集う
タペストリーを寄贈してくださった西田先生と連絡が取れたと、希美さんが事務所に入ってきたのは、翌日の終業時刻間際だった。
「ウチに寄贈するために、タペストリーに仕立てたので、合ってたみたいよ」
と言って、私の隣の丸椅子に、腰を下ろす。
「自宅に保管してたときは、反物の状態だったって」
「生地の出所は?」と先輩。
「H地区にあるお寺の住職に貰ったそうよ。しまっててもしょうがないから、有効に活用してくれって」
「H地区って、ただの綿絣を、特産品に育て上げた人の、お堂だかお墓だかが有りますよね」
これは、私。紺絣について検索したときに、見つけた情報だ。
「たぶん、そのお寺じゃないかな」
「なんだ。女子二人が、がんばってんのか」
山田事務長が、デスク前で伸びをしながら言った。
「焼き鳥、奢ってもらったからね~」
「ね~」
希美さんと顔を見合わせ、笑う。
「矢野君だったら、美味しいお店に、連れて行ってくれたでしょう」
と、ファイルを戸棚に片付けながら、佐藤さん。
「それはもう!」
美味しかった。塩もタレも美味しかった!
「終わった暁には、打ち上げも連れて行って貰うつもりです!」
え、希美さん!?
「連れて行くのはいいけど、自分で払えよ」
先輩はそう言うと、文句を言う希美さんにはお構いなしに、お寺の電話番号を検索し始めた。
***
先輩がお寺に電話をしてみると、「古布を集めていたのは、おばあちゃんだから」と言われ、ご住職のお母さんに当たる方を、電話口に呼んでくれたそうだ。
そして次の休日、そのおばあちゃんにお話を伺うため、訪問することになった。
行き先はお寺、お会いするのは古布好きのおばあちゃん。
となれば、着るしかないな、着物。
本当は、希美さんにも着せたかったんだけど、休みの日までつき合う気はないと、一蹴されてしまった。
今日の予想最高気温は、26度。夏日だ。
昔の着物のルールでは、まだ袷の時期だけど、夏日に袷は辛いので、単衣を引っ張り出す。古布好きのおばあちゃんにお会いするのなら、ポリエステルじゃなくて、正絹かな。
正絹の単衣は、母のお下がりが三枚ほど有るだけだ。古着屋さんに、状態の良いものはなかなか出ない。
ポリエステルなら、しつけ付きの新古品を手に入れたけど、ツルツル滑りすぎて着付けが大変だし、着心地もあまり良くなかった。雨の日用、焼き肉屋用だ。
着物は黒鳶色に、葡萄色の薔薇柄の紬にした。薔薇と言っても、よく見ないと薔薇とはわからない形だし、花の色もかなり暗いから、派手さは無い。それに、数種類の更紗柄が縞状に織られた、八寸の名古屋帯を、お太鼓に結ぶ。
迎えに来た先輩も、いつもの休日よりはきちんとした印象の、無地のシャツ姿だ。車の後部座席には、上品な柄の紙袋が、大小二つ置いてある。
「友哉君、車持ってた、の?」
名前呼んで、敬語無し、クリア。
「親父の借りた。寺まで、駅からかなり距離があっただろ。豪雨じゃ無い限り、絶対着物にすると思ったし」
「ありがとう。でも、歩けるよ。走れる草履っていうの、買ったから」
と言って、右足をちょっと持ち上げる。
「それか、金欠の原因」
あ~、……話題変更。
「えっ、えっと、後ろの紙袋、手土産?」
「うん。たねやの最中」
「えー。最中って、外側の皮が口の中にひっついて」
苦手、と言いたかったんだけど、
「それが、ここのはひっつかないんだよな」
と、何故だか得意そうな先輩に遮られた。
「あんこと皮が別々に入ってるせいもあると思うけど、皮そのものが、その辺に売ってるやつと全然違うんだよな。パリパリ、サクサク。あんこも甘さ控えめで、求肥入りで」
「何それ、すっごく美味しそう」
「言うと思った。小さい方、あとで食おう」
「やった!」
餌付けされてる。完璧に、餌付けされてる。
お寺は、国道から少し入った、二車線の道沿いにあった。河口が近く、時折潮の香りがする。
電話で言われた通り、お寺の敷地の隅にある、ご自宅のインターホンを押した。
出迎えてくれたのは、小柄でふっくらした、とても可愛いらしいおばあちゃんだった。
終活の一環で物を減らしていると伺っていたので、もっとヨボヨボのおばあちゃんを想像していた。
「いらっしゃい、お待ちしておりましたよ。あなたがお電話をくれた矢野さんね」
見た目どおり、ゆっくりと穏やかな話し方だ。
「はい。今日はお時間を作っていただいて、ありがとうございます」
「そちらのお嬢さんは?」
あっ。
「同僚の浜本と申します。和布や古布に興味があるので、私もお話を伺えたらと思って」
前日から用意していた台詞を、慌てて口に出す。着物を着ているから、説得力は有るだろうし、実際、興味もあるし。
「まあ、お若い方が、嬉しいわね」
そう言うとおばあちゃんは、柔らかい笑顔で家に招き入れてくれた。
「あの絣の古布はね、もともと私の母が持っていたものなのよ」
そう前置きして、おばあちゃんのお母さんから聞いた話をしてくれた。
そもそも絣は、農閑期の副業として織られていたそうだ。
昔、機織りと裁縫は、副収入を得るために必要な技術でもあったが、花嫁修業としても大切だったため、この地区をまとめていた庄屋さんは、自宅に地区の娘達を招いて教えていた。
その中に、技術も創造力も秀でた娘さんがいた。その人が考案した柄が基となり、絣の需要が高まったことも重なって特産品になり、日本三大紺絣にまで成長した。
あの古布は、庄屋さんのご親戚にあたる方が、古い倉を壊すときに出てきたもので、捨てるのも忍びないからと、絣に縁のあるこの寺に持ち込まれたそうだ。
そこまで話すと、おばあちゃんはお茶を一口飲んだ。
「ここまでは、だいたいみんなが知ってるお話ね。せっかくだから、あまり知られてないお話もしましょうか。」
おばあちゃんの表情が、ちょっと若返った気がした。
「庄屋さんの息子さんがね、男前だったらしいのよ。そんなお家に、年頃の娘さん達が集ったらねぇ、わかるでしょう?」
あ~、何となく想像出来る。
「息子さんがね、器量はもう一つだけど、お裁縫と機織りの腕が確かな、おとなしい娘さんに求婚したそうよ。そうしたらね、娘さん達のお勉強の場が荒れたって、聞きましたよ」
あの古布は、そういう娘さん達が織ったのかも、っていうことか。
「それはそうと、彼女がお着物着るのなら、彼氏も着たらどうかしらねえ」
あ、そうか、それは思いつかなかった。って、え?
隣に目をやると、口が半開きの先輩と目が合った。
「あの、どうして?」
先に我に返った先輩が、訊ねた。
「そんなのわかりますよ。何年生きてると思ってるの」
そう言って笑うおばあちゃんの表情は、また更に若返ったように見えた。