鵺の行く末
翌日、やっぱり酒井さんはお休みだったので、私は朝から受付嬢だ。その心積もりが有ったので、今日は自分の仕事を持って上がって来ている。
今日、受付嬢でよかった。
昨日の今日で、先輩と顔を突き合わせて仕事をするのは、さすがに気まずい。あっさりと無かったことに出来るほど、経験も年も重ねていない。
朝一番に高橋館長に、いわくつきの茶碗の『いわく』について、話してみたけど、既に知っていたような風だった。
酒井さんの事は自分がどうにかするから、心配せずに待ってて欲しいと言われた。
先輩の言うとおりだ。既に手を打ってるみたいだ。
出来る限り来館者に愛想を振りまき、自分の事務仕事を片付け、合間に拭き掃除をして一日が過ぎた。
あとはあの、茶碗を展示してある部屋の鍵を閉めて帰るだけだ。
ガラス窓がある受付用の部屋を出て、正面の大きな階段を上っていると、後ろから名前を呼ばれた。
水野君だ。
「何でいるの?」
「何でいるのって……、茶碗と浜本さんの様子見に来たに決まってるでしょ」
「ああ、ごめん」
「茶碗、見れる?」
二人で並んで階段を上っていると、途中ですれ違った年配の女性から「あらまあ可愛らしい、お雛様みたいね。」と声をかけられた。
褒め言葉だと思ったので、お礼は言ったけど……
「水野君がお内裏様とか、有り得ない」
「浜本さん、けっこう失礼だよね」
からからと笑いながら言うあたり、自分もお内裏様は無いと思っているはずだ。
三階の部屋は、ドアは閉めてあったけど明かりがついていた。消し忘れたのかな。どうせ中に入るからいいけど。
ドアを開けると、
「え、酒井さん!?」
艶のない髪を一つに束ねて、青白い顔をした酒井さんがいた。
こんな時でも、服はちゃんと可愛い女子コーデなのはさすがだ。
「身体、大丈夫なんですか?」
今にも倒れそうな様子なので、思わず駆け寄る。
が、次の瞬間。
パーン!
右手を掲げた酒井さんに、左頬を叩かれた。
え!?何!?
訳が分からず、叩かれた頬に手をやると、頬骨の辺りがピンポイントでヒリヒリする。そこを触った指先には、血が付いていた。そう言えば、酒井さんの指先でラインストーンが光ってたな。あれで引っかいたかな。
などと呑気に考えていたら、今度は酒井さん、水野君に飛びかかった。水野君も、やっぱり訳が分からず突っ立っていたみたいで、突然の事によろめき、二人して倒れてしまった。
今、何が起こってるの!?
酒井さんはそのまま、仰向けに倒れた水野君に馬乗りになり、両手で首を絞め始めた。
「酒井さん!?」
私は慌てて酒井さんの腕に、横から飛びついた。が、びくともしない。水野君も手首をつかんで必死で抵抗しているけど、酒井さんの親指の爪は、水野君の喉に食い込んでいく。
水野君の口から、ぐうっと妙な音が漏れる。
どうしよう。
どうしよう。
このままだと水野君、死んじゃう。
酒井さんは、人殺しに!
「誰かっ……」
「どけ」
へ?
「お前はあの茶碗、館長の所へ持って行け」
顔を上げると、先輩が酒井さんを背後から引き接がそうとしていた。
こくこくと頷いて、声にならない返事をする。
けど、あれ、内閣総理大臣賞ー!
躊躇ってる場合じゃないのは、わかってるけど。わかってるけどっ!
意を決して、落ちてたチェックのマフラーを拾い、臙脂色のロープを跨いで、茶碗をマフラーで包んで抱えた。格闘中の三人を後目に、駆け出す。
部屋を出たところで館長に会った。
「館長!これ、茶碗。三人が、中で」
上手く説明出来ない。
「ん」
館長は茶碗を受け取ると、部屋の中に入り「ドア閉めて」と言ってしゃがんだ。
そして、マフラーごと茶碗を床に置き、持っていた金鎚を振り上げ……あれ、何でそんな物持ってるの、と思ってる間に、茶碗の上に勢いよく振り下ろした。
ゴツン。
え、それ、内閣総理大臣賞。
館長は何度も何度も、金鎚を振り下ろした。
見えないけど、もう、それ、粉々だと思います。
館長の行動に呆然としていると、誰かが激しく咳き込んだ。
あ、あっち、終わってる。水野君、生きてる。
咳が合図になったのか、金鎚を振り下ろすのを止めた館長が、三人の元へ歩いて行きながら言った。
「悪かったね。主催者側の人間が帰ったら、すぐやるつもりだったんだけど、ちょっと遅かったかな」
「誰も死んでないので、セーフだと思います」
酒井さんを後ろから抱え、水野君の上からどかしながら先輩が言った。
「死んでないけど、怠い。眠いです、館長」
初めて聞く低い声で、酒井さん。
水野君は半身を起こして、時々えずきながら咳き込んでる。涙目だ。苦しそうなので、背中をさする。
「ところで館長、あれは……」
さすりながら、床にほったらかしの鵺入りのマフラーに目をやり、恐る恐る訊く。
