三日目のおでん
「おい、どこ行くつもりだ」
あ、説明するの忘れてた。
さっき水野君から聞いた話で頭がいっぱいで、先輩には「話を聞いてほしいから、ついて来てほしい」と言っただけだった。
よくそんな雑な説明で、路面電車にまで乗ってくれたと思う。良い人だ。
路面電車は、官公庁がひしめく通りを抜けて、ワンルームのアパートが多く立ち並ぶ、学生街に向かっている。
「おでん、今日で三日目なんです」
「何の話だ」
「このままだと、明日も明後日もおでんなんです」
「だから、何の話だ」
「一昨日、作りすぎちゃったんです。あの練り製品のおでんセットって、ファミリー向けなんですね。あれ買って、大根とか蒟蒻とか足したら、ものすごい量になっちゃって。消費するのを手伝っていただけないでしょうか」
先輩が、他人が作った物を口に入れられないほど神経質ではないことは、照り焼きチキンのサンドイッチで実証済みだ。
電車内のアナウンスが、降車駅の名前を告げたので、窓の横のブザーを押す。
「つまり、お前んちに向かっていると」
「はい。私の家だったら、オカルト系の変な話しても誰かに聞かれる心配ないし、おでんも減るしで、一石二鳥かなと思いまして」
電車が止まった。
何故だか降りるのを躊躇ってる風な先輩の、コートの袖を摘まんで降車する。
「あの、どうかしましたか」
おでんが苦手とか。
「お前、一人暮らしじゃなかったか」
「ええ」
前から知ってたと思うけど、何を今更?
「……くそっ」
小声で言ったかと思うと、急に歩くスピードを早めた。
「先輩!?」
そのまま、煌々と光を放つコンビニに吸い込まれるように入り、出てきたときにはビールの六缶パックをぶら下げていた。
「わざわざ買わなくても、ウチに有ったのに」
「え、お前一人暮らしじゃなかったか」
先輩、それ二回目です。
***
水野君がいるK市には、鵺の伝承が存在するらしい。
――その昔、龍神が住むと伝わる池に、夫に裏切られた女性が身を投げた。
その女性は良い家の出だったが、身体が弱く、日がな一日横になって過ごしていた。そんな妻を夫は疎ましく思い、外に女を作って、次第に家には近寄らなくなっていった。
女性は、夫が必要だったのは自分ではなく、実家のお金だったのではないかと悲しんだ。そしてその悲しみは、寝起きしていた薄暗い部屋の中で怨みへと変わり、その怨みは、夫と夫を奪った女に向けられた。
しかし、身体の弱い女性に、怨みをはらすための術はない。
女性は、龍神に自らの命を供物として捧げ、力を与えて欲しいと願った。
かくして、女性の願いは叶えられ鵺となり、夫とその愛人の元へと飛んで行き、二人を鋭い爪で引き裂いた。――
「で、その鵺と茶碗の鵺がどう繋がるんだ?」
おでんをつまみに、ビールを飲みながら先輩が言った。良かった、おでん、口に合ったみたいだ。
「茶碗の作者の西田先生は、K市のご出身だそうです。奥様も。そして西田先生は、女癖が悪いことで有名です」
「女癖……、愛人でもいたのか?」
「はい。しかもあの茶碗の斑文は、奥様の力で出来上がったという噂です」
旦那がせっせと愛人の元へと通っている間に、陶芸家でもあった奥様が釉薬の研究を重ね、模様を描き、作品を作り上げた。西田先生ご自身が手びねりで作り出した、ふっくらとした豊かな形と、奥様が作り出した怪しい色彩の妙が評価された。
「それ、ホントだったら、西田って奴の作品じゃ無いよな」
「あくまでも噂ですよ、そのへんは。愛人の家へ通いすぎて、作品作りが全く進んでいなかったのは、本当みたいですけど」
「で、嫁さんが自殺?」
「自殺未遂です。あの茶碗は、今までにも見ていて気分が悪くなる人が出ていたので、奥さんの怨念がこもってるんじゃないかって、言われてたみたいです。私もちょっと気持ち悪くなりましたし」
私がちょっと気持ち悪くなった程度で済んだのは、既に酒井さんが憑かれた後だったから、とも考えられる。
「あの、先輩。私はどうしたら良いでしょうか」
「どうもしなくていいんじゃないか」
え!?
「館長、知ってるんだろ。あの人、だてにあそこに長くいるわけじゃないからさ、どうにかしてくれるよ」
「は……あ」
「強いて挙げるなら、酒井さんが元気になるまで、ちゃんと受付嬢やればいいんじゃないか。目一杯、愛想振りまいてな」
愛想振りまくのが苦手なの、知ってるからって、わざわざ付け足さなくても。口元が、への字になってしまう。
「それは、……頑張ります」
先輩は、私の返事に満足げに微笑み、右手を伸ばしてぽふぽふと私の頭を叩いた。そしてそのまま頭の形をなぞるように手を下げ、もふもふのフードを触り始めた。
「これ、気持ちいいな」
「ですよね」
仕事着に、おでんの出汁のにおいが付くのがいやで、帰宅後すぐに部屋着に着替えさせてもらった。普段のよれよれの部屋着ではさすがに失礼だと思ったので、一応ブランド物の『よそ行きの部屋着』だ。ふわふわのマシュマロフリースで、肌触りが格段に良い。
先輩はその部屋着のフードをもふりながら、どうしてだか、距離を詰めてきた。
テーブルの上には、500mlのビールの空き缶が二本と、飲みかけが一本。
「知ってるか。俺、一応、男なんだけど」
「はい」
少し、身体を引く。
「今流行りの、草食系じゃないし」
「は……い」
引いた分だけ、距離を詰めてくる。
「どっちかというと、肉食だと思う」
「……は……い」
更に身体を引いたら仰向けに倒れそうになり、慌てて手を着く。
これは……まずい、よね。
先輩といると、妙な安心感が有るから、つい親戚のお兄ちゃんを呼ぶノリで、家に上げてしまった。
ビール、二本で止めておけば良かった?それともビールの前に、炭水化物を出せば良かった?
と、タイミングのいいことに、スマホが鳴った。可愛いメロディーだ。
「で、電話、先輩のですよね。出た方が良くないですか」
「知るか」
知るかって。確かテーブルの上に置いてあったはず。
よく見えないから、適当に手を伸ばしスマホを探す。その間にも、距離は近くなる。
あ、あった!
「マユミさんから、電話です」
先輩の動きが止まる。可愛いメロディーも止まる。
「ほんとに、肉食なんですね」
思わず口をついて出てしまった言葉と、蔑んだ目を向けてしまったことで、先輩のやる気は萎えてしまったようだ。
目を伏せて大きく息を吐くと、スマホを取り上げ、のろのろと元の位置に戻って、残っていたビールを飲み干した。
「帰る」
「はい」
それが良いと思います。
でも――、先輩が帰ると、ホッとしただけじゃなく、寂しくも感じてしまうのは、どうしてだろう。
せまってくる先輩は、その、えっと、色っぽかったし、目を伏せてうなだれた時は、ちょっと可愛かった。
もしかして、もったいないことをしたのでは……。
いやいやいやいや、酔った勢いで、とか、あり得ないから!
私は、大きな土鍋と一緒に実家から送られてきた、小さなビールの缶を開けた。
・実際に県内のK町に残る鵺の伝承のうち『龍神』『怨みと祈祷で、女性が鵺になる』という部分をお借りしました。