趣味はイケメン観察です。
作中の伝承、ほとんどいじっていません。本当です。
「休憩、行ってきます」
私はいつも通り、山田事務長、佐藤さん、友哉先輩に声をかけると、お弁当入りのトートバッグを掴んで、事務所を出た。
昼間でも電気をつけなければならない薄暗い廊下を抜け、建物の外に出ると、眩しいくらいに晴れわたっていた。そして、暖かかった。カーディガン、置いてきたらよかった。
お天気が良い日の昼休みは、散歩も兼ねて外へ出ることが多い。いつもは職場から北西の位置にある広場か、そこから少し城山を登ったところにある二の丸公園へ行くけど……。
門を出て、西へ20メートルほど歩き、いつもとは反対の南側を見る。ツツジが満開だ。
城山とその麓の広場を囲むお堀には遊歩道があり、そこには様々な植物が植えられていて、今はツツジが見頃を迎えている。
少し前には桜もきれいだったけど、桜は見に来る人も多くて、遊歩道に置いてある数少ないベンチは、いつも誰かが座っているようだった。
ツツジは、桜ほどは人気がない。ベンチ、使えそうだ。
私はツツジを眺めながら、お弁当を食べることにした。
桜より人気がないとはいえ、散歩する人はそこそこいて、十分ほど歩いて、やっと空いているベンチを見つけた。
ベンチに座り、お弁当を食べながら更に南側に目をやると、お堀の際に赤い幟と小さな鳥居が見えた。
何だろう?
幟は榎大明神と白で抜かれている。ということは、鳥居の脇の大きな木は榎か。
からになったお弁当箱と、飲みかけのペットボトルを手早く片付け、鳥居まで歩いてみた。
鳥居は、人が一人やっとくぐれるくらいの小さなもので、お堀に向かっていくつか連なり、その先にはたくさんの狸の置物が見えた。
狸を祀ってるのかな。
狸の置物のそばに、小さな文字が書かれた立て看板が見えたけど、時間切れだ。読みに行く時間は、無さそうだ。
その場で軽く手を合わせ、職場に戻った。
***
おかしい。何かがおかしい。
午後から仕事が手に着かない。集中出来ない。斜め前に座る友哉先輩が、とにかく気になる。気になってしょうがない。
見慣れてるはずなのに!
「どうした?」と先輩。
「どう……したんでしょう」
「また何かに憑かれたかな~」
笑いながら、事務長が言った。
「止めてください」
とは言ったものの、うっすらといやな予感はする。
「でもその書類、いつもなら一時間程度で作ってるわよね」
佐藤さんが言いながら、私の手元を覗き込む。既に、二時間近くかかっている。
「すみません。先にこれ、二階に持って行ってきます」
私は届いたばかりの新しいパンフレットを、気分転換も兼ねて、二階の希美さんのところへ持って行くことにした。
大きな硝子窓がはめ込まれた受付の部屋に入ると、希美さんは接客中だった。
窓の向こう側に立つのは、若い営業マン風の人で、片手にスーツのジャケットを引っ掛けて、訪問先である事務所の場所を訊いていた。
何かスポーツやってるのかな。短髪で、まあまあの長身で、Yシャツ越しに、鍛えられたようながっちりとした肩が見て取れる。輪郭は少し四角い感じだが、目鼻立ちはすっきりとしていて、暑苦しい印象はない。少し日焼けした肌は、お礼を言って浮かべた笑顔にぴったりだ。
かっこいい。友哉先輩とは、また違うかっこよさだ。
「浜本さん。パンフレットなら、私がもらっとくよ」
後ろから高橋館長の声がして、我に返った。手に持った湯呑みからは、今日もやっぱり梅昆布茶の香りがする。
「紗那ったら、何見とれちゃってんの~?今の人、かっこよかったけど、あんたの好みとは違うでしょ」
接客を終えた希美さんが、ギャザースカートの裾をヒラヒラさせ、笑いながら近寄ってきた。
私は、大きなため息をつき、うなだれた。
「やっぱり私、おかしいですよね」
「どうしたの」
「お昼から、見慣れているはずの友哉先輩が気になって、仕事が手に着かないんです。今も何故だか、しっかりイケメンを堪能してしまいましたし」
すると、梅昆布茶をすすりながら話を聞いていた館長が言った。
「あー、もしかして浜本さん、狸見に行った?」
「狸、ですか。そう言えば、見ました、ね」
偶然だけど。
「え、私だけわかんない!?」
希美さんが、説明を求めるかのような顔で、私と館長の顔を交互に見る。
「堀端に、赤い幟があるの、知らないかなぁ」
