声が聞こえる
どうぞ、おつきあいくださいませ。
おにうめ じゃうめ
つののはえたこうめ
ある朝出勤すると、受付近くの壁面に、紺絣のタペストリーが出現していた。
タペストリーは、二十センチ角程度にカットした絣を、縦に六枚、横に八枚、パッチワークのように接ぎ合わせている。
私の住んでいる所は、日本三大紺絣の産地の内の一つだ。が、外の二つの産地は、雑誌の着物特集などに紹介されるのに対し、ここのはいつも省かれる。
原因は、たぶん野暮ったさ。
外の二産地は、若いデザイナー等とコラボして、今の人達に受け入れられそうな柄ゆきのものも作っているのに、ここのはとにかく古臭い。伝統的と言えば聞こえは良いけれど、単に時間が止まっているだけのように感じる。
そんな野暮ったいイメージしかなかった絣だったけど、柄を選んで上手に配置して、素朴で暖かい感じに仕上がっている。極細い縁取りに使われている、多彩な色の古裂も良い。
「これ、どうしたんですか?」
華奢な靴で、器用に大股で歩いてきた希美さんに訊ねた。透け感のある七分袖のブラウスが、涼しげだ。
「寄贈だって」
希美さんは、忌々しげにそう言うと、持っていた小さなプレートを、叩きつけるように壁に貼った。
『西田之久氏寄贈』
これ、もしかして。
「茶碗の鵺の西田先生ですか」
「他に誰がいるのよ」
軽く睨まれた。
「茶碗の件で迷惑かけたから、そのお詫びだって。絣の古布って、なかなか貴重らしいわよ。一応、日本三大紺絣の一つだしね」
「でも、ここに古布って、嫌な予感しかしませんよね」
南向きに建っているのに、何故かいつもひんやりして、時に何かの気配が漂う館内を見回す。
「やっぱりあんたも思うわよね。何か起こりそうだって」
「希美さんもですか」
「館長も、何で貰っちゃうかなあ」
ブツブツ言いながら受付に戻る希美さんを見送り、私も事務所に戻った。
***
十日ほど経っただろうか。
変な歌が聞こえる、という苦情を、若い男性が持ってきた。彼は、館内に事務所を構える、農業系団体に勤めていて、歳は二十代後半ぐらいかな。ひょろりと背が高く、人懐っこい笑顔で、田村と名乗った。
事務所の奥の、応接セットに案内しようとしたら、断られたので、その辺にあった丸椅子に座っていただく。事務所内の四人全員が、彼の話に耳を傾ける。
「この間、残業したんです。最後、僕一人になって、終わったのは、十時を回ってたと思います」
昼間は開けっ放しの正面玄関は、重厚な扉でぴたりと閉ざされ、交通量の少なくなった表通りの音は、ほとんど聞こえない。館内に残っている人も、通用口の脇にある守衛室にいる、おじいちゃん守衛さんだけのはずだ。
にもかかわらず、人の声がしたというのだ。歌うような、若い女の声が。
「最初は、外から聞こえてくるのかと思ったんです。でも、微妙に違うなと思って、声のする方へ行ってみたんです」
「田村君、チャレンジャーね」
佐藤さんが言った。
私もそう思う。私なら、聞かなかったことにして、逃げるように帰る。
「あ、でもやっぱり怖くなって、最後までは」
苦笑いしながら、続ける。
「正面玄関の、ロビー辺りだとは思うんですけど。翌日、長く勤める先輩方に言ってみたら、ここではよくあることだから、気にするなって、とりあってもらえなくて」
四人全員が、田村さんから視線を逸らす。
「一等地にある割に、事務所の賃料が安いのには、それなりの理由があるんだから、実害が無いようだったら、黙っとけって言われてしまいまして。僕も、どうにかしてもらおうと言うよりは、とりあえずご報告まで、という気持ちなので」
そこまで話すと、田村さんは、そろそろ戻らないと、と立ち上がり、会釈をして出て行った。
パタン、扉が閉まる。
その途端、友哉先輩が頭を抱えて、机に突っ伏した。
「うわー、やっぱり気のせいじゃなかったか!」
「えっ、先輩も、聞こえるんですか!?」
「矢野君、聞こえてたのに、黙ってたんだ」
佐藤さんが、蔑んだような眼差しを先輩に向けた。
気のせいだと思ったとか、歌かどうかはわからないとか、もごもごと言い訳をしている。
「紗那ちゃんは、何か聞こえた?」
佐藤さんが、私に話ををふった。
「いいえ」
「山田君は?」
「僕も聞こえないね」
「実は、私もなの」
山田事務長が、何か考える風に眉間にシワを寄せた。が、次の瞬間、それはそれは素敵な笑顔で言った。
「ここは、矢野君にどうにかしてもらおうか」