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後編



 あれから二週間、佳織と悠斗はお互いの能力把握と連携練習に努めた。

 基本的な戦術は、悠斗が前衛で戦い、その援護を佳織がするというオーソドックスなスタイルだ。しかし佳織が最初にぶっ放した非常識な魔法の印象が悪い意味で強かったのか、悠斗は「お前は牽制程度に魔法を使え」と何度も言ってきて、佳織は自由に強力な魔法を使えずストレスが溜まる一方である。しかも悠斗と尚人の姿が重なり、その真偽が気になって練習に集中できないでいた。

 そして納得のいく連携もできないまま、いよいよ大会本番を迎えることとなる。

「それで? 香藤悠斗とは良い感じになったの?」

 問いかけてくる由乃に、佳織は苦いものが混じった笑みを浮かべて、

「そう……ですね。まぁ、それなりには……と言っておきましょうか」

「なにそれ。手は繋いだけどキスはまだってこと?」

「き、きききキス!? 良い感じってそういう話じゃない……ありませんよっ!」

 いきなり恋愛関係に繋げてくる由乃にうっかり素を出しつつツッコミを入れる佳織。顔を真っ赤にする親友の可愛らしい一面に、由乃はにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。

「連携の話ですっ!」

「嬉し恥ずかしの初々しい感じなの?」

「だから恋愛じゃありませんからっ!」

「ふぅ……つまらないわね。せっかく半日ずっと一緒にいるんだから、甘い雰囲気にでもなっているのかと思ったのに」

「私は別に由乃ちゃんに愉楽を提供するためにいるんじゃないんですよ……」

 人の恋愛話を聞いてニヤニヤしたがる親友の言葉に溜息を吐く。

 悠斗のことは前世の親友がらみで気になってはいたが、恋愛に繋がるようなことはなにも起きていない……と思う。いや、それどころではなかったから気にしていなかったというのが正解か。

「んで、それなりってことは、あんまり息が合わなかったってこと?」

 からかうのをやめた由乃の質問に、佳織はまた表情に苦いものを混ぜて、

「息が合わなかったってわけじゃないんですけど……」

「はっきりしないわね。本人いないんだから悪口でも何でもズバッと言っちゃいなさい」

「本人いないところで言っちゃったら陰口ですよ……」

 などと真面目な言葉を口にするも、悠斗に思うところが無いわけでもない。けれど連携が上手くいかない理由は、きっと、佳織の方にある。

 それは――。

「――彼が気になるから、とか?」

「――っ!」

 由乃の言葉にびくりと肩を揺らす佳織。鏡で見なくとも、たぶん佳織の顔は熟れた林檎のように真っ赤になっていることだろう。

「ははぁ、図星か。小学中学と数多の夢見る男子の告白をバッサバッサ切り裂いてきた佳織に、ついに春が……」

「ち、違いますよっ! 気になるって言っても、そういう意味じゃありませんからっ!」

「じゃあどういう意味なのよ?」

「そ、それは……」

 前世の親友の生まれ変わりかもしれないから、など言えるわけがない。信じて貰う以前に頭の痛い娘認定されてしまう。

 答えに(きゅう)する佳織に、にまにまと由乃は笑みを浮かべる。

「ふふふ、応援するわよ佳織ぃ? あんたは一年生どころか全校から見てもトップレベルで倍率高いけど、香藤悠斗も実はそこそこ人気あるんだからね」

「え……? そうなんですか?」

 正直、意外だった。

 けれどよく考えたら、入学式の一件でもそうだったように、彼は何の躊躇いもなく自身の正義を貫き、人を助けることができるのだ。ルックスも清潔にしておけば悪くないし、刀を構えて集中している時の眼光は凜々しく映える。そう考えると、一人二人くらい彼のことを好意的に見てもおかしい話ではないのかもしれない。

「……って、別に私は彼のことがす、好きなわけじゃないんですから、そんな話されても知りませんっ!」

「はいはい、そういうことにしておくわ」

「だから違うんですよっ、由乃ちゃん!」

 ムキになって否定する佳織に、由乃は相変わらずその顔にニヤニヤとした笑みを浮かべている。

「それじゃ、そろそろあたし達の番が来るから、あたしはペアのところに行くわ。あんたも早く香藤悠斗のところに行って好感度稼ぎでもしておきなさい」

「好感度稼ぎなんてしませんよっ!」

「まぁあんたなら好感度なんて稼がなくても、上目遣いで微笑んでやれば一発で堕とせるでしょうね」

「だから私は香藤くんを堕としたいわけじゃないんですよ! 私が堕としたいのは――」

 言いかけて、ハッと口を噤む。

「……なに、あんた、好きな人いるの?」

 一瞬驚いたような顔になるが、すぐににやりと『面白いことを聞いた』とでも言うように変化させると、由乃はそんなことを聞いてくる。

「い、いませんっ」

「ホントにぃ?」

「ホントですっ!」

「ふぅん、へぇえ、ほぉお……なぁるほどねぇ」

「な、なんですかその顔は」

 とびっきりの意地の悪い笑みを作る由乃に、僅かに足を引く佳織。

 しばらく佳織の目をじっと見詰めていた由乃は、やがて一つ頷くと、

「ふふん。わかったわ。あたしは応援してるわよ」

「な、なにを納得した風に言っているんですか……?」

「ええ、納得したわ。どうしてあんたが今まで彼氏を一人も作らなかったのか、その理由にね」

「っ!」

 まさか、前世の親友を堕とすために、自分の思う――そして尚人が好みそうな理想の美少女になろうとして、『清楚系美少女』という付加価値をつけるためにファーストキスを守り抜いているということがバレたのだろうか。

