おでかけこーで
ロープウェイ乗り場に現れた先輩は、私を見つけると、軽く目を見開いて立ち止まった。
そうだよね、やっぱりそうなるよね。
「お疲れさまです」
「それ、葵ちゃんの意向?」
「どうなんでしょう。そんな気もするし、私の趣味のような気もするし。どうぞ」
既に買ってあった、ロープウェイのチケットを渡す。
「趣味?」
「希美さんみたいな流行の服、似合わないんです。それで、母が持ってた着物を着てみたら、はまっちゃって。ちょっと古臭い顔立ちにも、しっくりきましたし」
言いながら、ロープウェイに乗り込む。もう夕方だし、今から登る人は、多くはない。お天気が良く暖かいせいか、さっきチケット売り場で見た、数人の観光客っぽい人達は、リフト乗り場に向かって行った。
「着物って、自分で着れるもんなの」
「着れますよ、普段着物なら。フォーマルは無理かな」
「普段着物って、え、俺、初めて見るんだけど」
「初めて見せましたから」
たぶん、ここなんだろうな。葵ちゃんが憑いた理由。
流行の服をほとんど持っていない私が、頑張って装うとしたら、着物になる。でも、なんか恥ずかしくて、休日に先輩と会うときも、通勤着とほとんど変わらない姿で出かけていた。
美しく装う余裕なんて無かっただろう葵ちゃんにしてみれば、腹立たしいだろう。
更には、自分の趣味を優先して、お誘いを断るとか、寝てる間に入水自殺されなくて、本当に良かった。まあ、近所にそんなことができる場所、無いんだけど。
お城の入り口で、閉館まであと三十分ほどしかないと告げられた。葵ちゃんの鎧を見るだけだから、十分だ。
葵ちゃんの鎧は、やっぱり簡素で、男性用の甲冑と比べると見劣りがした。
「葵ちゃんは、まだいる?」
「いいえ。いません」
「そうか」
安堵したような、柔らかい笑顔を向けられる。
本当の事を言うと、少し前、ロープウェイに乗る前くらいから、葵ちゃんの存在を感じなくなっていた。締め付けられるような感覚が、全く無くなっていた。先輩に会った時点で、葵ちゃんの希望を叶えてあげられたんだと思う。
お城を出て、本丸前の広場を歩きながら、先輩が言った。
「正解は、着飾ってデートってとこか」
へ?
あ、えーっと……
「はい」
そうか、そう言えばいいんだ。
「何だ、今の間は」
「い、いえ、ちょっと考え事をしてたので」
「ふうん。まあ、せっかくいなくなったんだったらさ、魔除け買いに行くか」
「魔除け?」
「酒井に聞いた。光り物に弱いんだろ」
「いや、それは希美さんが言ってるだけで。それに今日は着けてますよ、希美さんがくれた魔除け」
右手を上げて、指先を見せる。ピンクベージュが基調のネイルチップは、五本の内三本が無地で根元にスワロが光り、残り二本はよく見ると花唐草だ。希美さんから見ても、私はそのイメージみたいだ。
「魔除けなんだから、いくつあっても良いだろ。この前、姉貴に連れて行かれた店が、すぐ近くにあるから……」
あー。
「あの、小リスちゃんですか」
「小リスちゃん……、まだ、疑ってんのか」
と、先輩が立ち止まり、ポケットからスマホを取り出した。画面を見る表情が険しい。
何だろう?
ため息をつき、スマホをポケットに戻すと、嫌そうに呟いた。
「行き先変更。会いに行くぞ、凶暴な齧歯類に」
誰、それ。
***
連れて行かれたカフェにいたのは、お祭りの日に見た小リスちゃんで、歴とした先輩のお姉さんだった。お姉さんは、麻由美さんといい、見たとおりに快活で、よくしゃべる人だった。
知らなかったー、こういう娘がタイプだったんだー。
テレビでアイドル見て、ブスばっかりとか言うと思ったら、こういう楚々としたのが、タイプだったんだね。アイドルには、いないよねぇ。
で、何?その彼女に信じてもらえないって?
うわっ、日頃の行いが、伺い知れるわね。
引くわ、お姉ちゃん、引いちゃうわ。
それにしてもあなた、この見てくれだけの弟のどこが良かったのかしら?その見てくれも、毎年、正月休みには崩れかけるのよ。食べ過ぎて。
あら、そう言えば今年は崩れなかったわね。
あー、そういう事ね。とも君、がんばっちゃったんだ。
「とも君?」
隣に座る先輩を見る。
顔、引きつってる。怒りたくても、怒れないってとこかな。こんな表情、始めた見た。
ふふっ。私の頬は、緩んだ。
「何、笑ってんだよ」
「いえ、笑ってなんか、いませんよ」
ダメだ。震える。
「あら、彼女ったら、丁寧語使ってんの。とも君、全然心開いてもらえてないじゃない」
「姉ちゃん、そろそろ黙ろうか」
「嫌だわ、お姉ちゃん、とも君のために、わざわざ時間作って来てあげたのに。あ、来た。ここのパンケーキ、食べてみたかったのよねー」
お姉さんの前に、ベリーと生クリームがどっさり積まれたパンケーキが置かれた。これ、地元誌の特集で見たことがある。人気のやつだ。
「帰っていいかな」
先輩が言うと、お姉さんはにっこり笑って、指先で伝票を摘まみ上げた。先輩は、舌打ちしてそれを引ったくると、席を立ってしまった。
あ、え?
