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戦国時代

撤退 島津豊久

作者: Lance

「西軍が負けるか」

 小高い丘から合戦場を見渡し、島津家大将、島津義弘は言った。

 兵に部将が沈黙する。

 戦場の慌ただしい音、声が、届いて来る。

 島津義弘は一同を振り返った。

「我々は結局なにもできなかったが、この上は、武人らしく、華々しく散って、島津の名を世に広めてくれようぞ!」

「おうっ!」

 薩摩武士達は将から兵まで声を唱和させて応じた。

 これでこそ薩摩隼人。薩摩武士よ。

 伯父の島津義弘は、馬上で槍を旋回させる。

 これで良いとは思わない。負けは確定した。色々な要素があったが、負けたのだ。そんな敗軍の中、ただ一人冷静に戦場を、あるいは伯父義弘を見ていた豊久は声を上げた。

「御大将、いや伯父上、あなたは鬼島津の名を冠する猛将にして勇者。これから何が起こるかは分かりませんが伯父上が生き残ることこそ、大事。あなたはこれから移り行く島津家に必要な人材です」

 豊久は伯父の目を見つめながら言った。豊久は言葉を続ける。

「死に急いではなりません」

「そうは言うが豊久、だが、我々にはもう進むべき道は残されておらぬぞ」

「伯父上に皆が玉砕を覚悟するのならそれに相応しい道が一つだけあります」

「その道とは?」

「敵中を突破し、国へと帰るのです」

 兵に部将にざわめきが走った。

 義弘は豊久の目を見つめていたが、頷いた。

「豊久、よく言った。史上稀に見ぬ、島津の大撤退を見せ付け、全国にその名を知らしめてやろうぞ!」

 鬼島津と言われた伯父は馬上で応じた。

 悲壮感漂う一同がその声だけで勇気を取り戻した。さすがは鬼島津。島津義弘だ。

 豊久は兜をかぶり言った。

「ならば一刻も早く決行なさいませ。いざ、参りましょうぞ!」

 豊久と義弘は馬を並べて駆け出した。将兵も馬、あるいは徒歩でも意地でもついて来てやろうと爛爛と輝く双眸が訴えてきている。

 二人は出発した。



 二



「退け退け、鬼島津が参るぞ!」

 先頭を駆ける大将義弘が大音声を上げる。

 意気盛んな東軍の兵の間を突き進む。

「鬼島津が通るぞ!」

 義弘も豊久も馬上から叱咤激励し、兵達も意気を上げて刀槍を振るう。

 東軍の兵達は勝利が目前だったためか突然の出来事に仰天し、武器を振るう暇もなく斬り捨てられてゆく。

「島津だ! 島津を逃がすな! 戦功を上げろ!」

 背後から声が轟く。

「伯父上、後は頼み申した!」

 馬を反転させる豊久の姿に義弘は驚いた様子で声を掛ける。

「私に構わず行かれて下さい! 殿軍の将はこの島津豊久が務めまする!」

 義弘の声を聴く前に豊久は駆けた。

 伯父上、おさらばです。

「豊久殿!」

「豊久様だ!」

 将が兵が声を上げた。

「どこへ行かれる豊久殿!?」

「応、殿を引き受けて、みたくなってな」

 そんな豊久に同情したのか、あるいは感化したのか、ごっそりと隊列が抜けて馬上の豊久を追って来た。

「お前達、どういうつもりだ?」

 豊久は馬を駆けさせながら背後の将兵達に問う。

「我々も御一緒させてください!」

「豊久様、万歳!」

 その声を聴き、豊久は感涙した。涙は流れるが心も身体も熱くなる。これで決意が固まった。そう思った。

 土煙を上げ追い立ててくる軍勢を見た。

「鉄砲隊前へ! 撃て!」

 豊久の声と共に東軍の追っ手が次々倒れる。

 旗印が目に入った。徳川の名だたる武将、井伊直政だと分かった。

 豊久は次々鉄砲を撃たせた。

 そして向こうからは矢の嵐が襲ってきた。

 島津の将兵らを矢は貫きその命を奪う。

 できることなら、全員を国に帰してやりたかった。

「抜刀!」

 豊久は馬上で命じる。

「突撃だ! 我に続け!」

 豊久は先頭で駆けた。

 自分に向かって並べられた白刃の煌めきを受けても豊久は物怖じしなかった。

 伯父上はどの辺りか、更なる別の追っ手に出会ってなければいいが、馬上で槍を繰り出し、旋回させ、次々血煙と断末魔が豊久の後に続く。

 豊久達が第一陣を突破した時だった。

 前方から聞き覚えのある轟雷に似た音が木霊した。

 その一発が豊久の右足を貫いた。

 豊久は鬼翁の面頬の下から軽く苦痛の声を上げたが、痛みは怒りとなり怒りは力となって、馬を前進させる。

「行くぞ、目障りな奴らを蹴散らせ!」

 三段撃ちが突撃を阻む、その幾つかが甲冑を破り豊久の身体を穿った。