 いや、さすがにそれはないだろう。というか分かったら心理読み(サイコメトリー)でも使えるのかと疑うレベルだ。

 果たして由乃は、すがすがしいほどの笑顔を作って言い放つ。

「――あんた、レズビアンなんでしょ?」

「どうしてそうなるんですか!?」

 ……いったいどんな流れでその答えに辿り着いたのか、全く理解できない。

「良いのよ、あたしはあんたの味方だから。生憎あたしはノーマルだし、将来渋いおじさまを捕まえる予定だから無理だけれど、そうね。あたしのペアになった愛花ちゃんでも紹介してあげましょうか?」

「別に良いですよ紹介なんかしなくてもっ!」

 ……結局誤解は解けたか分からないまま、由乃はペアのもとへ行ってしまった。


   ◆ ◆ ◆


「……まったく。由乃ちゃんは人の話を聞かないんですから」

 由乃と談笑していた控え室を出た佳織は、第一大型演習場――通称第一コロシアムの二階、つまり観戦スペースを歩いていた。

 一階の中央では、二本のねじれた角を生やした大型犬のような魔物と、(せん)()を持った男子生徒と杖を握る女子生徒のペアが戦いを繰り広げている。戦況は生徒達が優勢か。きちんと役割分担のできている二人は着実に魔物に傷を負わせ、体力を削り、決定的な一打を与えるチャンスを狙っている。

「……私達もあれくらい、できるはずなんですけど」

 ――自分がきちんと集中できていれば、という事実を頭では理解していても、いざ実戦になるとなかなか難しいのだ。

 それは、悠斗と関わる時間が増えるにつれて、どんどん悠斗と尚人の姿が重なっていってしまうから。

「……混同しちゃ駄目だ。まだ香藤悠斗があいつだって、決まったわけじゃないんだから」

「誰が誰だって?」

 ――唐突に背中に掛かる声に、佳織は心臓が飛び出る思いをする。

「か、か、香藤悠斗っ!? いったいいつからそこに……じゃない。今の話、聞いてましたか……?」

 心臓がバクバクしておかしくなりそうだ。

 果たして悠斗は、激しく動揺する佳織の顔を不思議そうに見詰めながら答える。

「別にお前の大きな独り言なんて聞いちゃいねぇよ」

「そ、そうですか……良かったです」

 ほっと胸をなで下ろす佳織。

 すると悠斗は、ぽんっと手を叩いて、

「なるほど。エロいことを口に出してたのか」

(ちげ)ぇよ! ……違いますよっ」

「お前、いい加減猫被るのやめたらどうだ? 全然隠せてねぇし」

「べ、別に猫なんて被ってませんし。そっちこそ、何でもかんでもエッチなことに繋げるのはやめてください。女の子にモテませんよ?」

 キャラを作っていること自体は事実なのだが、認めるわけにもいかず言い返すと、悠斗は若干の沈黙を挟んでから、やや視線を斜めに逸らして言う。

「……別に、俺は不特定多数の女子にモテたいわけじゃねぇよ」

「そうなんですか? 年頃の男の子は沢山の女の子にキャーキャー言われたいものだと思っていたのですが」

 首を傾げる佳織に、悠斗はしばしの間目を閉じる。

 再び瞼を開いた時、その瞳に映っていたのは恐らく、この場にはいない『誰か』だった。

「世間一般の男子はそういう奴が多いかもしれねぇけど……俺が見ててほしいと思うのは一人だけだ」

「っ」

「そいつだけが見てくれりゃ、後はどうだっていい」

「……、」

 果たして――今、佳織はどんな顔をしているだろう。

 分からない。だって、心の中に生まれたもやもやとした違和感にも、答えは出ないままだから。

「……んまぁ、そんな話はどうだって良いだろ」

 ガシガシと頭の後ろを書きながら話題を断ち切る悠斗。そのがさつな態度が、今は少しだけありがたかった。

 それから二人で近くの席に座り、生徒達と魔物の演舞を眺める。

 ほとんどは生徒側が優勢だが、時折ペアの相性が悪かったのか、はたまた本人達の実力不足か、魔物に押されることがある。そのたび待機している先生や上級生が割り込んで魔物を一撃で葬る様は、未だ戦い方が(つたな)い新入生達にとっては格別格好良く映り、いくつもの声援と拍手が飛んでいた。

 ちなみに新入生演武会の日は上級生は休日となり、多くの上級生が大会を見に来る。危険に陥った一年生を助けているのも彼らだ。

 その理由は、優秀な一年生を発掘し、将来自分が作るパーティーに招待するためである。……まぁ余興の意味も多少あるが。

 しばらくぼうっとしながら眺めていたが、ふと思い立った佳織は、一つ空けて隣に座る悠斗に問いかける。

「香藤くんは、どうしてこの学校に入ったんですか?」

 この学校は『天魔の門』に挑む者、或いは王国軍に入る者が集まる場所。それなりの理由があるはずだと聞くと、唐突に質問を投げかけられた悠斗は前を向いたまま答える。

「探している奴がいるんだ。そいつと会うためには、『天魔の門』から行ける異世界にあるって言う神魔造具(アーティファクト)の力を使う必要がある」

 神魔造具(アーティファクト)とは、今よりも科学が発達していなく、現代では失われてしまった高度な魔法が使われていた頃に作られた、神造あるいは人造の遺物のことである。現代では解読できず再現もできないそれらは差分はあれどどれも強大な力や特殊な効果を有しており、『天魔の門』の向こう側から齎される最高の財産なのだ。

 そんな希少かつ強力なものを人捜しのために使うということは、現代の魔法では見つけることができないのだろう。現代の魔法では探し人と縁の深いものが必要なのだが、それが無いということか。

