住職と女神と不幸な若者
古来より世界各地で霊的存在は信じられてきた。
怨みつらみが残り、未練から現世の人や物に悪影響を与える。
あるいは生前の善行により聖人として祀られ、神として崇められる者もいる。
しかし果たして、死後も人に影響を与えるのであればどちらも同じではないだろうか。
これは、ある住職の息子が異世界の女神に連れ去られ...げふんげふん。女神の導きにより異世界へと旅立つ物語である。
「ふぅむ、それは困りましたな」
一人の住職が虚空を見つめながら言葉を発する。本尊が置かれた仏殿には彼以外誰もいない。
それでも彼は誰かと会話でもしているかのように話続ける。
「しかし私にはこの寺の住職という仕事があり、そう簡単に安請け合いはできぬのです」
顎に手をあて、しばし考え込む男。そんな彼のいる仏殿にドタバタと騒々しい足音が廊下から響いてきた。
「おーい、親父ー。朝飯できたってよー...ってどうかしたのか?」
仏殿へ姿を現した学生服の青年は、普段とは違う父の姿と、仏殿に漂う何かの気配を感じたのか辺りを見渡す。
「おお! 景春ちょうどいい所に来た!!」
「な、なんだよ親父。気色悪い笑顔しやがって...」
「実はな、今ここにとある世界のとある女神さまがいらっしゃってるんだが」
「親父、前から心配はしてたけど、ついに頭がおかしくなっちまったのか! かーちゃーん! 親父が...」
踵を返して戻ろうとする景春だったが、シャツの首元を掴まれ、ぐえっと声を詰まらせる。
「ええい! 話は最後まで聞け!!」
「嫌だ、なんか凄く嫌な予感がするから聞きたくない」
「ある世界が存亡の危機に陥っているそうでな」
「聞きたくないいいいいぃ」
「そこで世界を救ってくれる勇者を探しているそうなのだ」
「断れ」
取り付く島もない息子の言葉に、住職はかなり残念そうな顔になったが、話を続ける。
「困ったことに断ればここら一帯に呪いを撒き散らすと仰せなのだ」
「それもう邪神じゃねーか!! どこにそんな女神いるんだよ!?」
(ここにいるわよ?)
景春の背中に何かが覆いかぶさる気配を感じ、全身に鳥肌が立つ。
得体の知れない存在に冷や汗が溢れ出るが、身動きがままならない。
「景春よ、あまり罰当たりなことを言うもんじゃないぞ。聞くところによるとまだ誕生したばかりの女神だそうだが、その力は私のような神職者でも抗えないレベルの相手だ。だが安心しろ、お前がいなくなっても妹の千夏が婿でも貰ってくれれば我が家は安泰だ。お前は男だ。異世界でも何でも行って、当たって砕けてこい」
「砕けちゃダメだろ!? っていうか親父、俺を見捨てる気まんまんじゃねーか!」
「景春、人身御供って...分かるよな?」
「ひでぇ! 親の言うことじゃねえ!!」
「ええい! つべこべ言わずさっさと行ってしまえ! さ、女神さま、不肖の息子ですが、こいつを連れていってやってください」
(い、いいのかしら...?)
「だ、ダメです! むしろこのクソ親父でお願いします!! 俺なんかより絶対役に立ちますって!」
「残念だったな、景春。女神さまは将来有望な若者をお望みらしい。あー、残念だなー。私があと二十年若ければなー」
「心にもねぇこと言ってんじゃねぇ!!」
(ごめんなさいね、景春くん。でも貴方なら世界を救ってくれると信じているわ)
再び何かに包まれたような感触を受けると、景春の身体は徐々に薄くなっていく。
「俺、消えるのか...?」
自分の手のひらを見つめ、わなわなと震える景春に、住職の男が小さな巾着を差し出す。
「冥土の土産だ。持っていきなさい。きっとお前を守ってくれるだろう」
薄くなる景春の手に住職が置こうとした巾着は、手に収まることなくポトリと床に落ち、そのまま景春は消えていった。
「あー...ちと遅かったか」
ポリポリと頭をかく住職であった。




