しげな小僧には任せておけねぇ」
ブロードの態度が急変したことに、サニーは目をぱちくりさせながら首を傾げた。
「ブロードさん、やっぱり頭を打ったんですよね? 無理な依頼受注は認められませんよ」
「無理じゃねぇ! あまり言いたかなかったんだが、俺のこの刀。霊体を斬れるっつう優れもんでな。こいつがあれば幽霊退治なんか朝飯前よ」
初対面の相手より知り合いの冒険者を選ぶはずだとブロードは確信していたが、サニーは意外にもこれを拒否する。
「ダメです。まず依頼の受注は景春さんが最初でした。ブロードさんはこの依頼を知っていながら朝からエールで飲んだくれてただけです。そんな人に任せるわけにはいきませんし、しかも新人から仕事を奪うなんて先輩冒険者として恥ずかしくないんですか?」
「くっ...」
ブロードは自分の手が得物に伸びるのを咄嗟に我慢して、一呼吸つく。
「わぁーったよ。じゃあその坊主が失敗したら次は俺が受ける。いいな?」
「構いませんよ。”失敗したら”ですが」
フンッと景春に一瞥をくれると、ブロードはギルドを立ち去るのだった。