「遠くにいるんですか?」

「いんや、それもわからねぇんだよ。だから魔法よりも強力な、神秘の力を使う必要があるんだ」

「……、」

 現代技術では再現できない、神代の神秘の力を使ってまで見つけたい人。それはきっと、彼が言っていた、『自分のことを見ていて欲しいただ一人の人物』なのではないだろうか。

 ――と、彼がただの男子高校生であれば、そう思ったかもしれないけれど。

 今は――悠斗と尚人が重なる今では、彼の言う人物は、別の人間なのだと分かった。

「それは……その、見つかると、良いですね」

「ああ。絶対に見つけてやる。そんでもってまた、一緒に馬鹿やるんだ」

「……仲が良いんですね」

「そうだな。あいつより一緒にいて楽しい人間はいねぇよ」

 懐かしむように笑う悠斗。佳織も少しだけ、笑みを作った。

 すると今度は、悠斗がこちらに視線を向けて問いかけてくる。

「お前は?」

「え?」

「だから。お前はなんで、この学校に来たんだ?」

 入学式の時、結局由乃にも答えず流してしまった質問。あれからもはぐらかしていて、彼女にも本当の理由は伝えていない。

「私は……」

 答えるべきか、はぐらかすべきか。

 少し考えて、口を開いた――その時。

『七十八番。1A香藤悠斗、1D色神佳織のペア。入場口に集合してください』

「……出番のようですね」

 呼び出しに遅れるわけにはいくまい。佳織は立ち上がると、不満そうな顔をする悠斗に向かって微笑みかける。

「大会が終わったら、言います」


   ◆ ◆ ◆


 新入生演武会は、『天魔の門』の向こう側の異世界で捕獲した魔物と新入生二人ペアを戦わせることで新入生達の素質を図る、一種のテストだ。だから魔物は弱いものではいけないが、強すぎても太刀打ちできずに死人が出る可能性があるので、それなりの強さを持った魔物に事前に国軍上位レベルの魔道士が弱体化の魔法を掛けることによって、ちょうど良い強さに抑えるのだ。

 とはいえ、あくまで魔法で弱体化しただけ。だからその魔法を解除(ディスペル)してしまえば、その魔物は本来の強さを取り戻すことになる。

「あの生意気な一年が戦う魔物は……こいつか」

 第一大型演習場、通称第一コロシアムの地下。

 新入生演武会で使われる魔物を閉じ込める檻が並ぶ薄暗いそこで、一人の少年がギラギラとした瞳で魔物を()め付けていた。

 しかし少年の目に映るのはそこにいる魔物達ではなく、過去に痛めつけられた恨めしい人物の姿。

「平民ごときが、僕が目をつけた女を奪いやがって」

 入学式の日。彼はたまたま見つけた良い感じの少女を自身のパーティーに勧誘しようとして、とある一年生に妨害されたのである。あまつさえその一年男子は彼の腹を殴りつけると、彼が痛みに悶えている間に少女を連れ去ってしまったのだ。

 ……とまぁ、話だけ聞けば一年男子に非があると感じるが、実際のところ悪人は確実にこの男の方だ。なにせあのまま少年が乱入していなかったら、彼は少女を人目の付かない場所に連れ込み、少女の尊厳を冒し身も心も屈服させようとしていたのだから。

 ちなみに強引な勧誘は度を超すと身分に関係なく学校側から懲罰対象にされるし、そもそも犯罪行為が行われれば罪を被るのは彼なので、身分差を考えてもその一年男子に罪はない。というか探索者に多少のいざこざはつきものなので、この程度の殴った殴られたの話題で大きな問題にするのはナンセンスである。……それでも報復するのが探索者というものなので、なんとも言いがたいのだが。

「ククッ……思い知れば良いんだ。僕に逆らったらどうなるのか」

 彼はポケットに入れていた瓶を取り出し、目の前の魔物にその中身をぶちまける。

 すると魔物の体の表面が赤く発光し、なにかが割れたような音を響かせた。魔物に掛けられていた弱体化の魔法が解け、本来のCランクに相応しい力を取り戻した音である。

(ぶん)(ゆう)(げっ)()の魔法薬だから少々高かったが……問題ない。伯爵家のメンツを保つためにも、これは必要なことなんだ! それに、お父様に頼めばいくらでも金はあるしね」

 国軍の優秀な魔道士が掛けた魔法を解除(ディスペル)するのは、並みの魔法薬では不可能だ。だが彼が今使ったものは、軍にこそ所属してはいないが高名な魔道士が作ったもので、一回分取り寄せるのに高級車一台分の金が必要だがSランクの魔物が操る呪いすら解いてみせるという凄まじい効能を有している。

「あとはこれをかけて……っと。よし!」

 先の魔法薬と同じ魔道士が作った、体内魔力を活性化させて魔物の瞬間的な強化を促す効果を持つ、本来であれば召喚師(サモナー)魔物使い(テイマー)が用いる劇薬を弱体化が解けた魔物に振りかける。

 これの効果により、この魔物は本来のCランクから上昇し、Bランクにも等しい強大な力を得たことだろう。

「ふは、あは、はははははっ! 僕の邪魔をした報いを受けろッ!! ははははは――ッ!」

 狂ったように嗤いながら檻の前を後にする彼の背中を、魔法薬によって本来より数倍も強い能力を得た魔物が、静かな、しかし煮えたぎる怒りと殺意を抱いた瞳で見詰めていた――。