が、館長は、へらっと笑って事も無げに言った。
「大丈夫だよ。本人の許可は、取ってあるから。あれ、西田君本人が割った事になってるから」
西田君って、知り合いですか。
「ほんとは、昨日のうちにどうにかしたかったんだけどね、本人と連絡着かなくて。嫁さんの怒りを鎮めるために、ヨーロッパ旅行に行ってたんだとさ。一昨日帰ってきて、ずっと寝てたらしいんだよ」
因みに、茶碗の噂については、自殺未遂以外は全て本当らしい。
奥様は気性が荒……もとい、たいへん情熱的な方で、自殺などするタマでは無く、実際、旦那がいる愛人宅に乗り込んで、殺してやると叫んで大暴れしたとのことだ。
なるほど。今見たような気がします。
「じゃあ、あとは頼めるかな。私は西田君に連絡しないとな」
そう言って、館長はマフラーを拾って、部屋を出て行った。
「病院、行った方がいいよな」
酒井さんを抱えたまま、先輩が言った。
「私パス。単に眠いだけ。帰って寝たい」と酒井さん。
「僕も。首、痛いけど、大丈夫」とだいぶ咳が治まった水野君。
「ったく、何で僕がこんな目に会わなきゃいけないんだよ。この場合、僕じゃなくて、矢野さんじゃないのかよ」
「自業自得じゃないかな。女の子、手当たり次第、食ってるんでしょ」
思わず口からこぼれ出た。
「浜本さん、食われたのっ!?」
「お前、食われたのか!?」
「食われてませんよ。何でそうなるんですか。この人、こんなお雛様みたいな上品な顔立ちしてて、超肉食なんですよ。研修の時、水野君とよく話してたせいで、食われちゃった女子から軽く嫌がらせ受けたりとか、後始末の手伝いさせられたりとか」
「うわ、最低……」
酒井さん、目が覚めたかな。
「大丈夫なら、自力で帰ってね」
さっきまで背中をさすっていた手で、パシッと叩く。
「浜本さん、冷たい」
冷たくて、けっこうです。
「戸締まりするから、先輩は酒井さんを」
そう言って、三人を送り出した。
***
窓の施錠を確認して、室内を一周して、鵺が置いてあった場所で足を止める。
浮気ばっかりする旦那のどこが良いんだろう。
何で別れられないんだろう。
是が非でも取り戻したいほど好きなんだろうか。
それとも単なる意地?
いずれにしても、強い想いが込められた作品だったんだろうな。
私には、理解出来そうに無いけど。
「まだ、ここにいたのか」
振り向くと、先輩がいた。
「酒井さん、送って行かなかったんですか」
「大丈夫だろ。タクシーに押し込んどいた」
「水野君は?」
「自分で運転して帰ったぞ」
そっちの方が心配か。後で連絡入れよう。
「何してたんだ?」
「もっとちゃんと見とけば良かったかなって、内閣総理大臣賞」
「怖くないか。怨念こもった茶碗って」
「そうなんですけどね~」
「その顔は?」
顔?
「あ~、さっきので、最初にやられました。目立ちますか?」
「ちょっと赤くなってる」
そう言って手を伸ばし、頬に触れた。親指で、傷をなぞってる。
「嫌じゃないのか。俺に触られて」
嫌?
この程度は、いつもの事だけどな?
「抵抗しないと、調子に乗るぞ」
調子?調子って……
もしかして、昨日のあれのことか。
忘れてた。
今の騒ぎで、昨日のこと、すっかり忘れてた。
ここは抵抗するところなの。
どうするのが、正解なの。
と思ってる間に、先輩の顔が近づいてきて、傷に唇が触れた。
あれ?
そして、唇に触れ、
あれ?
唇を甘噛みされ。
あれ?
直立不動の私に、先輩は不安になったのか、動きを止めた。
そして、問いかけるように名前を呼んだ。
「浜本……、紗那……?」
「いや……じゃ、無いです。」
それだけ言うのが精一杯で、先輩の顔をまともに見ることが出来ない。
かろうじて見えた口元から、たぶん笑ったんだと思う。
ぎゅっと、痛いくらいにぎゅっと抱きしめられた。
***
乱闘騒ぎから一月後。
何故だか目の前に鵺がいます。
「館長、これ、粉々になったんじゃあ?」
目の前の鵺は、四つくらいにしか割れてなくて、金継ぎできれいに修復されていた。
あんなに何度も金鎚を振り下ろしていたのに。
「ああ、それね、なかなか割れなくてね」
「怨念、こわっ」
酒井さん、そうなの、怨念なの!?
マフラーで包んでたから、とかじゃなくて!?
「で、これ、どうするんですか?」
「酒井さんにあげようと思ったんだけどねえ」
「いりませんよ」
即答。
「浜本さん、どう?」
それで呼ばれたのか。
「私もけっこうです。ご本人にお返ししてはいかがですか」
一応、内閣総理大臣賞だし。
「断られたよ。」
「何で直したんですか」
呆れ顔で酒井さんが言う。
「一階の人、誰かいらないかなあ」
館長もいらないんですね。
あ、良いこと思いついた。
二日後、水野君から苦情のラインメッセージが届いた。
ありがとうございました。