9 真っ黒な彼
騒がしくも楽しいパーティも終わり、参加者達が帰りの馬車に乗っていく。
(この光景はいつも寂しくなる。楽しい時間はあっという間ね)
外を人がほとんどいなくなった家の廊下から見下ろす。ルークとサイラスは、先程参加していた貴族の誰かに呼び止められて席を外していた。兄は忙しい人だから、もう自室だろう。所謂、ひとりぼっちである。
(そろそろルークも戻るかしら)
会場に戻ろうと踵を返した時だった。突然後ろから伸びてきた手が、私の口を塞ぐ。
「っ!?むぐっ!ぅんんん〜っ!!!!」
「おっと、静かにしてくれよ。あんたは王子をおびき寄せるための道具だから殺しちゃまずい」
私の口を塞いだ男に面識はなかった。男はニヤニヤと笑っている。びっくりなんてモンじゃない。バクバクと激しく動く心臓が物語っている。
「あんたに恨みはないが・・・仕方ないな、なんせ婚約者なんだから」
私が力で大の男に敵う訳もなく、呆気なく連れ去られてしまった。
「あらら、めんどくさいことになったなぁ〜」
気配を消していた赤い瞳が、一部始終を見てギラりと輝かせる。
「ルークにお知らせしなきゃいけないね〜。・・・それまでもってくれると助かるよ、リリアちゃん」
*
ドサリと雑に降ろされて、痛みに目を覚ます。どうやら気絶させられていたらしい。
(ここは・・・?)
見たことない場所だ。埃っぽいことから空き家かなにかだろうか?
(ああもう、ゲームならありがちな展開だけど、私の身にこんなのなかったはずなのに・・・!!)
ゲームにはこんなことあったなんて一切語られていない。幼少期の話だからなのか、それともそんなことは無かったのか。
(どちらにせよ、不味いことになったわ・・・)
あの男は私を人質にしてルークをおびき寄せようとしていた。王子一人でこの状況をどうにかできる気もしないし、話が大きくなってしまうだろう。一応、誰かしら来てくれるとは思うのだが・・・。思案していると、ガチャリとドアが開いた。そこには先程の男がいた。
「悪いな、恨みはねぇが仕事なんだよこっちは」
グイ、と髪を引っ張られ、痛みに顔が歪む。
「っ!」
「依頼では婚約破棄したくなるようなザマにしろって事だったな。まあ殺しはしないから、大人しくしてろよ」
「!?」
いやいや、殺しはしないってあんたね!! 私は痛いのも我慢するのも御免だ。幸い子供と侮られたおかげか手足は自由だった。私は男の隙をついてダッシュで空き家と思しきこの建物の階段を上る。後ろから舌打ちが聞こえる。
(こんな所で捕まるもんですか・・・!)
子供の小ささを利用して、必死に逃げ回った。けれど、大人に敵うわけはなくあっさり追い詰められてしまった。
「元気のいいガキだな。縛っておくべきだったか」
「・・・っ」
男はナイフを片手にゆらりと近づく。絶体絶命という言葉がよぎる。私はギリ、と食いしばった。早く、誰か──!