 ◆ ◆ ◆


『さーぁ次のペアは、近接戦闘科一年A組、香藤悠斗と!』

『攻勢魔法科一年D組、色神佳織だね』

「うわ……(すげ)ぇ音」

 入場すると、コロシアム全体に響く解説者の大声量に顔を顰める悠斗。

「ホントに大きいですね。というかなんで解説なんているんでしょうか……?」

「上級生にとっては余興だからな。解説ある方が盛り上がるんだろ。雰囲気出るし」

 半眼で答える悠斗。佳織は苦笑いを浮かべるしかない。

『学年一どころか学校一の美少女の名を入学から一ヶ月足らずで手にした天使とペアになった幸せなクソ野郎、もといラッキーボーイは、今年の入学試験、実技試験でトップ成績を叩き出した天才だぜ!』

『一方、色神佳織の方も、実技試験を除いた全てで最高点を叩き出しているね。なんでこんな偏ったペアができているのやら……』

『クジ引きだから仕方ねぇな。さてと! そんな最強ペアの相手は――』

 デデデデデーン、みたいな交換音が似合いそうな引きの仕方をし、解説は叫ぶ。

『アングリー・カウだぁぁあああ――ッッッ!!』

 そして解説者が名を呼ぶのに合わせ、魔物がコロシアムに現れ――。

『……、』

『……、』

「……、」

「……、」

 ――現れなかった。

『……あれ? ちょっと係の人、タイミング合わせろよ。(しら)けちまうだろ』

『打ち合わせしているわけじゃないんだから無茶言っちゃ駄目だよ。……それにしても遅い、か』

 盛り下がる解説者達の言葉に、見物席にいる生徒達の間にもどよめきが広がる。

「なんだ、トラブルか?」

 訝しげに呟く悠斗。

 しかし――次の瞬間、


『……ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッッ!!』


 地の底から響く獣の咆哮が、コロシアム全体を震わせた。

「っ? な、なんだ……?」

 ほどよいスリルと四苦八苦しつつ戦う新入生達の姿に熱狂していた会場は、一瞬で強大な殺気に支配される。

 まるで、迷宮(ダンジョン)の奥底にある主の部屋(ボスエリア)に侵入した時のような緊張感と絶望感。否応なしに死の気配を感じさせられる空気に、佳織は知らずに唾を飲み込んでいた。

「なんだ……何が来やがる……?」

 刀の柄に手を置き、抜刀の構えを取りながら、悠斗は張り詰めた声を震わせる。

 佳織も悠斗の一歩後ろに立ち、魔法を展開する準備を整えながら、一点――何か強大な気配を感じる場所を見詰めた。

「……来ます」

 果たして。

 佳織の呟きと同時、本来係の先生が檻に入れた魔物を運んで来るはずの分厚い扉を突き破り、四足歩行の影が現れた。

 ぼふぼふのアフロヘアのような毛を頭部に生やし、その横にねじれた二本の角を突き立てる牛。筋肉質の体は硬くて重く、それを支える太い後ろ足から繰り出される蹴りは鋼鉄をも易々と食い破るだろう。

「アングリー・カウ、か?」

「ですがあの瘴気は……」

 魔物はどす黒い霧を周囲に纏っており、荒い鼻息にも黒々としたものが混ざっている。教科書で見た姿に、そんなものは載っていなかったはずだ。

「魔力、でしょうか。恐らく、通常よりも高濃度の魔力を保有しているのでしょう」

「なんでもいい。俺達の相手はあいつなんだろ? ならぶっ倒せば済む話だ!」

 言い切るが早いか、悠斗は地を蹴って魔物に肉薄する。その速度は目で追うのがやっとで、気付いた時には悠斗はすでに魔物の鼻先に刀を突き付けていた。

(あね)()(さき)流刀術・(こう)(りゅう)の型五番――〝(らい)(しん)〟」

 悠斗の腕で、黄金の雷が弾けた。

 そう錯覚するほどの爆発力と速度で以て突き出された刀が、魔物の顔面に突き刺さる――。

『ブゴ、モォォォオオオオオオッ!』

 けれど強大な魔力を持った魔物の皮膚は異常なまでの堅さを誇り、悠斗の刀は薄皮を裂く程度。悠斗は舌打ちを一つ零し、素早く二発、三発と連続突きを繰り出す。しかしそれら全てを魔物の硬質な皮膚は通さない。

「堅すぎだろっ!」

「香藤くん、離れて! ――【ファイア・バレット】ッ!」

 正面に突き出した佳織の掌から赤い魔法陣が浮かび上がり、そこからテニスボール大の炎の塊が次々と撃ち出される。『炎の弾丸』の名を冠する通り顕現した火炎弾は高速で魔物に炸裂した。

 けれど――。

『ブモォッ!』

 魔物が一つ()くと、体表に纏う瘴気の量が爆発的に増加し、火炎を弾いてしまう。

「並みの火力じゃ届きませんか……」

【ファイア・バレット】は所謂初級の魔法で、大量の魔力を込めたとしても高ランクの魔物が保有する対魔力性能を貫通することはできない。ゆえに一定以上の強さの魔道士には牽制用にしか使われないのだ。

 あの魔物の対魔力性能――身に纏う瘴気の防御を突破するには、高火力で一気に灼き尽くすしかないだろう。そう判断した佳織は、魔物に果敢に斬りかかる悠斗に向かって提案する。

「香藤くん! 私が高威力の魔法をぶつけるので、それまで時間を稼いでください!」

「あ? あーなるほど、了解だ!」

 初日に見せた【サンダーストーム】の威力を思い出したのか、悠斗は佳織を信用してくれたようだ。悠斗は先ほどまでの有効打を与えるための攻撃ではなく、自身に引きつけるような挑発的な攻撃を混ぜ始めた。

