嫁入り前の娘さんのちょっと嬉しい出来事
民話も伝承も、着物あるあるさえ出てこない、正真正銘の閑話です。
そろそろ寝ようかなと考えていた休日前の深夜、インターホンが鳴った。誰。こんな時間に訪ねてくる非常識な知り合い、いなかったはずだけど。
室内のモニターを確認すると……あ、知り合いだ。ていうか、彼氏、ですね。
急いで玄関のドアを開けると、私より頭半分は背の高い人が、なだれ込んできた。
「うわっ、どうしたの!?」
私に寄りかかって、もたもたと靴を脱ぐ友哉先輩からは、お酒と、吸わないはずの煙草の匂いがする。
「悪い。ちょっと休ませて。飲みすぎた」
そう言うと、トイレのドアやキッチンのシンクにぶつかりながら、奥へと入っていく。
「いいけど……。ね、お水飲んだ方が良くない?」
慌ててグラスを出して、ミネラルウォーターを注いでから追いかけたけど、既にテーブルとベッドの間の床に伸びていた。
***
世の中の大半の人間は、痩せて、似合う髪型や服を見つけることができれば、雰囲気イケメン・雰囲気美人になれると思っている。その最たる例が私だ。
学生時代の私は、太ってこそいなかったが、身形に手もお金もかけてなくて、野暮ったかった。清潔でさえあれば良いと思っていた。
が、ある日街中を歩いているときに、何気なく見た、ショーウィンドウに映った自分の姿を見てハッとした。野暮ったいも過ぎると、見た目の清潔感が半減するんだ……。
その後一念発起して、似合うヘアスタイルとメイクと服を探した。基が少々古臭い見た目なので、流行を取り入れすぎるとちぐはぐな印象になるような気がした。店員さんの「お似合いですよ~」という猫なで声は無視。流行りのものの中から、なるべくシンプルなものを選んだ。
結果、声をかけてくれる人が増えた。うん、見た目って大事。
ただ、人見知りは治っていなかったので、友達激増!というわけにはいかなかったけど。まあ、急に増えても面倒も激増!だと思うから、ちょうど良かったかな。
就職しても、やっぱり人見知りはそのままで、なかなか初対面の、それも目上の人と、しっかり目を合わせて会話するのは難しかった。何かと気にかけて世話を焼いてくれていた友哉先輩も、鼻から下くらいしか見ていなかった。歯並び綺麗だなあとか、口角いつも上向いてるなあとか。
全容をしっかりと把握したのは、四日目だったか、五日目だったか……?
ファイルを抱えて廊下を歩いていると、数メートル向こうで立ち話をしている人たちがいた。薄暗い廊下で、キラキラとした眩しいオーラを放つ人の片方は、可愛いオフィスカジュアルに身を包んだどこかの女性職員で、もう片方が先輩だった。
この頃には、なんとか顔を見ることができるようになっていたし、今は私の方を向いているわけではないから、しっかり観察できた。
シュッとしているって表現、こういう人に使うんだろうなあ。頭は小さいし、手足はスラリと長い。初めてちゃんと見た目元は涼しげで、鼻筋は細くまっすぐで、きれいな弧を描く唇と相まって……。
うわー、私この人と何日もサシで昼ご飯食べちゃったよ。完璧に、私とは住む世界が違う人じゃないかな。無理だ。おしゃれなカフェじゃなくても、二人で食事は無理だ。
もう少ししたらお昼は自作のお弁当にしようかな、などと考えていたけど、翌日から早速お弁当生活を開始した。
***
反対側だったらこんなに縮こまって寝なくても済んだのに、何で狭い方にはまってるんだろ。酔ってたからと言われたらそれまでなんだけど、あまりにも狭すぎるから、テーブルの足をたたんで片付けた。
あの頃は、まさかこんなことになるとは思わなかったよね。違う世界の住人だと思ってたもん。
寝ている人に手を伸ばし、額にかかった焦げ茶の前髪を手で梳く。
「ん……」
小さく声を上げた人は、眉間にシワを寄せている。苦しいのかな?
シャツのボタンを二つはずして、ベルトを緩めてみた。パンツのボタンもはずして、チャックは……。下ろすのに少し抵抗を感じたので、そのままにした。そのうち勝手に下りるかもしれないし。
キラキラした世界の住人だと思っていた人の中身は、その見た目に反して、ごく普通だった。単に、異常に愛想が良い人だった。遊び歩いている感じはなく、声をかけてきた女子全てとデートしているわけでもなかった。
週に二・三度、ウチに来るのに、泊まったこともまだない。どこの嫁入り前の娘さんかと思ったけど、ここにいる嫁入り前の娘さんに配慮しての行動だと思ったので、寂しいなとか、帰ってほしくないなとか、口に出せずにいた。身八つ口に手を入れるのに、それ以上のこともするのに、律儀に毎日帰っていく。
だから、酔っ払って寝ているだけだけど、実は今、ちょっと嬉しい。
ベッドから枕とタオルケットを下ろして、投げ出された右腕にしがみついて、隣に丸くなった。