パリン!と何かが割れる大きな音が響いたのは、そう願ったのと同時だった。私も男も、そちらを向く。音を出した正体は、カツンと優雅な音を立ててこちらに来た。その正体に私は目を見開く。
「ルーク・・・・・・」
「僕の婚約者が随分とお世話になったみたいじゃないか」
こちらがゾッとする程冷たい声が、男にかけられる。
「っ、お前・・・どうやってここに来たんだ。ここの外にはあんなに見張りもいたのによお」
男は一瞬怯んだものの、ニヤリと笑って問いかける。
「決まっているだろう」
ルークは冷たい瞳でそう言うと、ピュッと何かを振った。それはビチャ、と近くの床に付着する。
「っ、あ・・・」
──これは“血”だ。よく彼を見てみれば、綺麗な顔や服に返り血を浴びている。そしてその手には、血が滴るナイフ。
「はは、なるほどな」
「容赦はしないよ。生き残らせるとろくな事がないからね」
ス、とルークか構えた時だった。
「あ〜っと、手が滑った〜。ルーク避けて〜」
ヒュンと音を立てて、緊張感のない声とともに何かが飛んできた。ルークは分かっていたかのようにサッとそれを避けて、飛んできたものは男にずっぷりと刺さった。男は呻いて、その場に倒れ込む。
「毒塗りしたナイフだから身体の自由効かないでしょ。・・・じっくり毒が蝕む感覚を味わうといいよ」
「サイラス・・・」
私は呆然と呟く。
「ルーク、雇い主吐いたよ。まあ予想通りだね」
「だろうね」
「先に向こう片しとくね〜」
「ああ、頼んだ」
ルークは心底興味が無いとばかりのトーンで答える。そして座り込む私を見て手を伸ばそうとして──その手が止まる。
「・・・・・・大丈夫?怪我は?」
「っあ・・・えっと、ない、わ」
どもりつつも答えると、ルークはほっとしたように表情を緩ませた。
「君に今日プレゼントしたそのネックレスを付けたままにしてくれて助かったよ」
え、と私は胸元のネックレスを触る。
「それには万が一に備えて位置情報を教えてくれる機能がついてるから。──こういう時のための、ね」
ただ綺麗なネックレスという訳ではなかったのか。私は呆気に取られる。そんな表情を見たルークは自嘲気味に笑った。
「・・・誰か呼んでくるよ。君はここで待っていて────」
「ま、待って!」
私は立ち去ろうとする彼を思わず呼び止めて手を取った。だって、そんな顔されてそのまま行かせるなんてできるわけが無い。その行動に怯んだのか、ルークがピクリと肩を揺らした。そして振り向いた彼の表情を見て、私は驚いた。
まるで彼が切りつけられたみたいに、痛々しい表情をしていたのだ。──なんで、そんな顔をしているの。
「・・・ダメだよリリア。手を離して。血で汚れてしまう」
「い、いや」
私はふるふると頭を振る。なぜだか分からないけれど、きっとこのまま彼を立ち去らせたら、分厚くて冷たい壁が私達に出来てきまうと思った。それが酷く嫌だった。ルークという、利用されているだけの脆い関係の上のその存在が失われることが、何故だか怖かった。
「だめ、離せないわ。この手を離したら、あなたが消えてしまいそうなんだもの」
ぎゅ、と更に強く手を握りしめる。
「そ、そりゃあ、びっくりしたし、恐怖もあるけれど・・・。・・・でもこれが、“ルーク”なのね」
その言葉に彼はハッと私の顔を見る。私は気にせず言葉を紡いだ。
「優しくて上っ面のいい王子様も、ナイフ片手に返り血ベタベタの姿も・・・どちらも合わせて“ルーク・アルヴァン”なのね」
震える手で何を言っても、説得力は無いかもしれない。それでもやめなかった。
「・・・リリア、君は・・・、軽蔑しないの」
揺れるルークの瞳。こんなに弱った彼を見たのは初めてだった。
「するわけないわ。それがあなたの生き方なら、私はそれを否定しない」
きっとルークは、“こうせざるを得ない”環境で生きている。この瞬間だけで、私はまざまざと感じた。それを否定出来るわけがなかった。
「だからルーク、そんな顔しないで」
私の手も、ルークの手から着いた返り血で汚れていたけれど、そのままその手で彼の頬を撫でた。
「一緒に帰りましょう、ルーク」
「・・・・・・本当に、君は・・・馬鹿だな・・・」
「なっ馬鹿って!」
「馬鹿だよ、大馬鹿だ。こんな真っ黒な“俺”を見ても、そんなにまっすぐで綺麗な瞳で俺を見るくらい・・・」
そう言って、ルークは私を抱きしめた。トクトクと心臓の音が聞こえて、ああ、生きてるんだと思った。
私は今まで、前提として彼らを“ゲームの中のキャラクター”として見ていた。だけど、彼らは生きている。名前や顔は同じだし、全くの別物という訳でもないけれど。でも“個”としての存在なのだと、やっと気づいた。
抱き締められたせいでお互い返り血で汚れたけれど、気にならなかった。
詳しいことはきっと近いうちに教えてくれるだろうし。
今はとりあえず、このままで。