 その姿を確認してから、佳織は呪文の詠唱に取りかかる。

「我が手に忌むべき地の獄を。()の地に(あまね)く全てを滅す業火を」

 恥ずかしいのと時間がかかるから普段は使わない、頭脳値(INT)魔力値(MAG)が最大の佳織でさえ長文の詠唱を混ぜなければ使えない超高難度の魔法を選択する。

 これは、教科書にも載っていない――或いは載せてはいけない、禁忌に近しい破壊の魔法。

 家の力を使って魔法の本を掻き集めた時に見つけた魔道書に記されていた、かつて世界の半分を破壊したとされる天魔が用いた、天罰の力。

「世界はやがて煉獄に包まれ、(つみ)(びと)は灼け狂い、絶望の中で(おの)が罪業に潰されながら死に絶えるだろう――」

 詠唱を完了した。

 それに呼応するように佳織の周囲で魔力が高まり、ゆらゆらと陽炎が空間を歪め始める。

 その異常な魔力の動きを感じ取ったのか、悠斗が魔物の横っ面を強打して一瞬の隙を作ると、素早くその身を翻す。

 三秒と掛からず彼が魔法の範囲外に出たと判断した佳織は、両手を魔物に向けて突き出し――その名を告げた。


「焼き尽くせ――【インフェルノ】ッ!!」


 それは、地獄の顕現。

 現世に展開した裁きの炎が、矮小な魔物を呑み込んだ。

 瘴気の防御などお構いなしに肉体を一瞬で溶かし、骨を灰燼に帰し、臓腑を蒸発させる。罪人を裁く地獄の火炎の前ではBランク程度の魔物の対魔力性能など薄っぺらな紙に等しく、啼く間も与えぬまま焼き尽くしてしまった。

 しかし超高温の業火はそれだけで飽き足らず、天まで焦がさんと空を目指す。屹立する(あか)き火炎はコロシアムの上部を嘗めるようにして溶かし、事前に張り巡らされていた魔法障壁を何の抵抗もなく食い破って天空へと伸びていった。

 その、ともすれば荘厳で美しい光景を前にして。

「……お前はいちいち周囲を巻き込まなきゃ魔法が使えねぇのか」

 呆れたような悠斗の言葉が、佳織の耳に届いた気がした。


   ◆ ◆ ◆


「なんだ……なんなんだよ、あいつ……っ!?」

 こんなはずではなかった。

 本来Eランク程度の強さにして戦わせるだけでも、相性が悪ければ新入生は太刀打ちできないこともあるのだ。だからとっておきの秘薬でBランクまで引き上げれば、普通の生徒なら事故に見せかけて殺すことさえ不可能ではなかったはずなのに。

 いや――そもそもBランクなら、この学校に勤める教師でも数人がかりでなければ対処できないほどの強さなのだ。

 それを、あの少女は魔法一つで焼き尽くした。

「あの女……色神とか言ったか? くそっ、まさかあの女、」

 失敗した。標的のペアの情報を集めるのを怠ったツケが回ってきた。

 いや――それよりももっと不味いのは、()()()()()()()()()()()()()()だ。

「これで満足?」

 ふと、背後から女の声がした。

「だ、誰だ!?」

 振り向くと、そこには赤みがかった茶髪をボブカットにした少女が、冷酷な瞳で彼を見据えていた。

 見覚えはない。けれど制服のクラス章の色からして新入生だろう。

 少女は彼の誰何には答えず、ただただ冷徹に話し続ける。

「あたしは満足よ。佳織の力の前に恐れ(おのの)くクソ野郎の面白い顔が見られたからね」

「ふ、ふざけるなッ! 僕にだってあの程度できる!」

「無理でしょ。診療魔法科二年の落ちこぼれ、西(にし)(むら)(こう)(だい)さん?」

 びくり、と彼――晄大の肩が跳ねる。

 診療魔法科は、佳織の所属する攻勢魔法科と違って魔法による治療や味方の強化等に重きを置いた学科だ。最も得意な分野だから選択したのに、それでもその学科で落ちこぼれている晄大に、苦手分野の攻撃魔法でBランクの魔物を灼き尽くすほどの超魔法を使えるわけがない。

 それでもその事実を認めるわけにはいかず、晄大は目の前の少女に向かって吠える。

「僕は落ちこぼれなんかじゃない! みんなが僕の崇高な作品を評価しないだけだッ! ……そうだ、僕が悪いんじゃない。僕を評価しない今の時代がおかしいんだよ!」

「自分じゃなくてみんなが悪い。そして自分を認めない時代が悪い、か。……なんというか、本当に馬鹿な人ね。いっそ憐れだわ」

「な、なにぃ……ッ!」

 ギギギと歯を鳴らし、睨み付ける晄大。

 なんて非礼な少女だ。上位者たる貴族に対する礼儀がなっていない。そんな考えがいくつも頭に浮かび上がり、余計に晄大の中で苛立ちが募る。

 その様子を見て、少女は溜息を零した。

「テストへの細工は重大な校則違反よ。おとなしく停学処分を受けなさい」

「なっ!?」

 誰にもバレていなかったはずだ。どうしてこの少女が知っている?