「紗那ちゃんだっけ。あと、よろしくね~」
よろしくって。
「ご機嫌、直しといてね」
「ど、努力します」
それだけ言うと、頭を下げて、お姉さんとパンケーキを後にした。
***
お腹が減った。とにかくしっかり食べたい。肉食べたい!お米食べたい!吉牛行きたい!という私の希望は、「その格好で、吉牛って」と言う先輩によって、却下された。
私が平気なんだから、良いと思うんだけど。
近場に、外にがっつり食べられそうなお店はないし、今から作るにしても材料を調達するところからだし、仕方なく、吉牛テイクアウト。どうせなら、お店で出来たてを食べたかった。
「葵ちゃんがいなくなったせいか、お腹空くんですよ」
お茶を淹れながら言う。
「葵ちゃん、胃にいたわけじゃないだろ」
先輩はネクタイを緩めて、完璧にくつろぎモードだ。
「あのパンケーキも、美味しそうでしたね」
「あー、あれな。自分の金で食えばいいのに」
苦々しげに言うけど、結局はお姉さんの言うことを聞いてるわけだし、お姉さんは弟のために時間作ってるし、仲は良いんだろうな。
二人の様子を思い出すと、自然と笑みがこぼれる。
「とも君は、お姉さんに弱いんですね」
「その呼び方、なんかイヤだな」
「そうですか?お姉さんと仲良しなんでしょ、とも君」
「止めろって」
「可愛い呼び方ですよね、とも君」
あ、黙った。
と、急に意地悪そうに、眼を細め、口角を持ち上げた。
「あれ、嘘だろ」
「あれ?」
「葵ちゃんの答え。着飾ってデート」
「へ?」
「突っ込むの、止めとくつもりだったんだけどな。ほんとは違うよな」
「う、嘘じゃ、ない、ですよ」
「そうだな、全くの嘘ではないな」
先輩が、身を乗り出してきた。
「三割くらいかな」
右手が顔に伸びてきた。
「教えてくれてもいいんじゃないか」
開いた手で、両頬を掴まれる。今私、すごいブスだと思う。
「つき合ったわけだし」
そうなんだけど。つき合ってくれたから、葵ちゃんが出て行ってくれたんだけど。
とも君なんて、呼ぶんじゃなかった。
「ほら、言ってみろ。」
う……。
両手を伸ばして先輩を押し戻し、俯いて目をそらしてから、何とか絞り出した。
「…………めに、装う、です。」
「ん?」
「だからっ。好きな人のために装うって、言ったんです」
「え!?」
え?
ちらりと様子を伺うと、中途半端に口を開けた顔が見えた。
「な、何で。そこまで、驚かなくても」
「いや、その、そんな可愛い答えが返ってくると思わなかったから」
「あ……」
軽く、軽く、軽~く流して欲しかった。
「そうか。うん、そうか」
じっくり噛み締めるように頷きながら、私の腕を引っ張り、抱きすくめた。
「あー、でもこれ、脱がし方がわからん」
「脱がっ、さないでください。着るのに、二十分かかったんですから」
「りょーかい。とりあえず、今のところは」
今のところはって。
お姉さん。
任務、完了です。
***
「何で姉ちゃんがいるんだよ」
「紗那ちゃん、言わなかったの?」
「言いましたよ」
学生街の一角にある、ワンルームの私の部屋は、築年数が経っているので、値段の割には広い。とは言え、大人が三人も入ると、やはり窮屈だ。私と、麻由美さんと、友哉先輩と。
今日は、「普段着物って可愛いんだね。着てみたいな。」と言ってくれた麻由美さんに、私流の適当な着付けで着物を着てもらうと、ちゃんと説明している。
「麻由美さんがね、これ買ってくれたんです!」
私は嬉々として、部屋の中央に鎮座する姿見を指差した。その周りには、帯揚げ、帯締めが散らばっている。
いつも部屋の真ん中に陣取っている小さなテーブルは、足をたたんで隅に追いやった。
「それ、そんなに嬉しいもんなの」
と、友哉先輩。
「嬉しいですよ。今まで、窓に映してたんですからっ」
着付けの時、後ろ姿や裾線は、掃き出し窓に映して確認していた。何とか着られるから、買わなくてもいいかなぁと思っていたけど、やっぱり全然違う。着やすい!
すると麻由美さんが、眼を細めて口角をちょっと持ち上げ、意地悪そうな表情で言った。
「あんたが買ってあげた光り物より、嬉しいって」
「え!?姉ちゃん」
「これ、ロープウェイ街の彫金ギャラリーのオリジナルだよね~。買ってあげたんでしょ?」
そう言って、私の耳たぶを触る。言わなかったけど、やっぱりわかるんだ。
「じゃ、紗那ちゃん、そろそろ行こうか。とも君も来る?」
「どこへ!」
私は、この間読み終えたばかりの文庫本を取り出した。
「麻由美さんが教えてくれたんです。ぶたぶたさんが作るホットケーキに、そっくりなのを出すお店が有るって」
分厚い二枚重ねのホットケーキの後ろから、小さなピンクの豚が顔を出している、可愛い表紙の本だ。
「どうせ、俺に払わすつもりだろ」
「嫌なら、帰りなさいよ」
うん、そうなりそうだから、誘わなかったんですよ。ちゃんと説明もしたんですよ。なのに、どうして来た。
「着物姿の美人、二人も連れて歩いたら、気持ち良いわよ~」
麻由美さんが、また意地悪そうに笑って、友哉先輩を両手で部屋から押し出しながら、買ったばかりの草履に足を入れる。
私は、くるみのかごバッグを手に取ると、姿見をちらりと見た。
水色の越後花織の着物に、半幅帯をカルタに結んだ姿は、チノパンの友哉先輩とまあまあ釣り合いがとれてるかな、と思いながら部屋を出た。
私の趣味全開のお話にお付き合いくださり、本当に、本当にありがとうございました!
・作中のホットケーキの表紙の本は、矢崎存美さんのぶたぶたカフェ(光文社文庫)です。