種
翌日、迎えに来た先輩の顔をフロントガラス越しに見ると、何故だか神妙な顔つきでハンドルを凝視していた。が、私の姿を目にすると、息をついて微笑んだ。
「おはようございます」
「おう。一時間ドライブだけど、大丈夫か?」
「大丈夫なように、着てます」
綿麻のしじら織りの浴衣には、柄半襟を合わせて夏着物風に着て、半幅帯は貝の口に結んだ。シートにもたれかかっても大丈夫な、ペタンコ系の結び方だ。伊達締めも腰紐も、いつもより少し緩めに結んでいる。
本当は、ドライブすらなら服の方がラクかなと思ったけど、服=手抜き、着物=おめかし、の図式が先輩の頭の中では出来上がってしまっている。今日は特に、服で来るわけにはいかないだろう。
U市までは、ただひたすら国道を走ればいいだけだ。天気は良いし、運転手のご機嫌も良いし、渋滞にも合わなかった。日差しはきついけど、概ね快適なドライブた。
U市に入るとすぐに国道を反れ、少し寂しい空気が漂う市街地を抜け、山間の集落に入った。この集落に入ってから、畑の隅や庭先に、枝が横に張った、明るい緑の葉っぱの木を、よく目にするようになった。
もしかして、杏の木かな。どの木も、立派だ。
あれ?
「友哉君、集落、抜けそうなんだけど」
手元に視線を移し、Googleマップを見ると、完全にお寺を通り過ぎている。これといった目印のない田舎だから、お寺に入る脇道を見逃したようだ。
「やっぱりそうか。市街地から、あんまり離れてなかったよな」
それからしばらく、行ったり来たりする車の中でスマホを見ていると、文字通り酸っぱいものがこみ上げてきた。お寺の名前が書かれた薄汚れた案内板を見つけたときは、本当にほっとして、小さな駐車場に車が止まるや否や、ドアを開けて砂利の上に降り立った。
セーフ。大きく深呼吸すると、土と緑の匂いが混じった空気が、酸っぱいものを押し戻してくれた。
「気分悪かったのか?何で言わないんだよ」
先輩も車を降り、私の様子がおかしいと思ったのか、助手席側に廻って来た。
「五分後に、言うつもりだった」
「ギリギリまで我慢するな。ほら」
ペットボトルが差し出されたので、遠慮なく受け取り、口にする。途中のコンビニで買った水は、まだ冷たさが残っていた。
「ありがと」
手を差し伸べられたので、ペットボトルを返すと「違う」と言われて、手を握られた。
あー、手をつなごうってことだったんだ。ごめん。
境内に人気は無く、蝉の鳴き声と、私達が砂利を踏む音が響く。
「あれかな」
奥の方に、明るい緑の葉を生い茂らせた木が何本か見えた。その中の一番太い幹には、注連縄が巻かれ、すぐそばに立て看板が見える。
「新しくしたみたいだな」
看板は、新品ではなかったけど、ちゃんと全ての文字が読める状態で、杏の謂われについて書いてあった。
――昔、女性を乗せた船が、この寺の近くの海岸に流れ着いた。女性は、身なりなどから、庶民では無いことは分かったが、自分の素性について、詳しくは語らなかった。
その女性が、今生で犯した罪を、来世まで持って行きたくないと、泣いて住職にすがったため、不憫に思った住職は、寺の敷地の隅にあった庵を女性にあてがった。
女性は住職に感謝すると、そこに籠もって、亡くなるまで経文を書き続けた。
その女性が、薬として持っていたのが、杏の種だった。女性亡き後、その集落の住民は家々に杏の種を植え、その女性を偲んだ。
女性が犯した罪がどういうものだったのかは定かでないが、愛する夫の出陣に必要な金を調達するために、地獄に堕ちるのも厭わず、金策に奔走したらしいと伝わっている。――
「地獄に堕ちるような、金の集め方ってなんだよ」
「何をして、お金集めたんでしょうね」
大きな杏の木を見上げる。葉は、日の光を受けて明るく輝き、時折風に揺れて立てる、サワサワという小さな音が、耳に心地良い。
「気分、良くなったか?」
「うん、大丈夫」
「帰るか」
看板を撮影して、その場を後にした。
***
「そっちも美味しそう!」
目の前には、鯛飯。と言っても、炊き込むタイプではなく、鯛の刺身を乗っける方だ。
「まずは、自分のを食べろ」
そう言う先輩の前には、海鮮丼。ツヤツヤの具が、丼からはみ出している。
せっかく来たんだからと、市街地の端っこにある、道の駅の中で昼食を摂ることにした。大きな窓の外には、海が広がっている。
そう言えば……
「お寺、海岸から離れてるよね」
立て看板に書かれていた、冒頭の言葉を思い出して言った。
「確か、この辺全部、埋め立てだったはずだ」
言ってから、赤い切り身を口に運ぶ。
「うまっ」
でしょうね。
「臨時の監査ってことは、何かあったことは間違いないよね。杏がそそのかした、にしては期間が短すぎるし」
タレに浸かった刺身を、ご飯の上に乗せる。
「女性は、金を集めるためにやったことを、後悔してたんだろ。死んだ後も、偲んでもらえたんだったら、ここに流れ着いてからは、いい人だったんじゃないか?」
「そっか。そうだよね……」
ご飯にタレを回しかけながら考えていると、
「食ってる間は、それ考えるの無しな」
「あ」
タレ、かけすぎたかも。
「友哉君が正しい。鯛飯に失礼な気がする」
「だろ」
極上の笑顔と共に、鯛の上にハマチが乗せられた。