 大量の疑問符が頭を(よぎ)るも、彼女が晄大の施した細工を知っていることに変わりはない。

「ふんっ! 伯爵家の次男である僕に指図できる人間がこの学校にいるわけないだろう」

 そうだ。自分は崇高なる貴族の血が流れる、選ばれた人間なのだ。卑しい劣等種ごときがいくら騒ごうとも、上位者を裁くことなどできはしない。

 などと、みっともなく足掻く晄大に、少女はまた溜息を吐いて、

「この学校で身分は関係ないわよ」

 と一般的な意見を述べてから、

「まぁそうは言っても馬鹿はどこにでもいるものだから、きちんと現実を教えてあげましょうか」

「な、なにを言っているんだ貴様は?」

 眉を顰める晄大。

 対して少女は冷淡な声音で続ける。

「ここの学校の校長。本人は貴族位が面倒臭いからって平民でいたいらしいけど、今の王様の師匠らしくてね。身分が低いと面倒なことが起こるから、一代きりの伯爵位を賜っているらしいのよ」

「……は?」

 そんな話、聞いたことがない。

「それも辺境伯と同等ね。つまり実質、侯爵相当ってこと。おわかり?」

「で、デタラメだっ! 僕はそんな話知らないぞ!」

「それはあんたの勉強不足、或いは情報収集能力の欠如ね。お貴族様としては落第点じゃない?」

 少女はけらけらと嘲弄しながら、

「あたしの両親が国王様の弟弟子でね、よくその話も聞かされたし、実際に何度も学園長と国王様が一緒にいるところを見たことがあるわ」

「ふざけっ……ぐ、まだだ。貴様が言わなければ何も問題は無いんだっ!」

「そうね。あたしが口を噤めば表沙汰にはならないでしょう」

「そうだ! だから貴様は黙っていろ! これは伯爵家の次男たる僕の命令だ!」

「まぁあんたの命令なんてどうでも良いんだけど」

 そもそも今立場が上なのは少女の方なのだが、それを理解していない晄大に説明をするのもまた面倒といった調子で、少女は薄い笑みを浮かべる。

「安心しなさい。別に言う気はないわよ」

「ふ、ふん! そうすれば良いんだ。平民はそうやって僕達崇高な貴族の言葉に従っていれば良い」

 晄大の選民意識にどっぷりと浸かった台詞を少女は聞き流しながら、小さく、晄大に聞こえないくらいの声量で呟いた。

「その方が面白いことになりそうだし」

 少女――相原由乃の笑みは、酷く邪悪な色をしていた。


   ◆ ◆ ◆


 佳織の魔法によって天井が溶けてしまい、このまま大会を続行するのは危険だということで、残りのペア達は第二、第三大演習場に移って行うことになった。

 しかしそれも十分ほど前に終了し、閉会式も過ぎた後。

「おい、色神佳織」

 夕日が生徒達の影を茜色に塗り潰す中、下校しようとする佳織を呼び止めたのは、今日限りでペアを解散する相方――香藤悠斗だった。

「香藤くん? 今日はもう解散のはずじゃ……」

「さっきの答え、訊かせて貰うぜ」

 さっき――とは、自分達の演舞が始まる前に話した、この学校に来た理由だったか。

 少し考え、佳織は「ちょうど良いか」と思い至る。

 ――もうそろそろ、始めて良いだろう。ここまで美少女に仕上げたのだ。勉強も、魔法も、作法も、理想に近づけるよう仕上げた。運動は少しアレだけれど、それはそれで魅力に繋がる……と思う。

 だから、始めよう。

 二度目の人生を使っての、盛大な嫌がらせを。

「わかりました。でもここじゃちょっと話しづらいので、移動しませんか?」

 にこりと、佳織は前世の親友の生まれ変わりである少年に微笑みかけた。


   ◆ ◆ ◆


 放課後の教室はいたく静かで、内緒話をするにはもってこいの場所だ。さらに窓から差し込む夕日がオレンジ色に室内を染め上げる様は、見る者に寂寥感と懐古的な情を抱かせる。

 誰もいない教室。校庭を歩く生徒の話し声が、遠くかすかに聞こえる。

 まるで二人だけ世界に取り残されたような不思議な感覚を味わいながら、佳織は悠斗に気付かれないように小さく喉を鳴らした。

(大丈夫だ。俺ならやれる。俺なら尚人のツボが分かっている!)

 前世で買った漫画、彼が語った好きなキャラのパターン、それらから佳織は尚人の趣味嗜好を把握している。だからそのように自分の体を仕上げてきたし、性格だってそうなるよう作ってきた。

 死角はない。

 夕日に照らされる屋上という手も良かったが、古典的なのはやはり誰もいない放課後の教室だろう。手紙で呼び出す体育館の裏だと恫喝恐喝も連想されるし、平和的かつ最も心を刺激される場所はここをおいて他にない。

「それで。何なんだ? お前がこの学校に来た理由って」

 悠斗の問いに、答えは返さない。

 代わりに佳織は微笑みを浮かべながら、そっと悠斗に近づき、その手を両手で包み込む。

「っ! ちょ、なにをっ」

「ねぇ、香藤くん。私のこと、どう思いますか?」

 うろたえる悠斗の言葉を遮って、佳織は上目遣いに見上げながら問いかける。

「どう、って……」

「魅力、あるんでしょうか。気になる人に、その……気を引こうと振る舞っても、全然振り向いてくれないんです」

「あー……や、その。俺は十分、魅力的だと思うぞ? つかお前以上に可愛い女子なんかいないだろ……」

 最後の方は消えてしまいそうなほど小さな声だったが、佳織の耳はしっかりとその言葉を聞き取っていて、意識しなくとも顔に熱が上ってくるのを感じる。佳織はそれを誤魔化すように、ぱっと明るい笑みを浮かべた。

「本当ですかっ!? よかったぁ……ちゃんと香藤くんに見て貰えてたんだ……」

「っ」

 佳織の言葉を聞いたからか、或いは正面から微笑みを向けられたからか、それとも単に夕日に照らされているからそう見えるだけなのか。悠斗は顔を赤くし、口元を手で抑えて視線を逸らす。

 いつしか、外の音はまったく耳に届かなくなっていた。

 ただ、自分の早鐘を打つ鼓動だけが、うるさいくらいに鳴り響いている。

 悠斗も同じように、緊張しているのだろうか。少しだけ、不安に思った。

(ぐ……これだけじゃ駄目だ。もっともっとこいつを追い詰めて、俺のことを強く異性として認識してもらわなきゃ……っ!)