と、館長。
「それは、知ってます。ちゃんと見たことは、無いけど」
「あそこに狸を祀ってるんたけどね、けっこう有名なんだよ、榎ダヌキ。商売繁盛とか、家内安全とか、御利益も色々あって。子供向けの民話集なんかには、狸は榎に登って人間観察してたって書いてあるけど、その狸は雌でね。いい男を眺めてたって説が残ってるんだよ」
いい男。
「道路の拡張工事の際に、一旦はどこかの寺に祀られてたんだけど、色々あって、結局あそこに戻ってきたみたいだね。あの場所だと、駅からオフィス街に向かういい男、たくさん見れるからかな」
館長は笑いながら話すけど、私にしてみれば笑い事じゃない。
「明治の初め頃には、路面電車から榎の近くの電停に降り立った女子学生が、その狸の生まれ変わりだって言われたこともあったみたいだね」
女子学生だろうが、雌狸だろうが、どっちでもいいけど、イケメンを眺めるのが好きなのは、間違い無さそうだ。
「イケメン観察する、雌狸って」
希美さん、すごい笑ってる。
「まあ、特に害は無さそうだし。そのうち飽きて、いなくなるんじゃないかね」
「そのうちって、いつですか」
不満の声を上げてみたけど、二人とも笑って、相手にしてくれない。
と、希美さんが急に真面目な顔になって言った。
「あんた、帰り、気をつけなさいよ。誰彼かまわず観察して、勘違いされたり、危ない人に間違われて通報されたりしないようにね」
***
ありがたいですよ。下手にイケメンが目に入らないように、家まで送り届けてもらえるのは。
でも、これはちょっと……。
「友哉先輩、距離が近すぎませんか」
「そうか?」
そう言って、ほんの少しだけ、距離をとる。
今私は、路面電車の中で、電停で開かない側のドアに向かって立っている。そしてすぐ後ろの、数センチ離れた位置には、先輩が立っている。
周りの人間からは、公衆の面前でいちゃつく、ただのバカップルにしか見えないだろう。
電車が高校の近くの電停で止まり、制服姿の男子が数人乗りこんできたのが、ドアのガラスに写った。彼らのうち二人は、私のすぐ右側の、今空いたばかりの席に座り、残り二人はその前の吊革を握った。
みんな、文系っぽいな。小太り君に、小柄君、ひょろっとしたもやし君。その中に中肉中背ながら、整った顔立ちの子が一人。お肌もつるんとして、思春期らしからぬ清潔感が漂う。
……て私、何、男子高校生観察してるのー!
くるんと振り返り、目の前を先輩の白シャツでいっぱいにした。
「何?」
頭のすぐ上から、声がする。
「後で、説明します」
仕方ない。今日は、バカップルで結構です。
***
「榎ダヌキ、守備範囲、広そうだな。下は高校生からか」
家に着いてから、電車内でのことを説明したら、先輩が苦笑いしながら言った。
「上は、今のところ、山田事務長かな」
「え、事務長!?」
ベッドを背もたれにして、だらしなく座っていた先輩が、身体を起こした。
「今日、先輩が席を立つと、事務長に目がいっちゃってたんですよ」
ふふっと笑って、続ける。
「素敵ですよね。アラフォーなのに、お腹出てないし、髪の毛もフサフサで、全然おじさんっぽくなくて。ちょっととぼけた笑顔は可愛いし、笑ったときの目尻のしわなんか――」
事務長の良さを力説していたら、襟元をグイッと引っ張られ、口を塞がれた。
目の前には、友哉先輩の顔。
口が開いていたせいで、いきなり、しっかり、深く、食らいつくかのように、合わさってしまった。
へ!?
一瞬、固まってしまい、されるがままになってしまったものの、思いっきり腕を伸ばし、先輩を引っ剥がした。
「びっくりした……」
大きく息をつく。
「俺も。まさか、あんながっつりいくとは」
先輩はそう言って、人差し指の関節で口元を拭いながら笑う。
「だったら、すぐに止めてください。あ、でも」
友哉先輩の顔を、じっと見つめてみる。が、簡単に目を反らすことが出来た。
「狸もびっくりしたみたいです」
「もしかして、役に立ったか」
「ええ。全然見惚れません」
「え」
狸にしろ、明治の女学生にしろ、いきなりあれは、刺激が強すぎたんだと思う。私でも、ちょっと驚いたし。
翌日、職場のみんなには、一晩寝たら狸はいなくなった、ということにしておいた。
・狸が出てくる民話とか伝承とか、とにかく多くて…。西日本の民話は、狸率、高いようです。