 苦しんでいる場合ではない。

 騎馬隊を率い、井伊勢の鉄砲隊の中を暴れまわり、幾つもの屍を築いた。

「槍隊突撃!」

 向こう側、兵の中から声が響いた。

 槍隊が迫って来る。

「ハハハハッ! 徳川の井伊とは兵に護られる臆病者のことだったか!」

 豊久が言うと槍の中を騎馬が疾駆してきた。

「この井伊直政を侮辱するとはどこの命知らずだ!」

 槍と槍が交錯する。

「島津が将、島津豊久だ!」

 槍と槍がぶつかり合う。

 井伊直政の槍術は危ういほどだった。

 豊久の身体を次々引き裂いて行く。

「島津豊久、悪いようにはしない。潔く降伏せよ!」

「ハハハハッ、我らは地獄の悪鬼さながらその役目を果たすだけだ!」

「無駄に将兵を死なせおって、愚かなり!」

 その時だった、馬上で槍を振りかぶった井伊直政の身体を雷鳴の轟きと共に幾つもの銃弾がぶつかった。井伊は落馬した。そして間一髪豊久の追撃を弾き返して怒鳴った。

「一騎討ちでは無かったのか!? 先ほど臆病者呼ばわりしたが真に臆病なのは貴様の方だ! 島津!」

「何とでも言うが良い、これを機に鬼には鬼の戦い方があるというものをしかと肝に刻んでおけ!」

 豊久がとどめの槍を振り翳そうとすると、部将が現れ、身を盾にして井伊直政を庇った。

「殿、お引き下され!」

「馬鹿を言うな、ワシはまだまだ戦える!」

「殿は徳川に必要なお方、御身大切に!」

 部将達の悲痛な訴えに井伊直政は頷き、豊久を一睨みして言った。

「この借りは忘れんぞ、島津豊久!」

「ハハハハハッ、いつでも返しに来るがいい!」

 井伊勢は撤退の構えを見せた。

 豊久は振り返った。

 周囲に立っているのは僅かばかりの将兵だけだった。

 そして全身に受けた無数の傷。甲冑は破られ、幾つか弾痕があった。今になって痛みを感じる。だが、負けるわけにはいかない。

「お主らは、ワシと共に死ぬ覚悟はあるか?」

「おうっ!」

「すまんな、あの世まで付き合ってもらうぞ」

 覚悟を決めた将兵達が横並びになる。

 次の敵勢が姿を見せた。

「あ、殿、あれは徳川の本多のようです!」

「徳川の本多か、相手にとって不足無し! 行くぞ!」

 豊久は馬を駆けさせ、再び先陣を切った。

 すると豪雨の如く矢が降り注いだ。

 次々聴こえる呻き声に、豊久は詫びる思いだった。自らの甲冑に矢が突き立ち貫く。受けた傷は大小無数にあった。痛みは感じるがそれが己の本能を想起させる。

「行くぞぉっ!」

 前方の槍隊が槍衾を形成する。

「温いわ!」

 血塗られた槍を渾身の力で振るい、徳川の雑兵どもを弾き、あるいは命を奪う。

 その一本が無防備な脇の下に深々と突き刺さった。

「うぐっ!? でえいっ!」

 豊久は槍を引き抜き雑兵を斬った。

 今までで一番の痛みだった。

「豊久様、お引き下さい、ここは我々が!」

 兵が分を弁えずに願い出てくる。

「いや、むしろお前達こそ退け、今まで良くやってくれた」

 そして豊久は戦場を彩る音を声を追い抜く程の大音声を出した。

「全軍、撤退! 我らが大将、鬼島津が残した後を行け! 故郷へ帰り、散って行った者達のことを語って欲しい! その任、各々、しかと申し付けたぞ!」

 そう言うや馬に鞭をくれ豊久は突撃した。

 馬が傷つき倒れると、豊久は跳び下りた。

 周囲をグルリと功名心に植えた徳川の将兵が囲んでいた。

「来るが良い、誰からあの世へ送り届けてくれようか」

 一人が槍を手に掛かって来る。

 豊久はそれを朱色に成り果てた槍で返し、胴を貫く。

「それ今だ!」

 前後左右から四方八方から声が轟いた。

 豊久は槍を振るい奮戦するが、幾つもの槍と刀を受け、崩れ落ちた。

 だが、立ち上がる。血を流し過ぎた。朦朧とする意識を無理やり覚醒させようと努め、槍を薙いで薙いで敵を遠ざける。

 伯父上は逃れただろうか。

 槍を振るいながらふとそう思案した。

 十分時は稼いだはずだ。

 残念だが、俺は島津の未来を見ることは叶わなかった。

 豊久は揺らめきながら敵陣へ歩む、だが、その足は止まり、急激に身体中から力が抜けてゆくのを感じた。

「島津に栄光あれ!」

 無数の銃弾が身体を貫き、豊久は呻いた。槍を支えにする。身体が冷えて行くのを感じた。新たな銃弾の音が木霊した時、豊久は倒れもう立ち上がらなかった。

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