 意を決し、佳織は一歩、悠斗に歩み寄る。

 すると悠斗は、まるで逃げるように一歩後退した。

(あ、あれ? 何で逃げるんだよ?)

 また一歩佳織が踏み出して、悠斗が逃げる。その繰り返し。

(らち)が明かない。ええい、仕方ない、とことんまでやってやる!)

 雰囲気に()てられたのか、半ば自棄のように覚悟を決めた佳織は、先ほどまでよりも大きく一歩を踏み出す。そして悠斗が足を引くより早く彼の胸に手を添えると――密着したような体勢から、一息に力を加えた。

「――っ!」

 視界が回転する。

 ぐるりと入れ替わった風景は、夕日を背後に立つ悠斗から、床に仰向けになる彼の姿に。

 ――つまり、佳織は悠斗を押し倒したのである。

 突如天井を見上げることとなった悠斗は、しばらく目を白黒させていたが、佳織の薄茶色の髪が彼の視界の中で泳ぐと、やがて自身の上に馬乗りになっている少女の存在に気付く。

 目が合った。

 全身が熱くなったと感じたのは、彼と見つめ合ったからか、それとも大胆な行動に今さら羞恥を感じたからか。

 答えは出ないまま、佳織はチャンスを逃すまいと、上気した顔のまま悠斗に囁きかける。

「ねぇ――香藤くん」

 甘い甘い声を出して、前世の親友を誘惑する。

 その行為に、解読できない数多の感情を体内で爆発させながら、佳織はそっと悠斗の手を取り――自身の胸元を触らせた。

「っ、ちょっ!?」

 酷く動揺する悠斗に調子に乗ったのだろう。或いは、激しい感情の流れに()てられたのか。

 口元を薄く笑みの形に変えて、囁くように言った。

「ねぇ、香藤くん……私の胸、大きいと思いませんか?」

 きっと、普段であれば、こんな大胆なことはできなかったはずだ。

 戦闘の後の興奮が残っていたのと、やっと前世からの親友を見つけたという喜びが、佳織をこのような行動に導いたのだ。

 ――もしかしたら、もっと他の感情も、あったかもしれないけれど。

 果たして悠斗は、()(だこ)のように顔を真っ赤にして――。


「ま、て……待て待て待て、()っ!!」


「ッッッ!!」

 ――今、なんと言ったのか。

 信じられない事実に目を見開き、佳織はしばし硬直していたが――震える唇をなんとか動かし、問いかける。

「なん、で……その名前を……?」

「しまっ……い、今のは………………、あー、もういいや」

 はっきりと口にしてしまったから、言い逃れはできないと判断したのだろう。

 或いは誤魔化すような雰囲気ではないと感じたのか。

 ともあれ吹っ切れた悠斗は、自分の上に乗る佳織の肩を掴んで力を込めると、一瞬にして上下を逆にする。

「きゃっ!」

 咄嗟に出た言葉が女の子っぽかったのは、正直自分でも意外だった。

 佳織が急な視界の反転に驚いている間に、今度は悠斗が佳織の上に馬乗りになる。そして未だ混乱の(ふち)にある佳織の目をじっと見詰めながら、強く、低い声色で囁いた。

「そういうの、誰にでもやるんじゃねぇよ」

「だ、誰にでもなんてしてないしっ! と、というか薫って……お前まさか、俺のこと気付いて――」

 思わず素を出す佳織に、前世からの親友はにやりと笑って、

「まぁな。何年親友やってると思ってんだ。……つっても、確信したのは連携訓練の時のお前の反応と、あのふざけた魔法技術だけどな」

 確かにあの時の佳織は、素の自分(佐上薫)を出し過ぎていた。悠斗が尚人であるならば、感づいてもおかしくはない。

「くそっ、失敗した……上手く隠してたと思ってたのに……っ」

 あの時はまだ確信に至っていなかったとはいえ、疑いは持っていたのだから、もっと慎重に接するべきだった。「あれでも隠してる気だったのか……」という悠斗の言葉には聞こえないふりをしておく。

「にしても……こんなに可愛らしくなってるなんてなぁ」

 まじまじと佳織の顔を眺めながらの悠斗の言葉に、佳織は視線を逸らしながら言う。

「そりゃ……ぜんぜん違うけどさ。尚人、お前から見たら性別も違うんだし」

 格好良いという形容詞が似合うイケメンだった薫と、今のふんわりとした清楚系美少女の佳織では似ても似つかない。

 そう思っての言葉だったが――しかし悠斗はきょとんとした表情になって、


「は? いや性別は同じだろ?」


 飛び出した言葉に、佳織は数秒間、思考が凍った。

 視線は悠斗の瞳に合わせて硬直し、何か言葉を紡ごうとして声が出ない唇が細かく震える。

 やがて、ぐちゃぐちゃだけれどなんとか動き始めた思考で、佳織は言う。

「は、はぁ? いや尚人、さすがに胸もDカップなのに男って言い張るのは無理があるぞ……?」

「Dなのか……じゃない。違う。馬鹿かお前、()()()()()()()()()()()()

