ざんねんないけめん
うわぁ、美味しい。
外側サクサクで、口の中に全然くっつかないし、求肥との食感の違いも好き。
寒天で少し固めてあるあんこは挟みやすくて、あっさりした甘さで、この最中ならひとりで一箱いけそう!
「ほんっと、美味そうに食うよな」
ちょっと呆れたように笑って、先輩が言う。
「ほんっとに、美味いんだもん」
美味そうに食って、当然だ。
ただ、この美味しい最中に、うちにある安物のお茶は合わない。とは思うけど、それしか無いので、沸かしたてのお湯で煎れた、熱いほうじ茶を飲む。
「暑くなってきた」
「それ、脱げば?何枚重ねてるんだよ」
「三枚、かな。でもまだ脱がない、せっかく着たのに、エアコンつける」
エアコンのリモコンを探して部屋の中を見回したら、先に先輩が見つけて、手に取った。
取ってくれたのかな?
手を出したら、いつものちょっと意地悪そうな笑顔を浮かべ、私から離れた部屋の隅に向けて、床の上を滑らせた。
へ!?
そして、その手を私の帯へ伸ばし、丸組の帯締めの、結び目の中央に指を入れた。外国製の安物は、いとも簡単に緩んでほどけ、背中でお太鼓のたれが落ちた。
あー、やっぱり帯締めは日本製が良いな。ケチるんじゃなかったな。
などと考えている間に、帯揚げがほどかれ、着物と帯の間にグッと手を入れられた。
ちょっと待って!
こんな正確に知ってると思わなかったから、されるがままにっ。
「せ、先輩、ちがっ、友哉君、何で知ってるの」
「着付け動画見た」
言いながら、奥から引っ張り出したガーゼの紐をほどく。ガーゼで包まれた帯枕がぽとりと落ちて、更紗柄の帯は、ただ身体に巻き付いているだけになった。
「こんなことのために、着付け動画、見たの。こんなことのために、わざわざ!?」
「けっこう大事なことだと思うけど」
精一杯、侮蔑の表情を向けたつもりなのに、全く気にとめた様子は無く、帯に手をかける。
ざんねんだ。ざんねんすぎる。
何だっけ、あのベストセラー。ざんねんないきもの、だったっけ。目の前にいるのも、正にそれだ。
そもそも、何で私はこの人と一緒にいるんだろう?
最初は、確かお昼ご飯を一緒に食べて仲良くなって、美味しいおやつをちょこちょこ貰うようになって、かき氷食べさせてもらったり、晩御飯ごちそうになったり、今日の最中も美味しかったな。
あ。
完璧に、食べ物に釣られてる……。
私も、ざんねん。と、いうことなんだろうな。
***
夕方六時を、少し回ったところ。
正面玄関の重い扉が閉じられ、昼間の喧騒が薄まった職場のロビーで、希美さんと先輩と三人で、件のタペストリーの前に立つ。
「で、どうすることにしたの」
腕組みした希美さんが言った。
「集うのがまずいんだったら、バラすしかないだろ」
「誰がバラすんですか。いくら裏打ちしてるといっても、古いんですよ。劣化してるんですよ。貴重な古布が、台無しになる可能性大です」
「そうね、バラすんだったら、矢野君ひとりでやってもらいたいわね」
「焼き鳥、奢っただろ」
「労力に報酬が見合いません」
プロがミシンでしっかり縫ってるみたいなのに、素人が解くなんて、どれだけ時間がかかるかわからない。
希美さんが、腕組みを解いた。
「聞こえる人と聞こえない人がいるのは、何で?」
「それはたぶん、長男。田村さんも長男だったよ。庄屋さんの息子か、その嫁さんを逆恨みして、跡継ぎができなさそうな童歌歌って、織ったんだろ。ちなみに、事務長と館長は次男」
「でも、私は、本気で恨んだ訳じゃないと思うんです」
「なんでよ?」
「だってこの童歌、最後、倉を建てるんですよ」
一で俵をふんまえて
二でにっこり笑わんしょ
三で杯さしおうて
四つ世の中良いように
五ついつものごとくなり
六つ無病息災に
七つ何事ないように
八つ屋敷を敷き並べ
九つ小倉を建て並べ
十でとうとうおさめた
「リズムが良いから、機織りにちょうど良さそうだし、ちょっと悔しかった気持ちも込められるし」
「あ、それ、わかるかも。身近にいて手の届きそうな金持ちのイケメン、目の前でかっ攫われたんでしょ。しかも、見た目イマイチな娘って、見た目に自信があった娘は、悔しいわよね。何でこの娘なのよ、どうして私じゃないのって」
「それに結婚しちゃったら、今までみたいに、キャッキャ騒ぎにくいですしね」
「あー、楽しみがひとつ、減っちゃうわね。矢野君遠巻きに見て、騒いでるOLと同じかな」
希美さんが、笑いながら言う。
「手の届きそうなイケメン、ってやつですか」
「何それ、キャッチフレーズみたい。会いに行けるアイドル、手の届きそうなイケメン!」
二人して、笑う。
「お前ら、人をダシにして何遊んでんだよ。考えろよ、これ」
イケメンは否定しないんだ。
「えー」
「だってー」
「私達の仕事じゃないしー」
「ねー」
などと笑いながら言っていたら、先輩が何かに気づいたかのように動きを止め、しぃっ、と言った。
「ちょっと黙ってくれ」
「何なの」
「どうしたんですか」
先輩がタペストリーをじっと見つめ、近づいて行く。
「歌、止んだ」
「え!?うそ」
「どうして?」
「俺に訊かれても、知るかよ」
「さっきの会話が、お気に召したかな?」
ちょっとおどけた表情の希美さんが続ける。
「手の届きそうなイケメン!」
「そこは絶対違うよな」
「んーっと、じゃあ、共感とか、どうですか」
女子の愚痴は、誰かが共感する事で、たいていおさまる。
「あー、ありそうっ。うんうん、わかるー、そうだよねーって、聞いてあげるのが一番!紗那、私のも聞いて!」
「イヤですよ。希美さんの愚痴、エロいんだもん」
「エロ……。お前ら、二人でそんな話、してんの」
「してませんよ。希美さんだけです」
「聞いてくれたら、晩御飯おごるよ」
くっ。
一人暮らしが、恨めしい。実家暮らしが、羨ましい!
「……聞きます」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、週末あけといてね。お疲れさま~」
そう言うと、ひらひと手を振って、さっさと帰って行った。後には、柔軟剤よりもずっと高そうな甘い香りが、微かに残った。
「希美さんいなくなると、急に静かになりますよね」
「だな。それより、なに晩御飯に釣られてんだよ」
先輩が、横目で私を見下ろす。
「私が食べ物に弱いのは、友哉君が一番よく知ってるでしょ」
横目で見上げる。
「まあな。それで釣ったようなもんだしな」
え!?
「それ、どういう……」
「あー、腹減った。今晩、なに食う?」
こら、遮るな。
「一緒に食うことが前提なんですね」
「このあいだ買った、バターチキンカレーのルー、まだ使って無いよな」
「使ってないけど、ご飯が無い。お米はあるけど」
「早炊き、早炊き」
「チキンも無い」
「買いに行くぞ」
「仕方ないな」
あれ、何の話、してたんだっけ?
まあ、いいか。
晩ご飯、美味しく食べられそうだし。
おつきあいいただき、ありがとうございました。
・繁忙期に入りますので、ひとまずここでおしまいにいたします。
・作中のベストセラー『ざんねんないきもの』は、高橋書店の児童書『ざんねんないきもの事典』です。