 ただ、呆然と。

 打ち明けられた真実に、ただただ佳織は思考を止めて唖然としていた。

 そう。

 そうなのだ。

 佳織の前世――すなわち佐上薫は、女性だ。一人称が俺で、言動も男っぽいところが目立つが、それでも(れっき)とした女子だったのだ。

「お前……気付いてたのか?」

 頭の中が真っ白のまま、ただ条件反射のように問いかける佳織に、悠斗は呆れを多分に含んだ声で返す。

「逆に何で、気付いてないと思ったんだよ?」

 普通に考えれば当然か。

 けれど佳織()にも言い分はある。

「だって俺、お前の前じゃずっと男の格好で、スカートも一度も穿いてなかったし……口調とかも男っぽかったし……む、胸も小さかったし……」

「まな板だったな」

「燃やすぞテメェ」

「す、すまん」

 目が本気だと気付いたのか、悠斗は謝罪を口にする。

 それから一つ空咳を挟んで、続けた。

「確かに男勝りで、男同士でするような会話にも普通に乗ってきたけどさ……親友の性別も分からないほど俺は馬鹿じゃねぇよ」

 悠斗の瞳は真剣で。

 だからこそ、佳織は眉を顰める。

「だけど……だけどお前、全然俺のこと女扱いしなかっただろうがっ」

「そりゃな。だってお前、昔、俺が女扱いすると怒ったし」

「え……?」

 記憶にない。尚人とはずっと、男同士として接していたはずだ。

 すると尚人は、「覚えてないか……」と呟いてから、苦笑いを浮かべて言う。

「初めて会った時だよ。まぁ幼稚園の頃だから忘れてても仕方ないか……」

「あ――」

 繋がった。

 思い出した。

 そうだ。昔、まだ男女の違いが良く分かっていない幼少期、父と兄の手で育てられた薫は、身近に女性がいないこともあって、男のように振る舞っていた。短い髪と男の子の着る服装、そして活発な性格から誰にも女の子扱いされないなかで、一人だけ薫を女の子扱いする男の子がいた。それが新鮮で、それでも変な感じがして、嫌だと言ったけれど――一人だけ他と違う尚人に惹かれ、それから良く絡むようになったのだ。

 そして中学生になって遅いながらも性の違いを自覚し、それでも同性ではないからと尚人と離れるのが嫌で、ずっと男のふりをしてきた。男のように振る舞ってきた。幸いにも中学校は男子制服を着ても問題にはされなかったし、女子にしては高い身長とイケメンなルックスから男物の服装の方が似合っていたのもあって、バレないと思っていたのだ。

 案の定、尚人は今までと変わらない態度で接してきて、それは同じように男子制服を着ていた高校時代も変わらなかった。

 だから、尚人は気付いていないと思っていた。ずっと薫のことを、男だと思っているのだと信じていた。

 ――心のどこかで、女なのだと気付いて欲しいという思いを自覚しながら。それでも『親友』という彼に一番近い位置から離れたくなくて、友愛とは少し違う情を抱き始めても、それを必死に消してきた。

 ――なのに。

「じゃあ、俺が男装してたのは、無駄だったのか……?」

「似合ってたから良いじゃん」


「良くないっ!!」


 佳織に生まれ変わってから、初めてこんなにも感情を顕わにしたと思う。それほどの激情に突き動かされて、叫んだ。

「良くないよ……だって、女の子らしくなきゃ、お前は……」


 ――好きになってくれない。


 零れた言葉は掠れていて、けれど涙を吸って湿っていた。

「薫」

「……なんだよ」

 目を腕で隠す佳織。その腕を悠斗は優しく取って、顕わになった濡れた瞳の中をじっと覗く。

 そして。


「――お前が好きだ」


「……え?」

 一瞬にして、数多の激情が吹き飛んだ。

 ずっと聞きたくて、それでも関係を壊したくないがために決して聞くことのなかったソレが、僅か十数センチの距離から告げられる。

「今世で初めて好きになったんじゃない。前世から、親友だったお前のことが、ずっと好きだった」

「え……? だって俺は、(おとこ)(まさ)りで……」

「だからなんだ」

 悠斗の瞳は、どこまでも真剣で。

 だから、その瞳に見詰められた佳織の中で、一つの感情が、もっともっと強く熱を持つ。

「別に、男勝りだとか関係ねぇ。俺は佐上薫が好きだったんだ。……というかそもそも、男勝りな女の子が好きでなにが悪い」

「悪くは、ないけど……え、うそ……」

「嘘じゃねぇ」

「だってそんな、冗談じゃ……」

「この状況で、この内容で、俺は冗談を言うほどロクでなしじゃねぇよ」

 信じられない。でも、信じたい。幸せな言葉に溺れていたい。――そんな感情が次々に浮かび上がってきて。

 けれど同時に、一つの不安も生まれてくる。

「じゃ、じゃあ……今世の『私』じゃ、駄目……なのか?」

「んな訳あるか」

 ぺしっ、と額に悠斗のデコピンが炸裂する。

「いてっ。な、なにすんだよっ!」

「ふん。どっちも同じお前だろうが。男勝りな薫も、とんでもない可愛さの佳織も、どっちも俺は好きだ」

「な、おと……」

 止めどなく流れる涙を、悠斗の指が優しく掬う。

 その指が触れるたびに熱を感じながら、佳織は震える唇で積年の思いを紡いだ。

「俺も……私も……お前が、好きだ」

「尚人だけなのか?」

 意地悪な笑みが、憎たらしいほどに愛おしくて。

「ち、違うっ! 悠斗も好きだっ! 好きです! だ、だから――」

 じっと、悠斗(尚人)の顔を見上げて。

 抑えきれないほどの数多の想いと共に、告げるのだ。



「また――親友になってくれますか?」

「馬鹿野郎。お前は俺の恋人だ」




   END



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